私は数名思い浮かべることができる。この映画の上野樹里のような女子を。怒ってはいないのだが、 なぜか怒ってるような表情をしていて、男子に対する話し方がすごく素っ気無くて、映画とか漫画とか本が好きで、 かと言って友達はそういう架空の世界のものばかりというわけでもなく…。ただただ何であの子はいつも微妙に不機嫌そうなんだろう? というような女子。小学校、中学校、高校と必ず一人はそんな女子がいた。そう言えば、あの子たちもスカートよりズボン (今はパンツって言うの?)が多かったような気がする。猫背だったような気がする。貧乳だったような気もする。 化粧はしているも子もいれば薄い子もいたか…。うん。いた。確かにいたなあ! こんな女子がとこの映画のヒロインを見ながら思わずにはいられなかった。
きっとあの子たちは気がついたら男子を寄せ付けない存在になっていたのだろう。 気づいたときには手遅れでは全然ないのだが、まあいいや別にと諦めの感情でもないのだが、何と言うのだろうか…。 恋愛なんてどうでもいいよとは決して思ってはいなかっただろう。こういう子こそ、 相手のことを考えて告白できない子なのだろうと思う。とこの映画を見てそう言うのはいささかズルイと言うか「お前、 見てから言ってんじゃないよ」と思われるかも知れないが、そう思うのである。つまり、 こういう子というのは自分がどう見られているのかよく判っている。 もしくはどう見られているか自分で決め付けてしまっている子が多いように見受ける。だからきっと、「私が告白なんて、 まずキャラじゃないと思われているだろうし、それに私って振りずらいでしょ?なんで?言っとくけど自惚れじゃないよ。 なんか私が告白すると変な意味でマジっぽいでしょ」なんていう具合に自分の気持ちを伝えることよりも、 それを伝えられた相手の気持ちを考えすぎるがあまりに好きになった異性がいても告白しなかった子が多いのではないかと推察する。 よってこの手の女子は、いきなり男子が自分の懐に無防備に飛び込んでくると、 他の女子と比べてその男子を受け入れてしまう確率が高いように思える。 そしてこの映画のように強烈なしっぺ返しを食らわされるのだ。かわいそうだ。とても。
だから私はこの映画の主人公の男が好かない。
主人公は常軌を逸するほどに鈍感な男として描かれているが、そうせざるを得なかったのだろう。
人をいたわる気持ちのある男子ならば、と言うか普通の男子ならば「あ、この子を勘違いさせてしまったかも…」
と思い手を引くはずだ。さもなくばそのまま勘違いさせてやるだけやって捨てるか、情が湧いてハンパな付き合い方をするかだ。
後者のほうがまだこの主人公よりはマシだろう。なにせこいつは最後の最後まで何も気づかないのだから。「まさかお前…
ホントーに気づいてなかったんや?」と思わず故郷の言葉で突っ込んでしまった。蒼井優が言うように「バカだよ。お姉ちゃんも、
何とかさん(市原の役名)も」ということだ。普通あれだけキレられたら分かるだろ?屋上でのシーンなんか、
この子にとっては精一杯の告白じゃないか!私はこの男が上野樹里の気持ちに気づかない演技をしているものだとばかり思っていた。
が、どうやらそれは違いっていたようだ。相田翔子扮するゲロ女と付き合ってしまったりするあたりをみると。
ただしお姉ちゃんがバカなのはずっとこんな男を好きなところだ。
自腹を切って作った自主映画に込めた愛のメッセージにすら気づいてなかったですよ、この男は。
最後のラブレターでようやく気づいてましたけどね。と天国に向かって私は言いかけたが、
それではこのヒロインがあまりにやりきれないので言うのをやめた。上野樹里はこんな男の、そんなクソ鈍感なところも大好きだったからだ。
ラストの手紙の内容が泣かせるのだ。優柔不断なところが好き、情けないところが好き、 鈍感なところが好きとかいくつかダメな部分(少し違ってるかも)を出してそこが好きと書いてあり、最後に、 でもその笑顔が大好きと書いてあった。私はそこで涙が少し出た。「じゃあ、俺でも…笑顔には自信ないけど」とも思った。 でももう少し大人になったら、そういうところが全部すごくイヤになるんだよと教えてあげたいと余計なことも若干思ったが、 やっぱり彼女も普通の女の子といっしょなのだ。かわいく恋をしていたのだと思うと胸を打たれた。 主人公のバカもこれからは少しは女心が分かるようになるだろう。 これからは女子を傷つけるようなことはするなよとエールの気持ちまで喚起させてくれたのは、やっぱり上野樹里扮するヒロインだ。 (ネタバレにつき反転あり)死んでしまうなんて、あまりにかわいそう…。
(2006.11.20)
(c)2006 「虹の女神」製作委員会
主なキャスト / スタッフ
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