吹雪と共に消えゆきぬ(1959年・松竹・歌舞伎座) | |
■スタッフ 監督:木村恵吾 製作:亀田耕司 脚本:田中澄江 撮影:木塚誠一 音楽:佐藤勝 |
■キャスト 高峰三枝子(園村邦代) 三津田健 (謙作) 泉田雄介 (吉田) 岩崎綾子 (てる) 殿山泰司 (郵便配達夫) 宇野重吉 (江藤稔) 二木てるみ (幼稚園の子供) 森雅之 (森五郎) 水谷良重 (マリ) |
ちょっと評するに値しないほどの駄作。むしろ『シベリア超特急』クラスの珍品として捉えたほうが適切かもしれない。
これだけの豪華メンバーを揃えながら、よくもまあ、これほどの映画が撮れたものだと、当時の松竹の懐の深さに改めて感心させられる。
高峰三枝子のお家芸とする美貌の未亡人が、旦那の遺品の始末をきっかけに、
かつてのワンダーフォーゲルの仲間たちを訪ねる全国行脚に出かける。しかし、目的意識が今一よくわからない。
訪ねる相手が全部男なのもなんだかいやらしい。25歳も年上の巨匠画伯と高峰はいかにして結ばれたのか、それについてはノータッチ。
ありがちな家庭の事情で仕方なく嫁いだので、旦那が死んで水を得た魚よろしく、かつての下半身の輝きを取り戻そうとしているのか?
そのような意地悪な見られ方をされても仕方ないほど、表現や構成が足りなさすぎる。
最初に訪れたのが長崎で神父をやりながら孤児院を自前でやっている宇野重吉。彼はそういう事情からかまだやもめだ。
次が神戸でナイトクラブをやっている森雅之。彼の正体はマリという情婦を持つ密輸団の首脳。
戦争で片足を失ったのが日蔭へ追いやった動機だが、若き日に高峰と結ばれなかったという痛手もある。
この二つの対比がいかにもの構成で失笑千番。次ぎに訪れた京都の西原仙三なるはすでに戦死し、山田五十鈴の気の触れた母親の出迎えを受ける。
山田の不気味な演技はさすが。この映画の唯一の見所と言っていい。次が熱海でアル中の医者をやっている芥川比呂志。
彼が酒浸りになった理由がまたもう、三流のメロドラマのよう。最後は立山で山男をやっている佐分利信。これがまた、
高峰がやって来た途端に遭難死する。荼毘に付される彼に花を手向ける高峰がまるで奥さんのように描かれているのだから、
もうどうかしちゃっている。
木村恵吾の監督作を今回初めて見たが、この程度の実力ではないはずだ。田中澄江とて成瀬作品で名高い脚本家。察するに、
スケジュールと予算の谷間で取られた作品ではないか。
プログラムの都合など、いろいろ事情はあるだろうが、シリーズの有終の美を飾るにはあまりにも貧弱な作品だ
(京マチ子シリーズの最終回だった『沈丁花』66年東宝・千葉泰樹監督・松山善三原作もかなりの珍品だった)。
これでは高峰三枝子も浮かばれまい。しかし、こういう珍品に時たま出くわすのも古い映画を見る楽しみの一つでもあるのだが。
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