川本昭人監督の半世紀にわたる愛の記録
2009年4月5日、オバマ米国大統領がチェコのプラハで行った演説のなかで「核兵器のない世界を目指す」と表明したことには驚かされた。世界で最も多くの核兵器を保持する米国のトップが随分と大胆な決断をしたものだ、と。しかもブッシュ前政権は包括的核実験禁止条約(CTBT)への批准を拒否していたというのに、思い切った政策転換だ。このプラハ演説は日本をはじめ、国際社会にも好意的に受け止められた。
続いて今月6日には、もう1つの核兵器大量保有国であるロシアと米国との間で新たな核軍縮条約について基本合意が成立し、さらにイタリアで行われた主要国首脳会議(ラクイラ・サミット)では「核兵器のない世界に向けた状況をつくることを約束する」との声明が発表された。ここに至り、かつてないほどまでに核廃絶の気運が国際的に高まっている。長きにわたって核廃絶を訴えてきた被爆地の広島、長崎からもこれを歓迎し、評価する声が上がっている。また、国際原子力機関(IAEA)次期事務局長に日本の天野之弥氏が任命されることも決まり、我々も身近な問題として、核廃絶について真摯に考える契機となりそうだ。世界で唯一の被爆国である日本こそが、核兵器の恐ろしさや愚かさを真に訴える力があるはずだと筆者は思う。本作『妻の貌』は原爆症に苦しむ1人の女性の姿を追ったドキュメンタリーだが、このような時期に公開されるのはまさにタイムリーと言えるだろう。
本作は、広島在住の川本昭人監督が妻のキヨ子さんの日常を、長男が誕生した1958年から半世紀に及んでカメラに収めた記録である。1人の人間が50年も同じ被写体を撮り続けるということは、家族でなければできないことだし、それでもそう容易にできることではない。川本監督の熱意には、ただただ頭が下がる。
キヨ子さんは1945年8月6日午前8時15分の広島原爆投下後に、家族を捜すために広島市内に入ったことにより被爆(入市被爆)し、1968年に原爆症に認定された。甲状腺ガンを煩い、倦怠感が常につきまとい、定期的な通院と酸素ボンベが欠かせなくなってしまった人生。それでも夫の母の介護、2人の息子の子育て、子供の独立、孫の誕生……。何気ない日々をつつましやかに生きる様子が克明に記録されていく。その日常は決してドラマチックなものではない。姑の世話をし、孫の誕生を喜び、その成長に目を細め、淡々と日々を過ごしていく。だがそれは心の平穏からきているものではなく、思い通りに動かない自身の体への諦念と原爆で負った心の傷によるためだ。
キヨ子さんの外見は健常者と何ら変わらない。顔や手足など人の目につきやすい部位に傷跡や火傷があるわけではない。だから彼女が被爆者と知らなければ、ちょっと体が不自由な老婦人、という程度の認識にとどまり、原爆症による倦怠感に苦しんでいるということまでに思いが至らないであろう。ましてや原爆が心に暗い影を落としていることにも気付くことはない。そんな彼女の心の影を掬い取ったのは、夫である川本監督だ。プロの俳優でもない、一般人の妻を被写体にして、その作品を公開するというのは、それなりの覚悟が必要だったことだろうし、撮影を躊躇するような事態にも遭遇するはずだ。でも、家族だからこそ、他人では気付かないような細やかな心の動きや些細な日常をカメラに収めることができたのだろう。キヨ子さんのアイロンがけをする姿から、ピアノの発表会で演奏する孫娘への慈しみが感じられる眼差しから垣間見ることができる、キヨ子さんの原爆による苦しみや悲しみ、家族の成長に対するささやかな喜びを、繊細にカメラに収めている。川本監督が「撮影することが私の愛情表現」と語っている通り、キヨ子さんを捉える視線は温かく、優しく、そして力強い。
酸素マスクを当てて横たわるキヨ子さんの姿を見ると、原爆が投下されていなければ……という思いがどうしても頭をよぎる。もし戦争が始まらなければ、原爆投下がなければ、恐らくキヨ子さんは元気に暮らしていたことだろう。旅行に頻繁に出かけられたかもしれないし、スポーツを楽しむことができたかもしれない。ほんのささやかなことであっても、健康であれば享受できたかもしれない楽しみを奪ってしまった原爆を憎まずにはいられない。なぜ無辜の市民が長年にわたって、このような辛い目に遭わなくてはならないのか、と。
当のキヨ子さんは原爆に対し、原爆を落とした米国に対し、無意味な戦争を続けた日本に対し、あからさまな怒りを見せているわけではない。広島で被爆したことも運命として受け入れているかのように見える。本作は声高く反戦を訴える映画ではない。だが、原爆で弟を亡くし、弟の妻だった女性からの「お姉様」と語りかける手紙に涙を流したり、原爆の日に祈りを捧げるキヨ子さんの姿には決して薄れることのない原爆への、どこにぶつけていいのか分からない憤りが、静かに伝わってくる。戦争が終わって半世紀以上が過ぎても、キヨ子さんのなかでは戦争が終わっていないことを痛感する。それを象徴するように、原爆ドームが映し出される。
キヨ子さんに代わって、原爆に対する怒りを露わにした女性が登場する。キヨ子さんが一時入院することとなった時のこと。同室の女性も原爆症患者で体に傷跡が残っているという。彼女は一瞬のためらいの後、服を脱いで傷跡をカメラに向ける。女性ならば自分の裸体、それも傷ついた体を、身内でもない人が撮影するカメラの前で晒すことには大きな抵抗を感じるだろう。プロの女優でも「ヌードはイヤ!」と断固拒否する人も少なくないというのに。だが、あえてその女性は原爆による傷を、裸身を見せることで、原爆への怒りを表したのだ。一昨年公開されたスティーヴン・オカザキ監督の『ヒロシマナガサキ』(07)でも被爆者の男性が今まで隠していた傷跡を、初めて見せてくれたシーンがあった。被爆者の高齢化が進み、記録を収めたいというオカザキ監督の熱意に押されたこともあったが、やはり男性の心の底辺にあったものは原爆への憤りだったのではないだろうか。そのシーンを彷彿させるような、痛々しくも勇気ある行動に対して、見る者は決して目を背けてはいけない。その傷跡から想像できる原爆の恐ろしさを目に焼き付けておくことこそが被写体となった女性への、撮影を続けた川本監督への敬意を示すことに他ならないからだ。
キヨ子さんの願い。それは「一日も早く元気になること」だ。キヨ子さんは誰かを責めているのではない。謝罪してほしいと思っているわけでもない。ただ、「元気になりたい」、そして「前を見て生きたい」だけなのだ。そう願うことは贅沢でも何でもなく、当然のことだ。キヨ子さんが「元気になりたい」理由として、「みんなに迷惑をかけるから」とつぶやく。カメラを近づける川本監督が、言葉を一瞬詰まらせたのには心が痛んだ。だが、同時に強い感動を覚えた。長年、妻の苦しみを共有してきた監督だが、妻の予想外の言葉に虚を突かれた様子が伝わってくる。監督自身がカメラを回しているからこそ、被写体の妻の心に寄り添っているからこそ、監督の一瞬の動揺が見ている側にも分かり、キヨ子さんだけが被写体なのではなく、監督の「妻への愛情」も被写体だったことに気付かされたからだ。キヨ子さんを通して、監督自身の心を映し出したラブレターと言っても過言ではない。この映画のなかにはつくりものはない。全てが本物だ。本物の持つ力は虚構にはかなわない。キヨ子さんの苦しみも悲しみも、怒りも喜びも、監督の深い愛情も本物であるからこそ、ドラマチックではない日常の一コマからでもそれらが十二分に伝わり、見る者の心に響く。
もうすぐ64年目の「あの日」が巡ってくる。キヨ子さんも原爆の犠牲になった人々を悼み、平和への祈りを捧げることだろう。そして我々は何をすべきなのか?
冒頭に記した通り、国際的な核廃絶の気運の高まりは歓迎すべきことだ。だが、これはまだ単なる始まりにすぎない。真の核廃絶を達成するのには時間もかかるだろうし、決して平坦な道のりではないはずだ。日本の外交努力は当然必要だが、一般市民の我々もただ傍観しているだけではなく、核廃絶は人類共通の課題と捉えて、意識を高めていく必要があると思う。
同時に原爆の悲惨さを決して忘れることなく、負の遺産として後世に伝えていくべきだ。被爆者の高齢化が進み、原爆を身を以て体験した人が年々少なくなっていくなか、原爆の記憶をいかにして次世代へ残していくべきかということは、言うまでもなく大きな課題である。本作は原爆の惨状について、直接的に描いているわけではない。だが、原爆によって心身ともに傷ついた人の姿を映し出し、その苦しみが戦後60年以上経った現在までも続いていることを改めて痛感させられる。傷ついた人を目の当たりにし、その痛みを感じることは辛い行為だ。でも、戦争を知らない世代に生まれた我々にできることは、せめて痛みを共有し、心に刻むことだ。そして、その痛みを平和への希求に繋げることだ。そのためにも、1人でも多くの人に、それも若い世代の人達に本作を見ていただきたい。そして、キヨ子さんの痛みに寄り添ってもらいたい、と強く願わずにはいられない。
(2009.7.18)
妻の貌 2008年 日本
監督・撮影・編集:川本昭人 編集:小野瀬幸喜/ナレーター:岩崎徹、谷信子、川本昭人
配給:『妻の貌』上映委員会 配給協力:KAWASAKIアーツ、東風
7月25日よりユーロスペース、川崎市アートセンターにて、
8月1日より横浜ジャック&ベティにてロードショー
- 監督:スティーヴン・オカザキ
- マクザム
- 発売日: 2008-03-28
- おすすめ度:
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