投げては返し、投げては返し。黙ってボールを投げ合うだけなのに、
不思議と心が満たされるキャッチボール。筆者が少年時分には、路地や空き地などでよく父親と飽きもせずにやっていたものだったが、
安全を理由に公園で禁止されるようになってからはすっかりやる人の姿も消えてしまったようだ。
そんな廃れ気味のキャッチボールも、専用球「ゆうボール」の開発や公園でのフェンス設置など、
環境の見直しが進むにつれて復活の兆しを見せているという。そして、この近年の静かなブームを見越したかのように、
キャッチボールを題材にした心温まる映画が公開される。その名も「キャッチボール屋」。
本作は、ひょんなことから東京の一角にある公園で、10分100円でキャッチボールをする
「キャッチボール屋」を引き継ぐことになった、人生どん詰まりの負け組男が、
キャッチボールを目当てに訪れる奇妙な常連客との交流を通じて再生していく姿を描いた物語だ。
単独では初主演作となる大森南朋の朴訥とした雰囲気、寺島進を筆頭に松重豊、三石研、水橋研二、峰岸徹、内田春菊、
庵野秀明と一癖も二癖もある多彩な脇役陣、そしてのんびりしたリズムを生み出すキャッチボール風景などと相俟って、
画面一杯に醸し出されるほのぼのとした空気がなんとも心地好い。わけても大崎監督自身が「キャッチボールに対して強い思い入れがある」
と述べているだけあって、「捕る側がどんな球でも受け止めてあげなければ続かない」というキャッチボールの核心――「相手に対する思いやり」
の大切さを再確認させてくれる作品に仕上がっている。
非現実的で不思議なシチュエーションや奇抜なエピソード群の中に、
現実的な問題をさりげなく交錯させた独特な劇空間が本作の持ち味の一つだが、
注目すべきはそうしたファンタジックな作風を基調としていながらも、それが物語の表層的な装いに留まっていないことだろう。即ち、
自らの属する社会から分離した主人公が、通過儀礼を経て再び自らの属すべき場所へと帰還するという神話的構造を、
この脚本は確かに踏襲しているのである。
冒頭、会社をリストラされて田舎に一時帰郷した大森南朋扮する主人公タカシが、高校時代の野球部監督に会いに行くシーンで、
少しボケ始めた監督との意味をなさない頓珍漢なやりとりが描かれている。単なる受け狙いのようにも見える監督の造形だが、彼が「ボケ」
という現実と非現実の中間を彷徨う存在に設定されていることは見逃すべきではない。
物語の幕を上げ、そして下ろす役割を担う、この超現実的な属性を与えられた人物の存在は、いわば、
彼と接触することでタカシのミニマルな神話的冒険が始まることを宣言するために配置されていると言っていいだろう。
かくして、東京の一角にある公園を舞台に繰り広げられる、時にユーモラスで時に心温まる数々の神話的冒険の果てに、「人生の負け組男」
は一つの真理に辿り着く。それは老荘思想で言うところの「不用の用(=役に立たないように見えて、実はちゃんと何かの役に立っていること)」
そのものだ。
率直に言えば、大崎監督の初監督作品ということで、演出面などに生硬さを感じる部分があることは否定できない。しかし、『 「人生の負け組」なんていやしない、誰もが「人生の勝ち組」になりうるのだ』という人生賛歌のメッセージを優しく謳った本作は、 ちりばめられた独特のユーモアとペーソスによって、なんとも言いようのない味わいのある作品になっている。「人生の負け組」 を自覚している人もそうでない人も、観終わった後にちょっぴり穏やかな気持ちにしてくれる癒し系の映画だ。
(2006.10.12)
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10時半の山口百恵。~「キャッチボール屋」~ E ペパーミントの魔術師
ふと気がつくと東京に来てた、公園のベンチで寝てた。 え?何で俺ここにいるの? チョットの間かわってくれませんか? お困りのようでしたので部屋貸します。 ...
Tracked on 2007/08/29(水)17:40:39
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