『奇跡の海』('96)では全編手持ちカメラによる撮影、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』
('00)では更に、その手法に固定カメラで撮影したミュージカルシーンを対置させるといった具合に、
作品ごとに試みられるアプローチゆえに、ラース・フォン・トリアーの作品には「奇抜」という形容がついて回る。
黒い床に白線が引かれただけの舞台装置が用いられた今回の『ドッグヴィル』('03)も、「奇抜」
という点では類例のない作品と言っていいだろう。先述の舞台装置、『幕』を思わせる章立てによる構成に見られる演劇的アプローチに加え、
随所に挿入されたナレーションには文学的アプローチが試みられているなど、本作では極めて非映画的なスタイルが採用されているからである。
トリアーに並外れた才気を感じさせるのは、こうした奇抜なスタイルが単に「奇を衒ったもの」に留まっておらず、
そのスタイルである必然性を作品を通して雄弁に語っている点に他ならない。この『ドッグヴィル』も例外ではなく、
この奇抜なスタイルゆえに深みのある寓話へと昇華している。
閉鎖的な共同体の住民が、状況に乗じてエゴイズムを剥き出しにしていく様を露悪的に描き出す本作は、
美しい逃亡者グレースが住人達によって陵辱の限りを尽くされるという点で、『奇跡の海』と『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に連なる
「聖女の受難劇」を基幹にした作品と言える。しかし、本作のヒロイン・グレースは、『奇跡の海』や『ダンサー・イン・ザ・ダーク』
のヒロインとは明らかに異なる。『奇跡の海』と『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のヒロインは、己の信じる所に頑なに従い、
結果として破滅する。そして、破滅の先には神の存在が見越されていた。本作はグレースの受難を描くが、グレース自身は破滅しない。
己の信じる所に頑なに従うという点では、グレースも過去の作品のヒロインと同様であるが、
受難を通して認識を改めるに到るのが根本的な差異となっている。
実は、本作に於いて過去作品のヒロインの系譜に連なる存在は、グレースではないのである。それはグレースの第一発見者であり、
グレースを絶えず思いやり策を弄するトムに他ならない。しかし、同じ系譜に連なる存在でありながら、その描かれ方は全く異なる。『奇跡の海』
と『ダンサー・イン・ザ・ダーク』では、いかなる状況にキャラクターを投げ込もうとも、
監督だけはキャラクターを突き放すということがなかったのに対して、本作のトムは、
他のキャラクターと同様に突き放されて描かれているのである。すなわち、エゴイズムの巣窟と化したドッグヴィルにおける唯一の良心、
唯一の善人ではあるが、全く使えない愚鈍な存在として描かれる。本作では所信を実践することが善として賞揚されることはなく、
悪逆の限りを尽くす他の住人達と同様に、人間の愚かさを表す一側面にすぎないのである。つまり、
ドッグヴィルでは善と悪は相対的なものでしかなく、善性に対する絶望的なまでの賞揚や渇仰は見られないのである。
このトリアーの眼差しの推移こそが、本作の最大の特色と言っていいだろう。
結び近くで行われるグレースと父親との対話は、「神と子」を容易に想起させるものだが、それが神のアレゴリーであるにしても、
これまでのようなキリスト教的な「愛に満ちた神」を前提にしているとは思えない。強いて言えば、
契約違反者には徹底的に無慈悲で苛烈な罰を与える旧約の神、ヤハウェイに近い。しかし、果たしてそうなのだろうか?
ここで私は飛躍の誹りを承知の上で、敢えて本作のタイトルになっており、且つ作品の最後に焦点が当てられる「犬」に注目してみたい。
「犬」は、単純に本能のままに動く人間の喩のようにも思えるが、本作の内容から老子の次の句を想起させられたのは私だけだろうか。
天地不仁、以萬物爲芻狗/聖人不仁、以百姓爲芻狗
「天地の働きに仁は無く(=無慈悲)で、万物を芻狗(藁で作った犬)のように扱う/聖人にも仁は無く、人々を芻狗のように扱う」
といった意味だが、最後のグレースの決断は老子で言うところの「聖人」のものに近いように思われるし、
善と悪が相対的に描かれるドッグヴィルという舞台も、老子的価値観をそのまま反映させたものと言うことが出来るのではないだろうか。前作
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』では、キリスト教的な神の在り方に懐疑が投げかけられていたこと、更に作中でグレースが7体の「中国人形」
に固執し愛おしむことを東洋思想との接近の示唆として、この仮説の論拠の一つと数えることは無理のあることだろうか。本作は
「アメリカ三部作」の第一作と言われているので、恐らくこの答えは続く第二作、三作に於いて明らかにされることであろう。
トリアーの真意はどこにあるのか、興味は尽きない。
(2004.3.07)
主なキャスト / スタッフ
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『ドッグヴィル』(☆☆☆☆) E ど風呂グ
いや〜、何か強烈な映画だった・・『ドッグヴィル』。 途中までは、今年のワーストムービー『キングダム・オブ・ヘブン』を 超えるのではないかというくらい、嫌な展...
Tracked on 2005/08/09(火)22:33:57
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