戦後の混乱期という未曾有の時代、往々にして混乱を制するのは法ではなく"力"の方が圧倒的に多く、また容易であったのかもしれない。本作「血と骨」は、
1920年代に済州島から大阪に渡り、圧倒的な力の誇示と行使とによって戦後の混乱期を乗り切るも、それ故に没落した男・
金俊平の一代記である。
息子の正雄のナレーションで幕が上がる本作は、息子の視点を通じて父親の姿を相対化する「父子物語」の大定番を踏襲する形で進行する。が、
このありふれた体裁が、実に表面上のものでしかないということが徐々に明らかになっていく。それは恰も、
俊平の荒ぶる行動の数々に焦点を当て続けることで、物語の基本軸として明示した「父と息子の対立関係」を意図的に逸脱させ、それをもって
「父子物語」という通俗的な物語化を拒む「金俊平」という存在のスケールを表現しようと試みているかのようである。
この試みは、必然的に物語としてのメリハリを欠けさせることとなったが、その一方で俊平という男が生み出す強烈な重力場に、
否応もなく引きずり込まれる周辺人物達の苦渋に満ちた姿を浮き彫りにすることとなった。脇を固める若手俳優陣、
わけても唯一人俊平に敢然と対峙した長男を演じたオダギリジョーや、「池田屋の階段落ち」を髣髴させる見事な落ちっぷりを披露した――
尤も流石にあれはスタントであろうか、ギィヤアアアァァァアアという絶叫が今も耳に残るが――田畑智子など、
確かな存在感で物語を支えて印象深い。ただ、「血は母より、骨は父より受け継ぐ」というキャッチコピーにあるように、
俊平と対をなす女傑のような存在かに思われた鈴木京香扮する英姫の影が、余りにも薄いことが意外と言えば意外であった。が、
これは限られた時間で俊平という存在に肉迫するにはやむをえない判断だったのかもしれない。英姫の存在感を大胆に消すことでしか、本作は
「父子の物語」という枠組みからの逸脱がもたらす歪みを回避することができなかったのだろう。いずれにしても、
これによって本作は名実共に正雄の物語ではなく、俊平(とその周囲の人々)の物語となり得たと言ってよい。
さて、問題の俊平である。色と金という、およそ人が求めるモノの中で最もシンプルなものを手段を選ばずに追い求めた男。
家族だろうが誰だろうが、自分以外の誰がどうなろうと構わず、あくまでも自己の欲望に忠実であり続けた男。蹴る、
殴るは当たり前の野卑で利己的、欲望の権化としか言いようがないが、必ずしも冷血漢とも言い切れない複雑怪奇なこの男を、
確かにたけしは熱演している。愛人清子が元気な頃、奔放に性を謳歌するだけでなく、
脳腫瘍で不自由な身になった清子を甲斐甲斐しく介護する姿は胸に迫るものがあるが、とりわけ年老いて身体の自由が余り利かなくなってからの、
生木のような枯れ具合が実に良い味を出しているのである。それまでの悪行の報いのように周囲から辛い仕打ちを受け、
英姫の葬式に参列できないことを承知で赴き一人立ち去る侘びしげな後ろ姿。貸金業の手伝いを息子にやらせようにも辛辣に突き放され、
挑み掛かろうともままならぬ――それでも最後の最後まで突っ張り通すことしかできない俊平の姿には、
人間の業と呼ぶしかないものが確かに刻印されている。
ただ、それが「怪物」と呼ばれるほどのものであるとは、筆者には到底思えない。少なくともたけし扮する俊平からは、「怪物」
の片鱗を窺うことはできなかった。と言うのも、本作でたけしが見せた乱闘パフォーマンスの数々に、
迫力や脅威を覚えることが遂になかったからである。「雷オヤジ」という言葉を知らない若い世代が観れば、或いは「圧倒的な暴力」
に映るかもしれないが、筆者の年代にとっては、本作ほど極端ではないにしても、
暴力というものが今とは較べものにならないほど身近にあったせいか、本作にそれほどの「暴力性」を見出すことができないのだ。敢えて言うが、
この程度の暴力性ならば、嘗てテレビで人気を博した昭和的ホームコメディ「寺内貫太郎一家」の小林亜星にも見出せたように思うし、
「乱暴なオヤジ」像はビートたけし自身がコントネタにしていたくらいである。これはまた息子が成長し、俊平自身が体力的に衰えるに伴って、
暴力シーンが恐るべきものではなく、祝祭的な騒動のような趣を呈すようになるなど、描かれ方が変遷していくことにも起因するだろう。
勿論、「寺内貫太郎一家」にしろ「暴れコント」にしろ、本作とは全くベクトルの異なるものだが、
コメディのネタにされるくらい昭和のオヤジ達は家父長の特権の如くよく「切れた」ものだったのである。そして、
本作でたけしが演じる俊平の暴力性はそれを超えるものとは到底言えず、どこまでも昭和的な、
隣近所にいてもおかしくないレベルに留まっているのだ。その意味で、本作は「怪物」と呼ばれ周囲から畏れられた俊平という男を掘り下げて、
人間の持つプリミティブな力を描き出そうとしたと言うよりは、昭和史を背景に壊れていく家族の姿を描いた「在日版ブラック・ホームドラマ」
と言った方が適切であるに違いない。
そうした観点で作品を見渡せば、出征や結婚、葬式とことあるごとに集まる長屋の雰囲気や、
工場の作業場での労働者同士の会話に見られるちょっとしたユーモアなど、家庭と家庭が属する社会の周辺が実に丁寧に描きこまれており、
「在日」という社会と「昭和」という時代を土台に築き上げられたホームドラマとして希有な魅力を放つ作品となっている。
原作ファンには随分物足りない作品かもしれないが、在日社会史を自然体で圧縮して見せたというだけでも、
一見の価値はある作品と言えるだろう。
(2004.11.13)
監督・脚本:崔洋一 脚本:鄭義信 撮影:浜田毅 美術:磯見俊裕
出演:ビートたけし,鈴木京香,新井浩文,田畑智子,オダギリジョー,松重豊,中村優子,濱田マリ,北村一輝,中村優子,唯野未歩子,柏原収史,塩見三省,國村隼,寺島進,伊藤淳史,仁科貴,佐藤貢,中村麻美 (amazon検索)
血と骨
コレクターズ・エディション
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血と骨〈上〉
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<血と骨> E 楽蜻庵別館
2004年 「血と骨」製作委員会 145分 監督 崔洋一 脚本 鄭義信/崔洋一 撮影 浜田毅 音楽 岩代太郎 出演 金俊平:ビートたけし 李英...
Tracked on 2006/01/13(金)02:06:25