先ごろ、自民党の稲田朋美衆院議員と、稲田氏が会長を務める「伝統と創造の会」等が、配給のアルゴ・ピクチャーズに対し、公開前に本作の試写を要請したというニュースがあった。アルゴ・ピクチャーズは「検閲ではないか」と反発したが、映画の試写を要求した議員だけでなく、全議員を対象とした試写会を行うことで対処する。映画を見た議員たちからは「政治的に中立かどうかについては疑問が残る」「イデオロギー的なメッセージを感じた」といった意見のほか、「靖国賛美六割、批判四割」という感想も出たという。本作に文化庁の所管法人を通じて助成金が支払われていたことも議員たちの神経を逆撫でしたらしい。「反日っぽい」映画に血税を使うとは何事だというわけだ。
彼らはこうした一連の行動を「検閲ではない」という。だが現在与党であるところの国会議員集団が公開前の映画を見せるよう要求する行為が、配給側や世間にもたらす効果に関しては知悉していたのではないか。これらのニュースが影響したのかどうか、本作の上映を予定していた新宿バルト9は直前になって上映をキャンセルした。(4/3、追記)。事態はその後急速に悪化した。上映を予定していた都内全域の映画館と、名古屋、大阪の映画館が相次いで上映をキャンセルしたのだ。4月3日の現段階で、予定通り作品を公開する映画館は、大阪第七芸術劇場だけである。
実に胸糞悪い話である。昨年暮れにこの映画を試写で見せていただいたとき、何らかの騒ぎを巻き起こすだろうとは思ったが、まさかこのように姑息な形でそれが起きるとは思ってもみなかった。しかし実に象徴的な出来事だったと思う。国会議員らは自分たちの存在をアピールする場として本作を、あるいは靖国そのものを利用した。同時に、この騒動が映画の知名度を上げる方便として機能したことを喜んだ者がいなかったとも思わない(4/3、追記。周知の通り、この記述は浅はかであった。話題になれど、映画が公開されなければ意味がないのである)。本作を見て強く印象付けられたのは、靖国神社がいかに多くの政治やイデオロギーや思惑に翻弄され、利用されているかということである。
戦中、「靖国で会おう!」の合言葉を信じて散った者ももちろんいるだろう。立身出世と勇ましく出陣した貧しい農家の青年もいただろう。一方で嫌々ながら徴兵されて戦死した者、まだ良心的徴兵拒否という言葉もなく、信仰に背いて戦場に赴いた者もいたかもしれない。そうした戦没者の他に、外国人でありながら、死亡時に(占領によって)日本国民であったために靖国神社へ合祀された者もいる。現在生きている者たち――われわれは、靖国に眠る(とされる)“英霊”の気持ちをそれぞれの思惑に即した形で恣意的に解釈し、各々の持論を展開するために利用する。すべての議論は彼ら“英霊”がここに眠っている――という「物語」の上に成り立っている。それがたとえ物語であったとしても、靖国は一介の慰霊(鎮魂)施設ではなく、歴史的・政治的・宗教的に強烈なまでに象徴的存在なのだ。いるともいないとも言える霊たちに、言葉を発す機会は永遠に与えられない。逆にいえば、靖国問題とは生きている者たちだけの問題である。映画は死者たちの声ではなく、生きている者たちの諸相をひたすら追いかけていく。
構成の軸となるのは、靖国のご神体である(とされる)「靖国刀」を鋳造する現役最後の刀匠の姿である。その刀作りの工程を取り囲むように、終戦記念日に軍服姿で入れ替わり立ち替わり現われる右翼団体や、集会に乱入する左翼青年、勝手に合祀されたことに抗議する台湾先住民族の遺族といった人々の姿が配されている。言うまでもなく靖国神社は政治的には大変に面倒な存在である。中国人である監督はその厄介な主題に対し、ある程度誠実に向き合っている。誠実に、というのは、公平さを期そうとしたということである。むろん、ドキュメンタリーに「公平さ」「客観性」を求めるのは野暮な話だが、たとえば数年前に作られた『日本国憲法』のような、一つの主張を一方的に押し付けるだけの開き直った偏向はここにはない。プロパガンダ的な要素は可能な限り排除され、いかにも中立的な立場で靖国神社を巡る様々な人々の意見や活動を捉えようとしている。それは種々の立場の論説を均等に聞きとっているという意味ではない。監督自身が、均等に彼らを「面白がっている」のである。
まずは終戦記念日、旭日旗を掲げ軍服姿で押し掛ける数々の右翼団体の姿が目を引く。靖国史観を信奉する彼のパフォーマンスは仰々しく、示威的に映る部分すらある。そこに「祈り」という語から連想される静謐さは感じられない。外国人の目には奇異に映るのだろう、監督はそんな彼らの姿を、驚きや好奇の声すら聞こえてきそうな清新なまなざしでフィルムに刻みつけていく。参拝客で湧きかえる参道には、ネバダ州とカリフォルニア州で不動産を営んでいるという謎のアメリカ白人男性が登場し、小泉首相(当時)の靖国参拝を支持するメッセージを喋っている。彼は自分が親日派であることをアピールしたい様子なのだが、無神経なことに彼の手には星条旗が握られており、「それはよくない」と客の一人から文句をつけられたりしている。別の日には、肉親を勝手に合祀されたことに憤激し、神社の職員に分祀を求める女性が登場する。彼女は台湾先住民族の血を引いているらしい。あたかも女優のように(実際に元女優という情報もあるが)整った顔立ちをしており、その言葉も芝居の一場面のように力強く凛呼と発せられる。「この人は絵になる!」。そんなキャメラマンの舌舐めずりが聞こえてきそうな絵が連続する。ところがそれゆえに、彼女の真摯な訴えはどこか虚構性を帯びてしまう。また、彼女の言葉を靖国神社の職員に伝える通訳係が、いちいち大仰で野卑な脚色を施すために、見ているこちらはついつい笑いを禁じえない。そして、ポストコロニアリズムな議論の場面で笑ってしまう自分を後ろめたく感じるのである。
これは見る者の感性や思想傾向によってずいぶん違ってくるのだろうと思しいが、筆者はこうした一連の被写体にユーモアを感じた。被写体が真剣になればなるほど、そこには人間臭い笑いが滲み出てくる。むろん、その笑いは多少なりとも後ろめたい。すなわち重喜劇である。
作中もっともスリリングな場面は、鎮魂の集会で「君が代」が斉唱されているさなかに突如現われる左翼青年の排除場面であろう。遺族の方が多いと思しき厳粛な場に、若者らしいTシャツ姿で乱入し、政治的メッセージを叫んで混乱をもたらそうとするのは、端的に言って非常識である。この青年が会場から力ずくで引きずり出されるのは至極当然だ。キャメラは連行されていく彼に肉薄する。そこに「お前、中国人か!? 帰れ! 帰れ!!」という罵詈雑言が、愛国者らしきおっさんの口から浴びせかけられる。左翼青年にいらだっているうちに、もっとおぞましいものが姿を現した塩梅なのである。おっさんは連行される彼にひたすら付きまとう。やがて駆け付けた警官隊と参拝客と彼を救おうとする者、彼を追い出そうとする者との間で揉み合いが始まる。揉み合いのさなか左翼青年は流血する。流血しながら、まるで大島渚か若松孝二の60年代の映画のように、異様に巧みな弁舌を弄し、国家権力の横暴を告発する。その間にも中国人嫌いのおっさんの罵声は、壊れたレコードのように一定の間隔で浴びせられ続ける。スクリーンに映し出される混沌とした状況が、見ているこちらの感情を千々にかき乱す。つまりこの混沌こそが靖国問題なのだ、と得心させる秀逸なシークエンスだ。この場面だけでも一見の価値がある。
ノンポリにとっては自分の思想傾向がはかれる部分もあるし、A・B級戦犯や僧侶、外国人の合祀という問題を明らかにした上では意義深い作品だが、実のところそれは特に目新しい情報ではない。期待したのは、膠着した靖国を巡る言説に風穴を開けるような明晰で新鮮な理論や批評である。しかしそれはおよそ見つけることができなかった。終盤の長々とした満州国等における残酷写真のモンタージュには、その真贋のほどが疑われている写真の無批判な使用も含め、先の戦争(=侵略)に対する今さらながらの告発という意図が明々白々に込められており、「編集でそういうことやるのはもうやめようよ」と言いたくなってしまったのも正直なところ。もちろんそれはこちらの気分的なものにすぎず、反省すべき点は永遠に反省し続けなければならないのだが。肝心の刀匠へのインタビューは、第一に声が聞き取りにくく、第二に質問が大ざっぱすぎて被写体の戸惑いしか引き出せていない。貴重な映像資料なのかもしれないが、それ以上のものは残念ながら感じられなかった。
ここで重要なのは、この映画を完成させたのが中国人監督であるということだ。日本の映画人の中には、知らず知らずのうちに自らタブーを作り上げている部分が少なからずあるのではないだろうか。先述したような国会議員の横暴をおとなしく受け入れる土壌がある限り、表現の自由も民主主義の成熟もありえない。表現の自由なんてものはないとか、民主主義の成熟なんてものはないという議論はさておき、靖国神社を巡るドキュメンタリー映画が、自分たちの手ではなく、外国人の手によって先に撮られてしまったという事実自体に襟を正さねばならないのではないか。そんな気がする。
(2008.3.24)
靖国 YASUKUNI 2007年 日本/中国
監督・撮影:李纓 撮影:堀田泰寛 出演:刈谷直治,菅原龍憲,高金素梅
2008年5月10日(土)より第七芸術劇場で7日間の上映、
6月に広島サロンシネマ、8月に京都シネマなどで上映予定
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【2008-137】靖国 YASUKUNI E ダディャーナザン!ナズェミデルンディス!!
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