今作のことを知ったときに、正直には「なぜ、今、「チャタレー夫人の恋人」をまたも映画化するのか?」だった。過去に何度も映画化されている題材だし、「現在に映画化するにおいて新たな視点を付け加えることが可能なのか?」と思った。そして、イギリスやアメリカで今年公開されたときに、とても評価が高いことを知り、「これは何かある」とも思い、調べたところ、去年のセザール賞で作品賞、主演女優賞、脚色賞、撮影賞、衣装美術賞の5部門を受賞していた。これだけの主要部門の賞を受賞していることで俄然興味を持った。
しかも、調べてみたら監督はパスカル・フェランだった。彼女は、ジャン=ピエール・リモザンの秀作「夜の天使」(86)の脚本を書いているうえに、アルノー・デプレシャンの「魂を救え!」などの脚本にも参加している。しかも、監督デビュー作の「Petits arrangements avec les morts」(94:英語タイトルは「Coming to Terms with the Dead」)では、カンヌ映画祭での「カメラ・ドール」こと新人監督賞 やベルギーのナミュールでのフランス語の映画国際映画祭でも作品賞を受賞している。この作品は夏の海岸の砂浜で40歳の男が砂の城を作っているのを見ている9歳の少年と30歳の男とその妹の20代の女性の視点から描いたものだった。フランソワ・オゾンの作風やタランティーノの「パルプ・フィクション」を思い出すが、前者が同じく海岸を舞台に中篇を撮っていた「サマードレス」(96)や 「海をみる」(96)よりも2年早く、後者とは同年なので影響は受けていない。次に撮った監督第二作の「a.b.c.(アー・ベー・セー)の可能性」(95)も高く評価されてヴェネチア映画祭の国際評論賞を受賞している。そこから11年ぶりに撮ったのが「レディ・チャタレー」なのである。脚本に興味がある者としては、このパスカル・フェランの経歴も見逃せないものだった。
映画を観てすぐに演出や撮影、俳優の演技を観て、今作の傑作を確信したが観終えるときには今作の持つ豊潤な素晴らしさに圧倒された。今作の大きな特徴は、「チャタレー夫人」のよく知られている第三稿ではなく、第二稿を基にしていることだ。あまり知られていないことで、今作に付随して知ったが、原作者のD.H.ロレンスは、3つのヴァーションの「チャタレー夫人」を書いている。「チャタレー夫人の恋人」の題名で世に広く知られている第三稿をロレンスは、D.H.ロレンスは決定版と考え、死の数ヶ月前の1928年3月に自費出版している。一つの小説に複数のヴァージョンが存在することは何の不思議もないが、文学史上例を見ないのは、D.H.ロレンスの書き方であった。D.H.ロレンスは「チャタレー夫人」の原稿を書き上げて数ヶ月間放っておくと、別の原稿に移り、また「チャタレー夫人」に戻ってくると、前の原稿に修正を施すのではなく、全く別のヴァージョンを書いてしまう。同じようにして、さらに第三のヴァージョンである第三稿が書かれている。三つのヴァージョンには共通する筋や状況が存在するが、厳密に似たような文章や台詞は一切なく、登場人物にしても、主要な4人の登場人物、すなわちチャタレー夫人、夫のクリフォード、浮気相手になる森の猟番(名前は各ヴァージョンで異なる)、クリフォードの看護人のボルトン夫人は、各ヴァージョンによって、かなり異なる。つまり、それぞれに独立した三つの異なる作品が存在することになっているのだ。
パスカル・フェランはこう語る。「今回映画化された第二稿は、第三稿よりもはるかに文字通り植物に覆われている。植物界は2人の登場人物を結び付ける躍動する生命の隠喩であるばかりでなく、彼らの関係が変化する場面には絶えず立ち会っている。私が思うに、ここにこそ第2稿の最大の美しさがある。愛の物語は、この変化の具体的な経験とともにしかありえないのである」。
まさにその通りの作品に仕上がっていて、何度も出てくる森の描写の繊細さは素晴らしい。今作の撮影のジュリアン・ハーシュは、リモザンの「NOVO/ノボ」(02)やゴダールの「愛の世紀」(01) や「アワーミュージック」(04)を撮った人物で、その年のベストの1本であった(近年のゴダール作品の中でも格段に優れていた)「アワーミュージック」の撮影の素晴らしさに圧倒された者としては納得だった。
(2007.11.2)
レディ・チャタレー 2006年 ベルギー・フランス・イギリス
監督/脚本:パスカル・フェラン
脚本:ロジェ・ボーボ
撮影:ジュリアン・ハーシュ
美術:フランソワ=ルノー・ラバルテ
出演:マリナ・ハンズ,
ジャン=ルイ・クロック,イポリット・ジラルド 他
11/3(土)より、シネマライズ他全国順次ロードショー
主なキャスト / スタッフ
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