自由学校(1951年・松竹) | |
■スタッフ 監督 : 渋谷実 シブヤミノル 製作 : 山本武 ヤマモトタケシ 原作 : 獅子文六 シシブンロク 脚色 : 斎藤良輔 サイトウリョウスケ 撮影 : 長岡博之 ナガオカヒロユキ 音楽 : 伊福部昭 イフクベアキラ 美術 : 浜田辰雄 ハマダタツオ |
■キャスト(役名)
佐分利信 サブリシン(南村五百助) 高峰三枝子 タカミネミエコ(南村駒子) 三津田健 ミツダケン(羽根田力) 田村秋子 タムラアキコ(羽根田銀子) 淡島千景 アワシマチカゲ(藤村ユリ) 杉村春子 スギムラハルコ(堀芳蘭) 佐田啓二 サダケイジ(堀隆文) 清水将夫 シミズマサオ(辺見卓) 笠智衆 リュウチシュウ(平さん) 松井翠声 マツイスイセイ(茂木) 高橋豊子 タカハシトヨコ(茂木夫人) 東野英治郎 トウノエイジロウ(長谷川金次) 小沢栄 オザワサカエ(加治木) 望月美惠子 モチヅキミエコ(下宿のおばさん) |
極論を承知で言えば、高峰三枝子と佐分利信の最高傑作。両人ともに脂が乗りきった時期の会心作だ。
コメディアンとしての笠智衆と淡島千景の最高傑作でもあり、当然、渋谷実監督の最高傑作でもある。
「自由がほしい…」
佐分利信のつぶやきで始まる本作。この一言の台詞はなるほど象徴的だ。封切りは1951年。対日講和条約の調印が同年9月だから、戦後の
「配給された自由」から「自前の自由」へ国民社会全体が脱皮としている、そんな時代の作品だ。
佐分利信演じる当時のエリートサラリーマンは、会社も辞めて妻にも三行半を突きつけられたのもお構いなしに、真の自由を求めて放浪する
(あるいは、『憎いあんちくしょう』で裕次郎がやったように、『HELP』でジョンがやったように、
主人公の台詞と行動は佐分利自身の投影なのか…)。
しかし、佐分利がねぐらにしようとした廃墟では縄張りがあり、
勧められてやって来たホームレスのコミュニティではそれなりのしがらみがあり、なかなか自由になれない。その頃、
妻の高峰は亭主元気で留守がいいで、初めての自由を謳歌してみようとする。翔んだカップル若手組の淡島と佐田、
翔んだカップル壮年組の高橋とよと十朱久雄に刺激されて金曜日の妻を演じてみようとするも今一しっくりこない。
おまけに笠智衆の復員兵からは、「俺は戦争に行っている間にカカアをほかの男に横取りされたから、
俺は他人のカカアを横取りしてもいいと思う。つまり、奥さん、俺はアンタを横取りする」と、無鉄砲に迫られ、
自由とはなかなか厄介なものだとため息をつく。佐分利は佐分利で、ひょんなことから反政府地下組織の領袖に担ぎ上げられ、
それがもとで公安警察にしょっ引かれる始末。結局、妻の高峰が身元引受人になって釈放されるが、最後に高峰の逆関白宣言、
「アナタは私あってこそのアナタなのよ!」
ここで終われば、夫婦の絆をやや辛辣に描いた映画に過ぎないが、このあとがスゴイ。
「僕はキミに支配される筋合いはない!」と佐分利が再び家を飛び出そうとする。すると高峰、
「負けたわ…うちにいてぇ!」と佐分利にしがみついて泣訴。従来なら、「行かないでぇ!」とか「捨てないでぇ!」だろうが、
「うちにいてぇ!」なのだ。そして佐分利は文字どおりうちにいる。つまり、ハウスハズバンドになるのだ。
エプロンに竹箒で妻高峰の出勤を見送る夫佐分利のラストシーンは、当時としてはかなり画期的だ。何しろこの時代以降も、
溝口健二や増村保造などは女の情念を描いた連作を、渋谷と同じ松竹では五所平之助や小津安二郎が亭主関白を絵に描いたような佳作を、
多く世に出しているのだから。翔んだカップル若手&壮年組も含めてこの映画に登場する男女の関係は、
フェミニズムや男女共同参画の先駆けとも言えなくはない。しかし、「うちにいてぇ!」という妻の悲痛な叫びに象徴されるように、
夫がうちにいることで成り立つ関係、つまり、あくまでも夫はうちにいるだけで、「ワタシ作る人アナタ食べる人」
の立場が入れ替わっても夫婦間のヘゲモニーは依然男性である夫にあるのだ。
翔んだカップル二組も一見女性がイニシアティブを取っているようだが、それはパートナーの男性あってこそのイニシアティブだろう。
真の意味での女性の自立はまだまだ先の話だ。
なお、佐田啓二は『君の名は』(53年・大庭秀雄監督)があまりにも有名になり過ぎたせいで二枚目俳優の代表のように思われているが、
そうではない。本作や翌年の渋谷の『本日休診』、『集金旅行』(57年・中村登)など、
まるでドジョウすくいのような捕らえどころのないない三枚目役をソツなく演じている。淡島千景にしてもそうだ。前年の渋谷の『てんやわんや』
や『麦秋』(51年・小津)などのイケズな女の子ぶりはすばらしい。それが後年の『駅前シリーズ』(東宝)や『夫婦善哉』(豊田四郎)
につながるわけだ。本作には出演していないが、佐田との共演が多い岡田茉莉子についても同じことがいえる。同じ中村登の同一年の作品でも
『集金旅行』と『土砂降り』ではまるで180°違う。つまり、
往時の映画スターは作風によって硬軟どちらでもほぼ完璧に演じ分けられたわけだ。上野樹里に期待。
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