ピンクにゴールド、花に蝶にキラキラ。考えうる限りのかわいいものが一杯の部屋の中を、あちこちに隠されたスタッフクレジットを辿りながら探検する。そんなオープニングからして、女子のハートを鷲掴み。「ドゥーニャとデイジー」はオランダ・ベルギー合作映画で、ヒロインはモロッコ人とオランダ人。何もかもが日本からかけ離れているのに、この映像を見ていると国が違っても女の子の好きなものって同じなのだと改めて思ってしまった。好きなものが同じなら、悩みも同じ。遠すぎる国の物語なのにラブリーで身近に思えるのは、女の子たちのかわいさのせいだけではない。違うことは沢山あるけれどそれでも共通する大事なものを、カラフルなファッションやユーモアを織り込んで見せてくれるからだ。
黒い髪に黒い瞳、モロッコ人を両親に持つ純で真面目なドゥーニャ(マリアム・ハッソー二)と、金髪で露出度高め、シングルマザーに育てられ恋愛には奔放で突っ走る性格のデイジー(エヴァ・ヴァンダー・ウェイデーヴェン)。アムステルダムに暮らす18才の二人は、何もかも正反対だけれど大の親友。そんな彼女たちは、それぞれ壁に突き当たる。ドゥーニャは親戚から勧められ、意に添わないお見合いをすることに。強制的にモロッコに連れて行かれる彼女は、オランダ人にもモロッコ人にもなりきれない自分のあやふやさと、見えない未来に思い悩む。一方デイジーは思いがけない妊娠が発覚。産むことを迷うデイジーは、自分が望まれて生まれたのかを知るためにモロッコにいる父親を探してドゥーニャの後を追う。こうしてモロッコでの二人の旅が始まった……のだけれど、この物語少し欲張りなのだ。ヒロインたちだけでも自分探しに妊娠に恋愛に親子関係と問題山積なのに、オランダの移民事情、異文化交流、モロッコの風景と中身がぱんぱんに詰まっている。そのため何故かデイジーの父親もモロッコにいるという設定だったり、要となる二人の旅に割かれる時間が短めだったり、さぞかし波瀾万丈だったであろうデイジーのモロッコへの一人旅は全く描かれないなど、多少展開に強引なところがあるのは否めない。でもこの映画、憎めないのだ。
それは何より、ドゥーニャとデイジーの魅力のせいだ。好きな男の子サミルの前で照れまくるドゥーニャは心底かわいいし、サミルにドゥーニャの気持ちを伝えるデイジーのおせっかいには優しさが覗く。服の好みは違うのに、二人ともゴールドのネックレスを重ね付けしているのが何だか嬉しい。この映画はオランダで2002年から2004年に放送されたTVドラマ「ドゥーニャとデイジー」を元に、監督ダナ・ネクスタンをはじめ同じキャストとスタッフで製作されたものなのだが、デコボコながら微笑ましい二人の姿を見ているとドラマが大人気であったことも納得できてしまう。そんな二人の「私はどう生きていけばいいの?」「私のルーツはどこにあるの?」という悩みは万国共通だし、そこに正面からぶつかっていく姿は健気で応援したくなるのだ。
それから、二人を取りまく文化の違いがユーモラスかつ興味深く描かれていること。人口の17%が移民を含む外国人というオランダと、異国そのもののモロッコで繰り広げられる物語には、文化や宗教が異なることから生まれるエピソードがあちこちに現れる。家に帰ったドゥーニャを待ち受けている親類たちの民族衣装には、ドゥーニャならずも一瞬言葉を失うほど異文化感に満ち満ちている。彼らがおもむろにドゥーニャに渡した誕生日プレゼントは、世界遺産の遺跡アイト・ベン・ハッドウがプリントされたオシャレでもなんでもない1500ピースのパズル。デイジーは相変わらずの格好で歩き回り、女性が肌を見せないムスリムの人々の空気を微妙にしてしまう。旅の途中ではタクシー代を誤摩化されかけ、高いガイド料を巻き上げられ、早朝の祈りの時間を告げる放送に叩き起こされ、オランダ語とアラビア語と英語にフランス語が入り乱れる会話に苦戦し……観客は二人と一緒に苦笑いしたり驚いたりしながら、異国へと引き込まれていく。
“自分探し”というテーマは決してめずらしくないけれど、「ドゥーニャとデイジー」がオリジナルの輝きを持っているのは、そんなモロッコという異国の姿と様々な“違い”が二人の旅に織り込まれて描かれるからだろう。
二人きりの旅が映画全体に占める割合は決して大きくないものの、心の変化を時々の光景とシンクロさせていて強く印象に残る。けれども決して、名所旧跡をめぐる“モロッコ観光案内”にはなっていない。私事で恐縮だが、以前モロッコに行ったことがある。訪ねた街で眼に飛び込んできたのは、小さな店がひしめき合い迷路のように入り組んだ賑やかな市場や、モスクや門を飾る気が遠くなるほど細やかで鮮やかなモザイクだった。けれどそんなお決まりの風景も、カサブランカの大都会と旧市街が共存したアンバランスな佇まいや、マラケシュ名物の大広場に立ち並ぶ屋台の群れも、この映画では映されない。風景は最小限、あくまでドゥーニャとデイジーの心情を表現するものだけが選ばれている。マラケシュの市場は真夜中で静まりかえっているが、暗闇の中で離ればなれになった二人が呼び合う姿には互いを必要としている思いがあふれる。「グラディエーター」や「アラビアのロレンス」などが撮影されたアイト・ベン・ハッドウすら映るのはパズルと同じ遠景のみ。映画は遺跡を描写するのではなく、ドゥーニャの気持ちを描写する。二人のアップが多く登場するけれど、ぬかりなく画面に映し込まれる風景が効いている。二人のことを思うと、その近くに寄り添っていた心情を表わす風景が思い浮かぶのだ。
そして、描かれる沢山の“違い”。友達との違い、親と子の違い、国の違い、文化の違い、宗教の違い……「私たちの周囲に存在する“違い”と、どう生きていくのか」という問いかけが、物語の背後に読み取れる。けれどこの映画には、あくまで自分探しという身の丈サイズの問題を中心に据えることで、背景にある社会の大きな問題を透かして見せる企みが感じられ、結果的にその企みは成功している。メッセージを声高に語らなくても、ドゥーニャとデイジーが少しずつ理解していく人生の学びに、それらは全て含まれているのだ。
旅の終わりに、二人は夜空の下に並んで寝転がる。このときデイジーがドゥーニャのカーディガンを着ているのは、二人の仲の良さを改めて表わすだけでなく、モロッコで肌を見せまくっていたデイジーが違う文化を思いやるようになった証しでもあるのだ。異なる文化を背負っているが故に衝突していた二つの家族も、共に歌い踊る。違いをトゲのように突き出してぶつかり合うのではなく、必要とあらばトゲをぶつけないで近づける角度を見つけだし、互いの距離を縮めることだってできる。二人の女の子と二つの家族が溶け合うささやかな姿には、大きな希望がさりげなくにじんでいた。
旅という、偶然が偶然を呼ぶ道行きは人生に似ている。ドゥーニャとデイジーは偶然と思いつきで進んでいく旅の中で、これまでに起こった出来事や出会いのどれが欠けても今の自分がいないことに気付く。それはまさに、自分を形づくるひとつひとつのピースを確かめる旅だった。ひたすらかわいく始まった物語は、大海原を飛んでいく孤独なカモメの歌で少し苦く締めくくられる。けれどこの物語を見終えた後ならば、巣から飛び立ち母鳥とも別れゆくカモメは力強く飛んでいくと思えるのだ。旅と人生を噛み締めこの歌を聞く二人は、少し大人びて見えた。
旅の初めはピンクとキラキラ。でもその道行きで様々なかけらを集め二人が組み上げた人生というパズルは、きっと一言では言い表せない複雑で豊かな色合いをしているのだ。
(2009.10.15)
ドゥーニャとデイジー 2008年 オランダ・ベルギー
監督:ダナ・ネクスタン 脚本:ロバート・アルバベルディング・タイム 撮影:ベルト・ポット
美術:ジェラルド・ローマンズ、ミンカ・モーレン 音楽:スティーブ・ウィラード
出演:マリアム・ハッソーニ、エヴァ・ヴァンダー・ウェイデーヴェン、クリスティン・ヴァン・ストラーレン、
テーオ・マーセン、ラチダ・イアッララ
(C)2007 DUNYA & DESIE DE FILM CV
11月7日(土)新宿K’s cinemaにてロードショー!
主なキャスト / スタッフ
TRACKBACK URL: