本作は『山のあなた~徳市の恋~』と改題され、
石井克人監督×草なぎ剛主演でリメイク決定!(2008年公開予定)
按摩と女 1938/松竹
■監督 清水宏 /脚本 清水宏 /撮影 斉藤正夫 /美術 江坂実 /音楽 伊藤宣二
■出演 高峰三枝子、徳大寺伸、日守新一、爆弾小僧、佐分利信
按摩の徳さん(徳大寺伸)が、今年もまた山奥の温泉地にやってきた。そこで出会ったわけありの女性客(高峰三枝子)に、徳さんのみならず田舎から東京に戻る途中の青年客(佐分利信)とその甥っ子(爆弾小僧)も気をとられてしまう。そんな中、この温泉地で宿泊客を狙った連続空き巣事件が起きる。 何を勘ぐったのか、徳さんは彼女の仕業と思い、彼女をこっそり逃がす手立てをするが……。
「近頃の眼明きはボケッとしてるヤツが多くていけないや」
「その点、眼暗はボケッとするこたぁないからな」
「日が暮れるまでには宿に着きたいな」
「日が暮れようが暮れまいが、眼暗には関係ないじゃないか」
按摩二人のブラックユーモアに富む会話で始まる。
主人公の徳さんは、眼暗のくせに山道でハイカーを追い越して歩くのをライフワークとしているユニークな按摩。そんな徳さんが、
東京からやって来た訳ありの美女(高峰)に淡い思いを寄せる話。舞台は山里の温泉郷。
徳さんたちは毎年夏になると南のほうからやって来て一稼ぎする(伊豆から来たと言っているから、そこは修善寺か湯河原辺りか?)。
同じく東京からやって来た訳ありそうな子連れ紳士(佐分利)と彼女が親しくしているので憂鬱になったり、学生グループにけんかを売ったり、
子供と一緒に川で泳いだりと、徳さんはとても眼暗とは思えないほど人間味に溢れている。
この映画の一番の見所は古き良き時代の温泉情緒。これは監督の清水宏が好んで取り続けたモチーフでもある。
按摩たちが徒党を組んで温泉街を闊歩するシーンには、“ああ、かつてはこれが温泉文化の主流だったのか…”と、
滑稽さの中に在りし日の風景が偲ばれる。障害者も文化の側面を担っていたのだと、日本文化の懐の深さにうなる思い。
「近頃は按摩だけじゃなくて、いろんなところに女が社会進出してきて」という台詞も、当時の世相を知る上で興味深い。前回上映の
『荒城の月』から一年後の作品だが、高峰三枝子はすでに後の高峰三枝子ぶりをほどほどに発揮している。一年で化ければ化けるものだ。
和服に蛇の目で小路を渡る姿はなかなかの耽美派。佐分利信の活躍の場がほとんどなかったり、
高峰も佐分利も訳ありそうな訳をほとんど明かさないし、物語のプロットになると思った連続空き巣事件が曖昧に終わったりで、
多少物足りなさは残る。しかし、それはある意味、清水監督の真骨頂でもある。劇的な展開や大スターの芝居をできるだけ封印し、
旅先での何気ないスケッチのように描く。そのタッチは、松竹蒲田の伝統の系譜でもある(ロケーションと、型にはまらない新人の演技など)。
清水宏。今日もっと顧みられてもいい映画作家ではないか。
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