(ネタバレあり!)
西川美和監督の話を、間近で聞いたことがある。「ゆれる」(06)公開前の記者会見だったのだが、その時監督にちょっと惚れた。美人だから、だけではない。それまでも美人という枕詞付きで散々騒がれてきただろうに、そんなことにまるで頼っていない媚びない雰囲気、映画へのあふれる情熱、そして自作に限らず映画界全体を俯瞰している視野の広さが格好よかった。オリジナル脚本にこだわるところも格好いい。そしてそこで描かれるのが、矛盾に満ちた人間の姿であることに痺れてしまう。「人の闇の部分に気付くと創作意欲がわく」と監督が語ったことを覚えているが、作品で常に描かれるのは外見だけではわからない人間の内面だ。
デビュー作「蛇イチゴ」(02)では、一見幸せそうな家庭が深刻なほころびを抱えていることが明かされた。面白いように家族が崩壊していく中で、いったい誰が信じられるのか分からない状態に突き落とされ映画は終わる。二作目の「ゆれる」では一人の女性の死をめぐり、仲がいいはずの兄弟の本音があらわになる。故郷を捨てた者と残された者との間にある複雑な心境や愛情と裏腹の憎悪など、秘められていた感情が吐き出され人の心の底知れなさを見せつけられた。
いずれの映画でも、家族の行く末ははっきりせず、事件の真相は明確にされず、登場人物たちの心情も二転三転し誰が善で誰が悪なのか判断できない。全てが曖昧で矛盾をはらんでいる。けれど本来、人や世の中とはそういうものではないのか。そんな白と黒で塗り分けられない灰色の混沌を抱えた世界を、監督は一貫して描き続けている。
それでいて、後味は不思議に悪くない。物語がまずエンターテインメントとして面白くラストにはある種のカタルシスが感じられることや、使われている音楽の適度な力の抜け具合にも理由があるだろう。しかし何より、人間の闇を描くことは正しく強い部分だけでなく過ちを犯す弱さも含めて、人を丸ごと受け止めることに通じるからかも知れない。西川監督の映画を見ると薄暗い部分があるのは自分だけではないと分かって、どこか安心してしまうところもある。
西川監督は、いま一番応援したい映画監督の一人だ。待ちに待っていた3年ぶりの新作「Dear Doctor」(09)は期待以上の内容で、監督の才能に惚れ直した一作だった。
棚田に囲まれた村に勤務するたった一人の医師、伊野(笑福亭鶴瓶)。昼夜を問わず働く伊野は村の医療を一手に引き受け、神様仏様以上に頼りにされている。しかしある日突然、彼は村から姿を消す。警察は捜査を始めるが、行方が掴めないばかりか村の誰も彼の素性を知らないことが分かってくる。一体、伊野は何者なのか?
「Dear Doctor」は田舎で働く医師の物語だ。危篤状態の老人を前にした家族の微妙な思惑、孤独ゆえに精神のバランスを崩した老女への往診。一つひとつのエピソードには綿密な取材の成果が感じられ、ユーモラスでありながらキレイごとではない人間の生々しい姿が垣間見える。映画中盤で急患が運び込まれるシーンは圧巻だ。一刻を争うスリリングな場面であると同時に、伊野に関わるある事実を匂わせているのも上手い。
「Dear Doctor」は伊野の謎をめぐる物語でもある。映画は、刑事が伊野の行方を追う現在と都会から若い研修医がやってくる過去とが交互に描かれるのだが、村の神様である伊野と謎の存在である伊野が対比され、サスペンスめいた面白さが加わっている。果たしてどちらの彼が真の姿なのかと、見る者は翻弄されるのだ。
そして「Dear Doctor」は、“人が何者かになること”についての物語だ。実は、伊野には医師の資格がない。高給目当てか医師への憧れか、理由ははっきり語られないが彼は嘘をついて医者になっていた。同時に、他の医師が来たがらない僻地で献身的に診療し、村の役に立っていたことも事実だ。資格がなくても治療はできたし、彼がいなければ死んだはずの人もいた。一方で村の人々が、何かおかしいと気付きながら彼を医者に仕立てた上げた面もあるだろう。けれどそうしなければ、彼らは暮らしていけなかったのだ。誰に何の罪を問えるのか? 単純に割り切ることのできない灰色の状況が、ここでも描かれる。
これは決して映画の中だけの話ではない。似たようなことは日常でも起こりうる。「Dear Doctor」は、監督が「初めて自分について書いた物語」だという。前作「ゆれる」の公開後、監督は周囲から“才能ある映画監督”ともてはやされるが、その状況に違和感や居心地の悪さを感じていたというのだ。「私自身がそうであるように、何かに“なりすまして”生きている感覚はきっと誰しもあるでしょうし。それで世の中がかろうじて成り立っている部分もあるはずです」
もしも誰もが何かの仕事や役割に“なりすまして”いるのならば、信じられると思っていた肩書きや資格に何の意味があるのか。“なりすまして”いるニセ物で世の中が成り立っているのなら、社会はどれだけあやふやなものなのか。この映画は「田舎の医師の物語」のふりをして、人や社会の持つ別の側面を暴いてしまうのだ。
「Dear Doctor」では、個人的な経験をエンターテインメントとして組み立て、さらに普遍的なテーマへと昇華させた監督の手腕に驚かされたが、見るべきところは他にもある。一斉にそよぐ緑の稲穂や夕闇に沈む村の光景は美しいだけでなく、挟み込まれるタイミングが良くて、はっとさせられることがあった。後ろ姿のままで重要な科白を語らせたり、あえて遠目で人物を捉える“見せない”演出も冴えている。繊細な描写の積み重ねが、心にひたひたと寄せてくるような深みを映画に与えているのだ。伊野の光と影もそうして描かれる。診療の帰り際、ペンライトを手元でくるくる回し「さよなら」を伝える伊野の仕草にはかわいげすらあり、暗闇の中で遠くに見える光が儚く魅力的なシーンでもあった。一方で、夜明けの診療所に座る後ろ姿には、科白もなく表情も見えないのにまるで別人のような凄みが漂う。描写が重なるほどに、混沌は増していく。彼の罪を思っても、嘘を抱え続けるには弱すぎ優しすぎた姿が思い浮かび、やりきれない気持ちにさせられるのだ。ソツのない演技を見せサプライズに終わらなかった笑福亭鶴瓶をはじめキャスティングはいつもながら的確で、映画のあちこちに散りばめられた科白も上手くテーマをあぶりだしていて印象的だった。
前二作の家庭崩壊や死亡事故のような強烈な要素がない「Dear Doctor」には、心に切り込んでくる激しさや衝撃はないかも知れない。けれど、物語は穏やかであるが巧みに綴られ、そこに託された問いは深みを増している。物語を楽しんでいるうちに忍ばされている問いが心の中に入り込み、揺るぎないと思っていた人や社会への価値観が揺さぶられる……「Dear Doctor」はそんな体験を味あわせてくれる映画なのだ。
(2009.6.26)
Dear Doctor 2009年 日本
原作・脚本・監督:西川美和 撮影:柳島克己 美術:三ツ松けいこ
出演:笑福亭鶴瓶,瑛太,余貴美子,井川遥,香川照之,八千草薫
原案小説:「きのうの神さま」西川美和著(ポプラ社刊)
配給:エンジンフイルム+アスミック・エース (C)2009『Dear Doctor』製作委員会
6月27日(土)シネカノン有楽町1丁目ほか全国ロードショー
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