今週の一本

婚前特急

( 2011 / 日本 / 前田弘二 )
リアリズムとありえなさ

鈴木 並木

『婚前特急』1新鋭前田弘二監督の劇場デビュー作は、あの吉高由里子がなんと五股をかける「21世紀のスクリューボールコメディ」(チラシより)との触れ込みで、もしそれがホントにホントだったら、いままでになかった日本映画の誕生、と相成るわけですが、はてさて。

そもそも、スクリューボール・コメディって何でしたっけ、とWikipedia様にお伺いを立ててみると、「主に1930年代から1940年代にかけてアメリカで流行したロマンティック・コメディ映画群を指す。その特徴は、常識外れで風変わりな男女が喧嘩をしながら恋に落ちるというストーリー」だそうで、もう少しだけ映画史の勉強をするならば、当時はヘイズ・コードと呼ばれる検閲制度によって性描写が厳しく制限されていて、結婚している夫婦ですら一緒にベッドに入っているところを描写してはいけなかったのだそう。それ自体が出来の悪いコメディのようにも思えるそんな規定のもと、あの手この手でおもしろさを追い求めた映画人たちの苦労の成果(の一部)が、スクリューボール・コメディ。とある批評家はもっと具体的かつ明快に、「セックス抜きのセックス・コメディ」と定義していて、つまりはそういうこと。

ひるがえって目を日本に向けると、1950~60年代に中平康や岡本喜八が撮ったいくつかの作品が、形式としてのスクリューボール・コメディにぴったり合致するかもしれないし、「セックス抜きのセックス・コメディ」ならば、戦後の日本に最も幅広く影響を与えた思想家、と呼んでしまいたい作家、石坂洋次郎原作の映画は、大半がそれにあたるはず。そしてある時期までの日本では多くの場合、直接的な肉体関係を描くことを避けた結果、恋愛もセックスもうやむやにしつつ内包する形で、理想の相手を探す結婚コメディというジャンルが発展していった。とは、Wikipediaには書いてありませんが。

『婚前特急』2前田監督がそのへんの内外の映画史にどの程度意識的だったのかは分かりませんが、どうも、ジャンル映画の再生を試みたというよりは、いまでは絶滅してしまったそうしたジャンル映画に近いものを、期せずして発明してしまったのではないか、と思えます。なぜそう思うか。ジャンル映画であれば、5人の男をそれこそ戦隊もののヒーローのように色分けして、類型化したキャラクターとして勢いよく転がしていくでしょう。たとえば、頼りがいのあるリーダーキャラ赤川さん、イケメンの青山さん、カレーの好きな黄村さん、とかそんな感じで。

しかし『婚前特急』には、そうしたお約束はありません。かわりにあるのは、リアリズムです。映画が始まって少したったところで、吉高由里子が、乗っているスクーターにカギをかけてその場を離れる描写があります。近年の日本映画で、まともに自転車にカギがかけられることの少なさに憤りを感じているわたしは、ここで若干身を乗り出さざるをえませんでした。また、榎木孝明があわててリモコン・キーで車に施錠するシーンもありました。〈わたしはもうひとつ、洋邦問わずほぼあらゆる映画における人工呼吸の描写のいい加減さにも軽く腹を立てています。“カギをかけられる男”である前田監督にはぜひそのうち気が向いたら、人工呼吸の映画を撮っていただきたいところです。〉

リアリズムという言葉は、そこに実際に人間が生きて歩いて息をしているのが見えるような、という程度の意味で使っています。ここでの吉高嬢は、甘えたり媚を売ったり怒ったり嫉妬したり仕事をしたり〈スクーターを飛ばす姿のかっこいいこと!〉飲んだり食べたり暴力をふるったり、くるくると魅力的に画面を駆け回り、女優としての器用さ、頭のよさをたっぷり見せてくれます。呆然とした吉高嬢がスカートに風をはらみながら浜野謙太のアパートへ向かうシークウェンスは、リアリズムの最たるものでしょう。『婚前特急』3ただしそのリアリズムは、よくできたコメディだけが持つことを許される「ありえなさ」となめらかに連結していて、その数分後に観客は、吉高と浜野が、およそこれ以上の突飛さはないようなやり方で、白川和子と出会うのを目撃するのです。そして白川は、そんな場面において、トーストと味噌汁の食事をとりながら、映画の中の人物しかしないようなアドバイスをふたりに与える。もっとも、それをありえないと思うのはあくまで現実世界において、で、時空はいつの間にかリアリズムからコメディのそれへと移行していますから、驚くことはないのです。いや、そのスムースさに大いに驚くべきであると言うべきでしょうか。

吉高嬢演じる主人公・チエの恋の相手である5人の男たちは、見てくれも出番の量もさまざま。食品会社の営業部長33歳〈加瀬亮〉、レストアバイクショップ経営の29歳〈青木崇高〉、美容室のオーナー54歳〈榎木孝明〉、19歳の大学生〈野村健二〉、パン工場の工員26歳〈サケロックの浜野謙太〉。中でも浜野謙太扮する田無タクミにご注目、というか、いやでも注目せざるをえないはず。小太りの肉体から屁理屈をふんだんに繰り出す彼、チエの査定では最低の評価を獲得してしまいますが、なんのなんの、最終的には主役に負けず劣らず場をさらっていきます。

となれば『婚前特急』は、スピードと思いもよらぬ球筋とで観客を煙に巻いたり笑わせたりするスクリューボール・コメディというよりは、むしろ、浜野謙太という隠し球を堂々と使った、隠し球喜劇と呼びたい。そして、タイトルに反して、最後に吉高嬢が乗り込むのは、のどかな普通列車。刺激の強い問題作、センセーショナルな話題作が氾濫する昨今、いまどき珍しい控えめな味わいのコメディでひとりの監督がデビューしたことを、祝福しましょう。前田監督、安全運転の腕前に狂いはないと見ました。

(2011.3.30)

婚前特急 2011 年/カラー/アメリカンヴィスタ/107 分/日本映画
監督:前田弘二 脚本:髙田 亮、前田弘二
主題歌:「DANCING BABE」 / MONOBRIGHT(DefSTAR RECORDS)
出演:吉高由里子、加瀬亮、浜野謙太(SAKEROCK)、杏、石橋杏奈、青木崇高、 榎木孝明、吉村卓也
(C)2011『婚前特急』フィルム・パートナーズ
公式

2010年4月1日(金)より、テアトル新宿、
ヒューマントラストシネマ渋谷他全国ロードショー!

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  • 映画本編の前日譚
  • 監督:前田弘二
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2011/04/01/15:52 | トラックバック (4)
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