映画における「孔雀」といえば、フェデリコ・フェリーニのノスタルジックな名作『アマルコルド』(74)を真っ先に思い出す。故郷の港町、リミニでの少年時代を主人公が回想する映画で、降りしきる雪の中に燦然と尾羽を広げる孔雀と、そんな神々しい光景に見とれる少年たちの瞳を捉えたショットが映画のハイライトになっていた。チャン・イーモウの監督作品をはじめ、ハリウッドにおいても長く撮影監督を務めてきたクー・チャンウェイのデビュー作である本作もまた、中国の地方都市に暮らす名も無き一家の日々を、主人公の青年が回想するドラマであり、ある時点で登場する孔雀が重要な役割を担う作品である。
語り手は三人兄弟の末っ子、ウェイチャンだ。図体のでかい長兄ウェイクオは脳に病気を抱えた障害者。お人好しだが職場では苛められてばかりである。姉のウェイホンは三つ編みのお下げが似合う可憐な少女。地味な生活からの脱却を夢見、エキセントリックな行動を繰り返す。父親はどこまでも旧式の、無口で無愛想な人間。母親は愛する子どもたちに振り回されて心労が募る一方だ。こういった家族劇の語り手は、中立的でナイーブで良心的な人物の場合が多いが、本作のウェイチャンはかなり自己中心的で物騒なダメ人間である。そんな人物たちによって構成される一家の家族史が、文化大革命が終わったばかりの77年、大人たちの権威が崩壊しつつあった時代から語り起こされる。
異国を強烈に感じさせるのが、冒頭近くに置かれた、保育園にずらりと並んだおまるに幼児たちがしゃがみこんでいる光景だ。子どもたちは養鶏場の鶏が一列に並んで卵を産み落とすが如くのほほんと排泄している。そこに語り部の姉のウェイホンが、あらぬ夢でも見ている心あらずな顔で平然と佇んでいる。ひどく不潔な光景だが、人間の原始的な営為が日常生活の中にごろんと転がるこの時代の暮らしぶりを、一瞬で伝え切っている。一家が人通りの多い集合住宅の路地裏(というより通路)で食事している場面も、生活環境の劣悪と貧しさをありありと伝えて秀逸だ。そしてウェイホンは、そんな世界の中の異物として存在しているのである。
愛くるしい童顔の彼女だが、決して品行方正なヒロインではない。顔色から着衣から物腰まですべてが灰色に閉ざされた女たちに混じって瓶洗いに励む日々に、彼女はうんざりしている。ある日、空から落下傘部隊が降ってきた。彼女の脳裏に、颯爽と草原に降り立つ自分自身の姿が鮮明に映し出された。勇ましい制服に身を包んで大空から降り立ったらどんなに気持ちがいいだろう。どんなに熱烈な賞賛を浴びることだろう。そんな彼女の夢想は、映画館で見せられた無数のプロパガンダ映画によって刷り込まれ、再構成されたものでしかない。だが彼女はそんな巧妙な仕掛けに気づくこともなく、"刷り込まれた夢"へ向かって猪突猛進する。落下傘部隊に入ることを志願し、それが叶わなければ自らパラシュートをミシンで縫製する。その水色のパラシュートがスクリーンに花開く場面は、まさに「夢」のようだ。ウェイホンの顔には輝かしい笑みが広がり、人々は彼女に賛美と感嘆のまなざしを送るだろう。だが「夢」が長続きすることはない。いじましい現実が彼女の後を追いかけ、パラシュートをあっさり萎ませる。
夢破れて自室でハンストに入る彼女を、家族は無視できない。ドアを破り、力ずくで押さえ込んで食べ物を口に押し付ける。彼女は激しく抵抗した後、家族がじっと見守る中、憤然とした顔でモグモグと食べ物を頬張る。その直情的で乱暴な家族のありようが、政府によって与えられた「刷り込まれた夢」に対置される。つまり、この家族のありようや室内に一列に並んだおまるこそが、人間の本然なのである。
登場人物の中で、その本然をありのままに生きる者が一人だけいる。脳を患って障害者となった長兄のウェイクオだ。周囲から小バカにされながらも、天真爛漫な笑みを浮かべて日々をやり過ごすウェイクオには、妹ウェイホンのような夢想癖も、弟ウェイチャンのような鬱屈した自意識もないかに見える。好きな女性が出来たら、本能が命じるまま、場違いな大輪のひまわりを手にしてのこのこと接近を図る。彼の行為は、当然、周囲からの嘲笑を誘う。このパート、障害者をダシにしてありきたりなヒューマニズムに堕したきらいがなくもないが、彼のように天衣無縫に生きる人物――差別用語で言うところの白痴――が用意周到に準備されていることに注目すべきであろう。
特にウェイクオの人生を一変させる女性との出会いがあってからの成り行きには、作者のメッセージが控えめに提示されているようで興味深い。それは決してドラマティックなものではなく、喜劇的でも悲劇的でもない、単に「現実的」というほかない成り行きだが、彼がある女性と屋台を引いて薄闇の路地を横切るなんでもないショットの中に、彼らの暮すいびつな世界へのかすかな希望がこめられていると筆者は思った。
これは決して心地よいノスタルジーに浸るだけの感傷的なドラマではない。創作の根幹に、時の政府に対する強い怒りが横たわっている真摯なドラマだと思う(もちろん、監督は笑って否定するだろうが)。歯痒いくらいゆったりとしたペースで綴られる物語だし、どことなく予定調和を感じさせるシチュエーションやシーンもある。それでも、永遠に好転することがないであろう人びとの人生を描く手つきには深い悲しみと限りない優しさが込められていて、心を揺さぶられずにはいられない。あの美しい孔雀は、この世のものとも思えぬその尾羽をいつか彼らに広げて見せてくれることがあるのだろうか。誰かの手によって作られた「この世」を越えるという奇跡を、ただの一瞬でも見せてくれるだろうか。彼ら一家の物語は、この世の内側にとどまり続けるしかない我々自身の物語でもある。
(2007.2.8)
2月17日より渋谷Q-AXシネマにてロードショー
母娘ペアで来場の方は、二人で2500円になる
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劇場窓口でお問い合わせ下さい。
2006年 中国
監督:クー・チャンウェイ
脚本:リー・チャン
撮影:ヤン・シュー
出演:チャン・チンチュー,フェン・リー,ルゥ・ユウライ 他
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