話題作チェック

プレシャス

( 2009 / アメリカ / リー・ダニエルズ )
アメリカ貧困家庭が抱える問題の根源とは?

藤澤 貞彦

(結末に関する言及あり!)
ニューヨークのハーレム、母子ふたり、父親はとうに家を出てしまっている貧しい家庭で暮らす16歳の少女の過酷な人生。そんな中でも彼女が未来に向かって歩きだしていく姿を力強く描いた作品である。また、人間ドラマのその向こうに、アメリカの抱えるさまざまな問題を浮かびあがらせ、さらには、その問題の根源や解決への道までをも模索した意欲作で、サンダンス映画祭でグランプリ、アカデミー賞助演女優賞を受賞している。主人公の抱える問題とは何か、それをひとつひとつ辿ってみよう。

クレアリース・プレシャス・ジョーンズ(ガボレイ・シディベ)16歳、「大切な」という意味を持つミドル・ネームをもちながら、彼女は誰からも大事にはされていない。家では母親からはこき使われ、暴力を振るわれ、学校では一番後ろの席で、まるで透明人間でもあるかのように振る舞っている。それでも身体は大きいから目立ってしまい、近所にたむろする男の子たちからも苛められる。
彼女はさまざまな問題を抱え込んでいる。貧困、母子家庭、生活保護、肥満、非識字者、家庭内暴力、十代での妊娠など。アメリカの社会が抱える問題のすべてをひとりで引き受けた、あたかもそんな状態なのだ。OECDによれば、今アメリカの貧困率は13.7%(ちなみに日本は13.5%)、人口を3億人とすると、4000万人の貧困者がいることになる。貧困すべてが不幸とは限らないが、少なくともその内の何万人かが、プレシャスと同じ境遇にいると考えると、気が滅入ってくる。

プレシャスの取り分け黒い肌と肥満した大きな身体は、彼女を惨めなものにしてしまっている。その証拠に、彼女は夢想する。彼女が鏡の向こうに映して見るのは、自分自身ではなく金髪、痩身のモデルのような姿の虚構の自分だ。彼女がまったく違ったものにあこがれているということ、その乖離度の大きさは、いかに自分自身を認めたくないかということを表している。それでいて、彼女はまるでバケツのように大きいバスケットに入ったフライドチキンを歩きながら食べていたりする。しかし、そのこと自体は責められるべきものではない。
プレシャスのような貧困家庭には、おそらく食料配給切符なるものが配られているのだが、それで買えるものというと、どうしてもインスタント食品、ファースト・フード、すなわち揚げ物ばかりになってしまう。おまけに最近では、予算の厳しくなった貧しい地域の公立学校が、給食に民間企業を参入させており、昼食までもが値段の安いインスタント食品に成り変っているという。貧しい者ほど、低価格で高脂肪のものを食べざるを得ない現実がそこにある。そんな食習慣が、プレシャスの「フライドチキンバスケット」に凝縮されている。
最近この問題を解決すべく、ミシェル・オバマが「子供の肥満撲滅作戦」というのを立ち上げたというのだが、この映画を観ていると、根本的なところを解決しなくては何の効果もあがらないし、それどころかそのプレッシャーによって、ますますプレシャスのような「自分の身体を嫌う」惨めな子供を増やしてしまうような気がしてくる。

プレシャスが、自分の身体を嫌い惨めに思うのは、ひとつには母親(モニーク)の責である。よほどのことがなければ外に出ることもなく、日がな一日ソファに寝そべってテレビを見て過ごすだけの毎日。この母親に、学校から帰ればご飯の支度をさせられ、アゴでコキ使われている。料理がまずいと言っては殴られ、「デブ」だの「バカ」だの罵詈雑言を浴びせられている。そのうえ、お前を産んだのが間違いだったなどと、親子の間でも決して言ってはいけないことを毎日のように聞かされれば、誰でも自分が消えてなくなってしまいたいと思うようになるだろう。
そんな彼女が逃げ込める唯一の場所が、想像の世界である。スターになってミュージック・ビデオに出演したり、映画のプレミア上映で赤じゅうたんの上を歩き、みんなから注目されたり、その世界は突拍子もなく子供っぽいものである。多分にテレビで見たイメージの世界の延長であろう。華やかで、非現実的な美の世界がそこにある。その美の基準がますます自分を惨めにしてしまっていることに本人は気が付いていない。ただ、その想像の世界の出来事の根底には、自分が認められたい、愛されたいという願望が潜んでおり、それがまた悲しい。
ちなみに、アメリカの被虐待児童数は社会福祉保健事務所で認定されたものだけで、94万500人(2007年)、社会問題になっている。おそらく、プレシャスのように外に知られないケースを入れれば、実際にはそれどころの数字ではないはずだ。貧しい家庭には、当然児童虐待も多い。大人が仕事もせずブラブラし誇りを失い心が荒み、そのやりきれない気持ちの矛先を弱い子供にぶつけている、そんな姿が、プレシャスの家庭からも透けて見えてくる。

また、プレシャスはまだ16歳というのに妊娠している。それどころかすでに12歳のときに産んだ子供までいる。彼女の場合の妊娠は、それが父親の性的暴行によるものだったのだから深刻である。しかも最初に生まれてきた子は、ダウン症だった。とても育てた(ら)れる家庭環境ではない。今度は、普通なら中絶するところだろう。にもかかわらず、彼女は再び子供を産もうとしている。彼女にとっては、子供が、自分を無条件に愛してくれる存在になるかもしれないという希望なのである。それはいかに彼女が愛を知らなかったか、その裏返しなのだ。
しかし、それは同時に学校を退学になることをも意味している。貧しい黒人やヒスパニック系の家庭の子が、妊娠、出産となれば、学校は中退になり高等教育は受けられない。未来への道は完全に絶たれ、満足な職に就くこともできず、やがては生活保護を受けることになる。これは貧困の再生産に他ならない。アメリカでは、10代のアメリカ女性の3割が20歳までに1度は妊娠するというデータがある。他の先進国に比べても異常に多い数字だ。そのことが貧困の増加とも関係してくるとなると、これはかなり深刻な問題となってくる。

学校を退学になり、希望を失った彼女を救ったのが、フリー・スクール(オルタナティブ・スクール)である。落ちこぼれや、家庭の事情で中退を余儀なくされた生徒たちを救おうという目的で造られた学校だ。
集まってくる生徒たちは、情緒不安定だったり、他人とうまく付き合えなかったり、あるいはプレシャスのように色々な問題を抱えていたりと、みな何らかの理由で学校を放り出されている。元々一般の学校には馴染めなかったくらいだから、教育程度も遅れていて満足に字も書けない。それでも、生徒の数が少ないから、ひとりひとりが大切にされる。少々変わったところがあったって、先生はひとりひとりの個性を見極め、それを尊重してくれるのだ。もっとも、誰でもが入れるわけではない。通っていた学校の校長が彼女のことを心配して、推薦状を書いてくれたからこそである。これが彼女にとっては幸いだった。

文字が読めないプレシャスのために、時間外、本の朗読に付き合ってくれた先生(ポーラ・パットン)の前で、最初は黙りこくるしかなかったプレシャス。今までの一般の学校では、そんな生徒に構っている余裕などあるわけもなく、その時点ですべてが終わってしまっていたことだろう。それに対して、小さな子供に教えるように、かつ決して馬鹿にするようなことなどなく、粘り強く付き合ってくれた先生の優しさに、プレシャスは初めて自分が大切にされたという心持がしたようだ。
少しずつ心を開き始め、友だちも出来てきたころ、プレシャスは母親の暴力から逃れるため、一時的に先生の家に居候させてもらえることになる。ここでの会話は話題も豊富でウィットがあり、彼女にとっては、まるで「テレビの中の世界のよう」だった。そのうえ、先生の同居人はなんと女性。実は、プレシャスはレズビアンに対して偏見を持っていのだったが、そのふたりの家で大切にされ、生まれて初めて家庭の温かさを感じた彼女は、自分の世界の狭さを痛感するのである。実の母娘がいっしょに暮らしていたって、彼女のイメージする家庭とは、テレビの音と怒号が家中を響き渡り、人間のおぞましいエゴが牙をむく世界だったからだ。

プレシャスが通っていた福祉施設のソーシャル・ワーカー(マライア・キャリー)が間に入って、母親とプレシャスは話し合いをすることになる。家を出ていたプレシャスが母親の元に帰ることが適当かどうかを判断するためだった。この映画の優れている点は、そこでプレシャスの母親の気持ちを語らせたところにある。

「プレシャスに家に帰ってきてほしい。愛しているのだから」しかし、その母親の主張を聞いていると、身勝手な思いしか伝わってこない。彼女の主張にはプレシャスに何をしてあげたいかということはひとつもない。「自分」がどれだけ寂しいか、「自分」がどれほど不自由をしているか、「自分」がすべてなのである。もちろん、プレシャスとその子供が出て行ったら、生活保護が受けられなくなるという打算もあったことだろう。なにせ、生活保護を受けるために、障害を持つ自分の孫まで平気で利用するような女である。
それにしても、そんなにプレシャスのことが大切と言うなら、彼女はなぜ暴力をふるったのか……そこから母親の悲しい人生が見えてくる。字も読めず、プレシャス同様太っていた彼女がやっとの思いで掴んだ男、彼女はそこにすがろうとしていた。彼女にも、安定した暮らしと子供と夫との幸せな家庭を夢見ていた時代があったのだ。しかし、夫は自分の目の前で、子供に性的暴力を加えるようになる。それでも彼女はなす術が何もない。自分の子供を守りたいという母性より、自分が男に捨てられることの恐怖のほうが勝ってしまったのだった。いつしか、彼女の怨みは、男のほうではなくて、プレシャスのほうに向かっていく。夫を自分の子供に奪われたと。
こんな考えに陥ることは普通では考えられないのだが、彼女の言動を見ていると、その裏にあるものが透けて見えてくる。彼女自身もやはり愛されない子供だったのだ。家は貧しく、学校にもろくすっぽ行けず、寂しい人生を送ってきた彼女だからこそ、愛されないことが何よりも怖かった。また、言葉を知らないから自分自身で深くものを考えることもできず、ただその場の感情だけで行動を起こしてしまう。そしてそのやりきれない気持ちが積りに積り、いつしか自分より弱い者への怒りや恨みへと変わっていた。また、娘への暴行を見ても夫と別れられなかった理由として、経済的な不安から彼に依存せざるを得ないという現実的な事情もあったことだろう。貧しい家庭に虐待児童が多いというデータがあるが、その多くは実際こうした理由によるものである。

そんな母の告白を聞いたプレシャスの反応は意外なものだった。母親も気の毒な人だったということを理解できたというのである。彼女は人から認められ、友だちを得た。そして自分が心から愛情が注げる子供ができた。そのことによって変わったのだ。
あんなに人かから愛されることばかりを期待していたのに、今では人を愛したいという強い気持ちに突き動かされている。所詮、自分を愛せない人間は、他の人を愛することなどできるはずもない。プレシャスが、ガラスに映った自分の姿を、真っ直ぐにみつめるシーンは、彼女が自分自身のことを受け入れられるようになったことを何より象徴している。自分を見つめられるからこそ、「今いる場所は今までの人生とこれから先の未来のための中間地帯」こんな自己分析もできるようになった。自分自身の言葉で考え、未来を見て生きていけるようになったのである。そこが彼女の母親とは大きく違う点である。
プレシャスは、母親を気の毒と思いつつ、はっきりと同居を拒絶する。自分には親とは違う別の可能性があり、彼女はこれからもそんな自分のことを理解することはできないだろうということ、ふたりがいっしょに暮らしていくことは、自分をますます不幸にするだけということ、それがはっきりわかっていたからである。

実は、この映画のテーマの核心はここにある。母親の告白に対する娘の反応とその成長ぶりの対比。いつも虐げられてきた娘が教育によって変わっていったのに対して、無学の母親は娘の家出という出来事に対峙しても何も変わらない。これは、家を飛び出し広い世界を体験したことと、家のソファに寝転がったまま、自分の周りしか見てこなかったことの差によるものである。
娘が教育によって得たものは、字を覚えたこと以上に、自分以外の価値観を知ったことなのだ。教育が大切なのは、自分の狭い世界の外にあるものを見せてくれること。教育は、その手段に成りえるものなのだ。貧しさは、さまざまな問題を生み出し、かつ世代間に連鎖してしまう現実もある。けれども、不幸の連鎖は自分自身の力で断ち切ることができるもの。映画は、アメリカ社会のすべての不幸を背負ったかのようなプレシャスの物語を通して、そのことを示している。
確かにプレシャスの前途は、身体に爆弾も抱えており、かつふたりの子供(うちひとりは障害のある子供)を抱えて生きていかなければならず、決して明るくはないかもしれない。けれども、不幸の連鎖は自分自身の力で断ち切れる。プレシャスは今、そのことをはっきり認識し、困難にも立ち向かっていこうとしている。それゆえ、ラスト・シーン、ふたりの子供を抱いて真っ直ぐ前を歩いて、スクリーンのこちら側に歩いてくる彼女の姿は、明るさと力強さに満ちているのだ。

(2010.6.13)

プレシャス 2009年 アメリカ
監督・製作・脚本:リー・ダニエルズ 原作:サファイア
製作:サラ・シーゲル=マグネス,ゲイリー・マグネス
製作総指揮:オプラ・ウィンフリー,タイラー・ペリー,リサ・コルテス,トム・ヘラー
撮影:アンドリュー・ダン 衣装デザイン:マリナ・ドラジッチ 編集:ジョー・クロッツ 音楽:マリオ・グリゴロフ
出演:ガボレイ・シディベ,モニーク,ポーラ・パットン,マライア・キャリー,レニー・クラヴィッツ

新宿武蔵野館ほか、全国にて公開中

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  • 監督:リー・ダニエルズ
  • 出演:ヘレン・ミレン, キューバ・グッディング・Jr.,
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    ジョセフ・ゴードン=レヴィット
  • 発売日: 2007-06-08
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2010/06/20/11:02 | BBS | トラックバック (7)
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