(2007 / 日本 / 新海誠)
遠い憧れ、彷徨う光

松本 不二人

秒速5センチメートル1 マンガはむさぼるように読んでいるのに、アニメになると普通の人に毛が生えたくらいしか観ていない。 観るのだってほとんど劇場版だ。大友克弘、今敏、押井守というこの3巨頭(勝手にそう呼んでいる)、それくらいなものだ。 そんな私の小さな趣味範囲に、突然参入してきた監督がいる。

 彼の作品を初めて出会ったのは「雲のむこう、約束の場所」(04)だった。DVDを借りて観た。 小さな部屋で小さな画面にかじりつき、その途方もなく、どこまでも広がる空に胸を膨らませ、声を詰まらせた。まぶしく輝く太陽、 人工物に映える夕陽。作り手の、遥か先への届かない想いが切ないほどに伝わってくる。新海誠監督の描く世界に虜になってしまった。

秒速5センチメートル2 その彼が次に手がけた作品が、「秒速5センチメートル」だ。本作は、 主人公の遠野貴樹を中心に3本の連作で構成される。「桜花抄」では、かつてはなればなれになった少女、 篠原明里との再会と別れを描く。「コスモナウト」ではその後の貴樹が別の人物の視点から描かれる。 そして最終話は本作のタイトルにもなっている「秒速5センチメートル」。明里との再会以来、 人との埋めがたい距離を抱え続けた貴樹の現在が語られる。

 前作「雲のむこう~」や処女作「ほしのこえ」(02)でも、新海監督は遠い場所をテーマに描いた。それは物理的、 というよりむしろ精神的に隔てられた場所である。そんな無限遠を見つめる彼が、本作には極小の速度を名付けた。

秒速5センチメートル3 秒速5センチメートル、これは桜の花びらが落ちる速度でもあるのだそうだ。明里に教えられ、 貴樹の心には彼女の記憶としてその言葉が残る。しかし彼女との無限の距離を知ったとき、 桜の速度は彼女に追いつかない自分自身にも投影され、絶望の色を落とす。その時の貴樹の言葉が、本作のフレーズになっている。

 「どれほどの速さで生きれば、君にまた会えるのか。」
 得てして若者は、このようなありもしない仮定と、先行きのない問いを投げかける。しかし極端な表現の裏に、 そう言わしめる切実な思いが溢れてくるようでもある。この極度に遅いスピードは、恐らく主人公、そして監督自身にとって出発点であり、 同時に到着点ともなる。

秒速5センチメートル4 第1話で、貴樹は列車に乗り、幼い頃に別れた初恋の相手、明里のもとへと行く。 貴樹が引っ越すことになり、それを機に彼女との再会を決心したのだ。しかし列車は雪に閉ざされ、約束の時間から過ぎていく。 期待と憧れに、焦りと絶望が積み重なる。遂に出会い、お互いの心が融けるほどに想い合うその瞬間、 彼は一方で二人を隔てる無限の距離に気付く。逆説的だが、これは単なるレトリックでない。どれほど親密な相手であっても、 他者という束縛から逃れて一つとなることなど不可能なのだ。

 この心理的な無限遠に囚われた主人公が、各ステージでそれぞれのテーマをもって語られる。それぞれ環境や視点、 演出が異なるため貴樹が別人にも見える。彼の抱える想いが少しずつその彩りを変えてゆくからだ。いや、彼の変わらぬ想いが、 それぞれの環境に照らされて現す姿を変えているのかもしれない。そして主人公は、人と人との距離という、 この人間の運命的な現実を成長とともに受け入れていく。

秒速5センチメートル5 この繊細なストーリーは、新海作品の映像性と、 情景の詩情性あってこそ成立しているといっても過言ではない。登場人物たちの心情は、 光を多用した風景描写によってより鮮やかに彩られる。彼らの何気ない仕草や景色の変化は場面のニュアンスを匂い立たせる。 若い頃に抱えた心の痛みと感受性は、映像的なアニメーションと選び取られた言葉によって繊細な部分まで丁寧に汲み取られている。

 今までの2作品の中で、若者の抱える純粋な心情がもっとも痛切に描写された作品だ。遠野貴樹の思い悩みは、前作、 前々作のテーマとも重なる。宇宙、迂遠の場所、恋人と対象は変わるが、対象への思いが身を焦がすほどの憧れであるのには変わりない。 作品を重ねるごとにテーマは明確になり、ついに主人公は監督と同世代の人間にまで降りてきた。この過程は新海誠の監督の手腕だけでなく、 彼自身の成長の過程でもある。
 これから新海監督は青春時代の記憶、そして現在の自身をどのように理解し、表現していくのだろうか。 この繊細で豊かな感性を持った監督の次回作が、今からもう楽しみでたまらない。

(2007.4.15)

秒速5センチメートル 2007年 日本
監督:新海誠
脚本:新海誠
作画監督:西村貴世
美術:丹治匠,馬島亮子
声の出演:水橋研二,近藤好美,尾上綾華,花村怜美 他
公式
(C)Makoto Shinkai / CoMix Wave Films

2007/04/22/20:08 | トラックバック (0)
松本不二人 ,「ひ」行作品 ,話題作チェック
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