それなりの容姿と性格とごく平凡な恋愛観を持つ成人女性であれば、
何人かの男性とキスやセックスに溺れた経験があるだろう。その経験の当たり前な豊かさが、成人女性のエロティシズムに繋がっているわけだが、
この映画における酒井若菜が劇中で繰り返すキスシーンには、そうした意味でのリアリティが妙に強く感じられる。舌と舌を絡めあうキスに、
いつわりの恥じらいを帯びるでもなく、さりとてキスの価値を貶めるような手馴れた様子もなく、二十台前半、
あるいは中盤に差し掛かった女性として、それなりに自然な接吻にのめりこんでみせる。それほどの雰囲気のあるキスがかわされたならば、
客としては当然、それに続く行為へと期待が高まるわけだが、酒井若菜は現役アイドルなので、その先はありません。ありませんが、
その悶々を抱え込んだまま、我々は彼女の姿をほの暗い情欲のまなざしで追いかけることになる。
恥ずかしながら松尾スズキ氏の芝居を一本も見たことがない筆者には、この映画が氏の「演出作品」の初体験となった。自分は
「漫画家ではなく漫画芸術家だ!」と言い張る「石」マニアの松田龍平と、コスプレマニアにしてコミケで自作漫画を売る真性オタクのOL、
酒井若菜とのムチャクチャなラブストーリーである。
結論から言うとこの映画はとても面白い。松田龍平が、これまでのキャリアで最上の演技を披露している。原作は人気コミックらしいが、
その劇画的なキャラクター設定と動き、仰々しくも馬鹿馬鹿しい台詞回しが、彼の妖しげな佇まいに異様にフィットしているのだ。
幽玄な長身痩躯に、売れっ子・北村道子による黒光りする衣装を纏った彼は、現代日本の風景の中であっても、「さすらう」
ことが可能であることを教えてくれる。たとえバイト先の店の前に突っ立っているだけでも、松田龍平の佇まいには、
さすらいの孤影が滲んでいるのだ。
だがしかし、それでもこれは酒井若菜の映画だ。彼女はこともあろうに脱がないのだが、
脱がずとも客を魅了する肉感的なエロティシズムを全編に漲らせ、疼くような欲情を誘う。いや、監督が彼女に向ける欲情のまなざしが、
そのままフィルムに刻み付けられているというべきか。それが端的に現われているのが、しつこいほど繰り返される酒井のキスシーンなのである。
キスシーンの演出は決して上手ではなく、キスそのものの様態が今ひとつ判然としないのだが、そのぎこちなさゆえにいやらしい。ああ、
いやらしい。もちろん、その胸元を強調する衣装も、いやらしさを倍増させている。
松尾スズキ氏は万物にエロを見出しているというか、何を見てもいやらしいことばかり考えているのではないか、という気がする。
筆者も自分自身を「ポルノ野郎」だと思っているので、そのまなざしの深いエロさには非常に親しみを感じてしまった。
もちろん、これはポルノではないので、見所は他にもたくさんある。とにかくギャグのアイデアがぎっしり詰め込まれた映画なのである。
一本の映画にここまで豊饒な笑いを織り込むことができるのかと、少々驚きすら覚えた。庵野秀明が手がけた劇中劇のアニメ番組(爆笑!)、
元祖コスプレマニアの夫婦に扮する平泉成&大竹しのぶ(イデオンファン必見!)、捨て身の色気で松田龍平の唇を奪う小島聖(童貞必見!)、
等々、豪華出演陣の心憎い配置。因果と応報と栄光と墜落があざなえる縄の如く絡む、派手なストーリー展開。遊び心溢れる映像も愉快だが、
バリエーション豊かな台詞できっちり笑わせる点に、世の脚本家は戦慄しなければならない。
この柔軟で小回りのきく感性は、きっと劇作家の経験で培われ、またそれゆえに相応の人気を博してきたものと察せられるが、
その才能は映画でも十全に発揮されている。溢れるばかりの才能が、その仕事をきっちりまっとうしたとしか言いようがないのである。
欲を言えばクライマックスのあるシークエンスを、丸ごとカットして欲しいということだろうか。どう贔屓目に見ても、
あのシークエンスは寒々しい。サンボマスターや忌野清志郎はとてもいい味を出しているのだが……。
演劇人が映画を撮るのは特に珍しいことではない。オーソン・ウェルズ、ローレンス・オリビエ、イングマール・ベルインマン、ジョン・
カサヴェテス、デビッド・マメット、等々、演劇畑から映画界に転身した人から、数限りなく名監督が生まれている。筆者としては、
松尾スズキ氏の監督第二作を早くも期待しています。戯曲も読んでみたいと思います。舞台も見てみたいです。
本当に今後が期待できる新人映画監督である。
(2004.10.20)