『マッハ!!!!!!!』『トム・ヤム・クン!』に続き、プラッチャヤー・ピンゲーオ監督がスタント・CG・早回しの一切を排して製作したムエタイ・アクション、約2年ぶりに発表された今回の作品『チョコレート・ファイター』は14歳の少女が主人公だ。母親・ジン(“ソム”アマラー・シリポン)は我が子・ゼン(“ジージャー”ヤーニン・ウィサミナタン)を育てるため、マフィアから足を洗う。しかしその母親が白血病に罹り、莫大な費用が必要になる。少女は治療費を得るため、以前母が筋者に貸していた金を回収しようと奔走する。己の天才的な身体能力を武器に、ゼンは彼らに立ち向かうのである。
並みいる格闘映画の多くは男性が主役を張っている。伝説的アクションスターたちが魅せてきた、鋼の肉体から繰り出される一撃はたしかに息を呑むような迫力だ。しかし、華奢であどけない顔の少女の格闘シーンは、私に今まで以上に格闘本来の美しさを再認識させてくれた。いつの間にか刷り込まれていた“格闘=男のもの”という「常識」を覆すかのように、少女ゼンは己の肉体の赴くまま縦横無尽に動き回る。彼女が未知の敵に立ち向かう時、相手の動きを流れとして視界に捉え、その動きを我がものとして一気に相手を上回り圧倒する。その勢い、小気味よさ。言葉の要らない純粋な格闘の連続、これこそアクションだ!と思わず喝采を叫びたくなるような衝動に駆られる。
有名カンフー映画、ムエタイ映画のアクションスターも真っ青の動きでゼンは敵を次々となぎ倒していく。この光景を前にして、私の中で肉躍るほどの興奮が呼び起こされる。なぜだろうか。私は、彼女が今までになく“観客に近い”俳優だからだ、と答えよう。ゼンは格闘のスキルをテレビから学ぶ。ブルース・リー、トニー・ジャー、超人的な能力を持つヒーローたちを彼女はブラウン管越しに見つめている。「あちら側」の住人ではない少女が、“悪の組織”と闘うのである。さらに、彼女の闘う理由が私心からではなく他ならぬ母の病気を治すためというくだりは、もはや観客を放ってはおくまい。単純ながらにして、これほど人を虜にするエピソードも他にはない。アクション映画を観る主人公ゼンは、相対的に私たち観客と同じ立場に立つ。フィクションの“外”とは“現実”―すなわち「こちら側」「我々の世界」である。本作は、畳みかけるように彼女が「こちら側」の人間だと強調する。そのために私たちは彼女に親近感を抱いてしまうのだろう。
もちろんエンドロールでは、数限りないリテイクとともに出演者の絶え間ない生傷が映しだされ、結局最後には観客は夢から引き剥がされる。しかしその恐るべき身体能力を措いてもやはり、格闘から縁遠いはずの「少女」が、「テレビを見て」格闘のスキルを身につけ、「家族のために」その能力を発揮することに、私は強く惹きつけられていく。
しかしここで忘れてはならないのが、少女ゼンの格闘を前にして残る多少の違和感だ。これまで私にとっての格闘映画は、アクションの迫力に心酔することが中心だった。だが彼女を見ていると、なぜこんな動きができるのか、どうやってこんな動きをしているのか、と微かな疑問が頭にちらつく。ローキックからハイキックへの敏速な移行、2人目に瞬時に向き合う時の体重移動など、格闘の仕方そのものに関心が向いてくる。少女の格闘、それ自体が私の「常識」にはなかったからこそ、普段とは違う視点――「もしかしたら自分もできるかもしれない。どうやってやるんだ?」という探索的な視点――がもたらされたのだろう。無論私がゼンのマネなどできるわけがないのだが、この視点で「追いつこう」とする彼方にある彼女の超人的かつ華麗な格闘は、観る者の中に一層の歓び生み出すのである。
そのようなゼンの戦いの中でもっとも魅力的なのは、トーマスと呼ばれる男との対戦だ。必ずしもこのシーンがクライマックスではないが、私はここを一番の見どころに挙げたい。強い癖のあるトーマスの動きに、ゼンは初め対応できない。首を2度左に振って犬のように吠え、右腕を強く震わせる間からは、虚を突くようにカポエラの足技が飛び出す。何度も吹っ飛ばされてやっと彼女の視界に映るのは、残像の残る彼の姿である。その癖をゼンは“見よう見まね”で一瞬のうちに体得し、あっという間に彼の間合いに詰め寄る。そして彼の反撃をかわしクリティカルな一撃を喰らわすその一連の動きは、私を熱狂させるには十分すぎる程だった。その人物特有の動きを織り交ぜたアクションの数々、人間の本能までも動員する超人的なやりとりがこんなにも面白いのかと思わしめるシーンである。
しかし、残念なことに本作は期待するほどに日本では注目を浴びることがないのではないだろうか、と心配にも思う。すでに日本でのムエタイブームは、『マッハ!!!!!!!』『トム・ヤム・クン!』で過ぎてしまったのだろうか。あるいは、そもそも主人公の設定が問題視されるからだろうか。主人公・ゼンは生まれつき脳の発達の遅れである自閉症を持っている。“障害者”というデリケートな内容に日本はいまだ寛容ではないのだ。本作品があまり注目を浴びないままソフト化されていくのがあまりに口惜しい。前作・前々作に続く傑作アクションである。ぜひご覧いただきたい。
(2009.6.9)
監督:プラッチャヤー・ピンゲーオ アクション監督:パンナー・リットグライ
脚本:ネパリー,チューキアット・サックヴィーラクン 撮影:デーチャー・スィーマントラ 美術:ラッチャタ・パンパヤック
出演:“ジージャー”ヤーニン・ウィサミタナン,阿部寛,ポンパット・ワチラバンジョン,“ソム”アマラー・シリポン,
タポン・ポップワンディー,イム・スジョン,ソーミア・アバハイヤ,“オー”シリモンコン,デイ・フリーマン,サー・マオー
(c) 2008 sahamongkolfilm international all rights reserved. designed by pun international
5月23日(土)より、新宿ピカデリー他全国ロードショー
- 監督:プラッチャヤー・ピンゲーオ
- 出演:トニー・ジャー,ペットターイ・ウォンカムラオ,プマワーリー・ヨートガモン
- 発売日:2004-11-25
- おすすめ度:
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- 監督:プラッチャヤ・ピンゲーオ
- 出演:トニー・ジャー,ペットターイ・ウォンカムラーオ,ボンコット・コンマライ
- 発売日:2006-09-22
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主なキャスト / スタッフ
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