今週の一本

17歳の肖像

( 2008 / イギリス / ロネ・シェルフィグ )
「夢見る夢子ちゃん」が経験する、大人になるための“Education”

富田 優子

『17歳の肖像』1(ネタバレあり!)
学校の勉強っていったい何の役に立つの?
多くの人はこういう疑問を、一度くらいは抱いたことがあるだろう。10代の頃、両親など周りの大人は「勉強の大切さ」をこんこんと諭すが、それが煩わしい。勉強なんかよりもはるかに大切なものがあるような気がして、自己主張ばかりしていた。だが、大人になって振り返れば、その自己主張は若さゆえのただの傲慢さであったことに気づき、苦々しく思うのだ。その一方で、勉強以外のことに夢中になっていたことを自分の人生の糧としたことで、それは決して無駄なことではなかったと、甘やかな懐かしさにとらわれることもある。 そんな甘さと苦さが共存した時代を「青春」と一言で片づけてしまうのは、少し陳腐な気がするが、そのような二度とは戻らないけれど、自分にとってかけがえのない時代を丁寧に描き出したのが、今年のアカデミー賞3部門(作品、主演女優、脚色)にノミネートされた『17歳の肖像』(原題:AN EDUCATION)である。 本作の脚本を担当したのがニック・ホーンビィ(『アバウト・ア・ボーイ』(02))なので、ハズレはないと想像していたが、いやいやどうして、期待以上の出来である。観客の心の琴線に触れるような、少女の繊細な心理描写がとにかく秀逸。加えてヒロインのジェニーに扮したキャリー・マリガンの、オスカー候補も納得ものの好演によって、観る者の心は常にざわめき立ち、様々な感情を呼び起こしてくれる。多くの人に支持されるべき秀作と断言してもいい。

学歴至上主義がはびこる1960年代の英国、16歳の女子高校生ジェニー(キャリー)は父親(アルフレッド・モリーナ)の言うままに名門オックスフォード大学への進学を目指している。ジェニーは、親のいいなりに人生を決められるのはイヤ!という鬱屈した気持ちを抱えつつも、自分ではどうしていいのか分からない。大学に入って、大人になれば自由を謳歌することができる、憧れの街パリへも行くことができる、という一念があるからこそ、面倒な受験勉強にも耐えている。ロンドン郊外のどんよりとした天候がジェニーのもどかしさとマッチしている。天候は人の力では、いかんともしがたい。ジェニーも厳格な父にどうにか抵抗したいのだが、いつも言い負かされてしまい、自分の人生なのに、自分の思い通りにできない。ほとんど晴れ間を見せない英国の天気は、ジェニーの思いを代弁しているかのようだ。

『17歳の肖像』2そんなジェニーに運命的な出会いが訪れる。歳が倍以上離れたデイヴィッド(ピーター・サースガード)が「白馬の王子様」のごとく現れるのだ。会話のウィットに富み、物腰も柔らかく、スマートにリードしてくれる、まさに大人の男性。父親の前で萎縮して、まともに会話もできない同い年の彼氏グラハム(マシュー・ビアード)との差は歴然。大人の世界に「夢見る夢子ちゃん」状態だったジェニーにとっては、あまりにも理想的な展開で、デイヴィッドとの交際が始まる。彼にエスコートされて出かけるディナーやナイトクラブ、絵画のオークションに心ときめき、デイヴィッドの友人カップル、ダニー(ドミニク・クーパー)とヘレン(ロザムンド・パイク)の大人の恋人同士の濃密な雰囲気に魅了されていくにつれ、ジェニーにとってオックスフォード合格を目指すだけの人生が、無意味でバカバカしく思えてくる。めくるめく甘美な大人の世界に足を踏み入れたことに、心躍らせるジェニー。垢抜けない制服姿から、化粧をしてドレスアップし、美しく大人っぽく変貌していく彼女の姿は、『マイ・フェア・レディ』(64)や『プリティ・ウーマン』(90)を見ているかのよう。映画の前半、父親や学校に抑圧されていた少女が新たな世界に目覚め、まばゆいばかりのレディに変身していく様子は、多くの女性の心を沸き立たせるような展開だ。

やがてジェニーは、デイヴィッドとの恋愛にのめり込むにつれ、学校での勉強よりも大切なことがあるのよ!と、大学進学を勧める担任のスタッブス先生(オリヴィア・ウィリアムズ)に反発する。そのうえ、高学歴だが独身の彼女の生き方を蔑んだような言葉を発し、彼女を傷つけてしまう。17歳の誕生日に合わせたデイヴィッドとのパリ旅行で、理想的な初体験をすませ、完璧な大人になったと有頂天になっているジェニー。若さとは素晴らしいことだと思うのだが、それと同時に怖いもの知らずだからこそ、時に傲慢に陥りやすく、周囲が見えなくなってしまうものだと思う。学校の勉強よりもデイヴィッドと過ごす「社会勉強」のほうが自分のための“Education”=「教育」になっていると主張し、スタッブス先生や校長先生(エマ・トンプソン)の助言を頑なに拒んでしまう。

『17歳の肖像』3ジェニーの、未知の世界に浸っていたい高揚感も、人生において学校の勉強がいったい何の役に立つのかという疑問も、デイヴィッドとの恋に突き進んでいきたいという欲求も理解できるし、今までの勉強ばかりの単調な生活には戻りたくないという切実なまでの願いにも共感できる。それは冒頭でも記述したように、多くの人が学校の勉強や大学進学よりも、もっと大切なものがあるはず、と考えたことがあるからだろう。だからジェニーの青春期特有のヒリヒリ感は手に取るように分かるし、かつての自分自身を彼女に投影することもできるのだ。
その一方で、筆者くらいの歳になると、そんなジェニーのことを上から目線で「甘い!まだまだ子供よねぇ~」と突き放して眺めることもできてしまう。分別のある大人の目線からすれば(その視点は、映画のなかでは校長先生に代表されるのだが)、退学してデイヴィッドと結婚すると言い出したジェニーは、「井の中の蛙」状態に陥っており、世間知らずで愚かなものに映る。この思いもまた理解できるのだ。そのため、観客はジェニーへの共感と反発がないまぜになって、複雑な感情を抱くことになる。ただそれは、ジェニー本人への苛立ちを伴う複雑さでない。切なさと苦さを伴う複雑さなのだ。自分自身も通過してきた懐かしい感情と、通過してきたからこそジェニーの甘ったれた考えが世間に通用しないことを見越せることで、切なくも、苦くも感じてしまう。その感情こそが、本作の吸引力となっていて、観る者を引き込まずにはいられない。

観客がそんな複雑な思いにとらわれている間に、ジェニーには厳しい大人の現実が突きつけられる。デイヴィッドは既婚者であったという、あまりに辛い事実。彼は逃げ出してしまい、大人のずるさを思い知らされるジェニー。甘美で自由な世界だけではない、その裏にある大人の残酷さに打ちのめされるばかりだった。
ジェニーがデイヴィッドの自宅を訪ね、彼の妻(サリー・ホーキンス)と対面する。彼女から「あなた、まだ子供でしょ」とまるで憐れむかのような言葉を投げかけられるのだが、この1シーンの意味が非常に深い。自分は大人だと思っていたジェニーだったが、デイヴィッドの妻からは子供扱いされてしまう。もし、ジェニーが大人であったとしたら、妻は憐れむよりも夫の愛人が現れたことに怒る公算のほうが大きいだろう。だが、彼女が怒り狂うことよりも先に、ジェニーに同情を見せたことで、「大人の女」として対等な立場でないことを描写している。ジェニーも妻と向き合ってもなす術もなく、その場をすごすごと離れてしまう。彼女がまだ大人ではなかったことを痛感する様子には、心に鈍い痛みを覚える。
同時に、ジェニーは父の真実の思いを知る。オックスフォードへ行けと口やかましく言っていたのは、学歴がなく卑屈に生きてきた自分のようになってほしくはない、ジェニーには肩身の狭い思いをしてほしくない、という親心からだった。また父は、デイヴィッドと旅行に出かけるためにジェニーがついた嘘に気づいていたが、娘を信じようとしていたのだ。父の自分への真摯な気持ちに触れて、ただただ泣きじゃくるしかない。父が自分の思いを不器用ながらも語るこのシーンが深く心に沁み入り、本作における最も感動的なシーンとなっている。ジェニーだけではなく観ている側も涙腺が緩んでしまう。辛い経験をしたからこそ、理解できる優しさもあるということを、ジェニーは涙ながらに知るのだ。

『17歳の肖像』2ジェニーが過大評価していた大人の世界と、実際の大人の世界とは、雲泥の差があった。デイヴィッドと過ごした、心ときめく日々こそ大人の世界と思っていたジェニーだったが、実はナイトクラブも、きれいなドレスも、ただの表面上の事例にしか過ぎなかった。大人になるということは、大人の残酷さ、ずるさ、厳しさ、優しさを知り、自分の力で時に抗ったり、時に受け入れたり、時に助けを求めたりすることなのだ。
デイヴィッドに裏切られたことで、「夢見る夢子ちゃん」状態から目覚め、本当の意味で大人の世界に足を踏み入れたジェニー。本作の見せ場は、映画前半の心浮き立つようなシンデレラ・ストーリーではなく、むしろここからで、ジェニーが傷つきながらも現状を受け入れ、前へ進むことを決心する様子だ。ジェニーがずっと反発していた父親やスタッブス先生の助けを得て立ち直り、自分の意志でオックスフォードへの受験を決意する姿に、救われる思いがした。結果的に、デイヴィッドとの恋愛だけではなく、学校での教師との対立も、娘を思う親心を実感したことも、すべての経験がジェニーにとって、大人になるために必要なこと=「教育」だったということになろう。と同時に、夢見る頃を過ぎてしまったジェニーに、一抹の寂寥の思いも感じてしまうのだ。大人になるということは、決して嬉しいことだけではなく、ちょっぴり寂しいものでもあることを、改めて実感してしまう。

「いつか私にも白馬の王子様が……」と切望する「夢見る夢子ちゃん」は、実際にはたくさんいらっしゃることだろう。だが、それを現実に体現できる人は、残念ながら少数派のはず(だと思う)。ジェニーの白馬の王子様の正体は、とんでもない性悪オトコだった。理想と現実のギャップに「こんなはずではなかったのに……」と戸惑い、傷つき、失望しながらも、いつか全ての経験を「良い勉強になった」と言えるようになる強さを持ちたいと願う。そんな思いを、ラスト、ジェニーの後ろ姿に重ね合わせつつ、いつまでもほろ苦い余韻をじっくりと噛みしめていたくなるような映画である。

(2010.4.15)

17歳の肖像 2008 イギリス
監督:ロネ・シェルフィグ 脚本:ニック・ホーンビィ
撮影:ジョン・デ・ボーマンBSC 美術:アンドリュー・マッカルパイン
出演:ピーター・サースガード,キャリー・マリガン,アルフレッド・モリーナ,ドミニク・クーパー,ロザムンド・パイク,
オリヴィア・ウィリアムズ,エマ・トンプソン,カーラ・セイモア,マシュー・ビアード,サリー・ホーキンス
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

4月17日(土)より、TOHOシネマズ シャンテほか全国順次ロードショー

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  • 脚本:ニック・ホーンビィ
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2010/04/17/10:57 | トラックバック (10)
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