いよいよ私にとっての最終日である。事前に用意した10枚のチケットのうち、既に8枚を使い、残りは2枚。帰りの飛行機が20時半発なので、3本観ても間に合う。これも福岡の利便性の恩恵である。当日券を1枚買い足して、時間いっぱいまで映画を観ることにした。
『虹の兵士たち』(インドネシア)10:20~ エルガーラホール
原作はインドネシア最高のベストセラー、映画自体もインドネシアで最高の動員数を記録したという本作は、劣悪な環境下で情熱を持って指導する小学校教師と個性豊かな子供たちの絆を通して教育の尊さを説く真摯な作品である。
舞台となったブリテン島は天然資源に恵まれ、インドネシアでは比較的豊かな島だが、その恩恵を享受しているのは一部の富裕層であり、下級労働者の子供たちは小学校に通うことさえままならない厳しい現状が横たわっている。そんな子供たちに教科のみならずイスラム教と道徳を教えようと、強い信念を持って子供と向き合う若い女性教師がいた。彼女は10人の児童を“虹の兵士たち”と名付ける。
映画が始まると、ブリテン島の豊かな自然と青い空に心奪われる。冒頭の開校の場面から“虹の兵士たち”が巻き起こす様々な騒動、独立記念祭の仮想コンテスト、初恋、友情、そしてクライマックスのクイズ大会…と、奇をてらわず一つ一つのエピソードを丁寧に綴っていく。
通学路を巨大なワニが遮るほどの大自然を捉えた映像が美しく、大スクリーンで観ると、35mmフィルムが映し出す空の青が尚一層心を揺さぶる。オーディションで選ばれたという子供たちが実に表情豊かで、熱意溢れる女性教師と懐の広い校長先生も実に魅力ある人物だ。次第にスクリーンに引き込まれる。
時代は1970年代だが、裸足で学校に通わなければならないほどの貧困があり、一方で富裕層の子供は小ぎれいな制服に身を包み、設備が整った学校に通っている。そういった格差を浮き彫りにしているが、貧困という現実を受け入れ、それでも夢を持ってポジティブに生きる姿に悲壮感はなく、むしろ仮想コンテストやクイズ大会での“虹の兵士たち”の活躍は映画的なカタルシスに満ちている。
意表を突く展開があるわけでも、斬新な技法が用いられているわけでもないが、愛すべき人物たちの魅力あるエピソードを、美しい映像でテンポよく綴った、映像表現の基本に忠実な作品である。その真摯さがまっすぐ心に響いた。
どこか我が国の『二十四の瞳』を髣髴とさせるストーリーであるが、本作はフィクションではなく、ブリテン島に生まれ育ったアンドレア・ヒラタの自伝小説の映画化である。
上映後、原作者のアンドレア・ヒラタと、校長先生を演じた役者イクラナガラを迎えてQ&Aが行われた。
左側:アンドレア・ヒラタ 右側:イクラナガラ
9/22@エルガーラホール<アンドレア・ヒラタは決して作家ではなく、恩師への感謝の意を示すために書いた自伝が出版され、ベストセラーとなり、映画化された経緯を語った。
Q&Aでは、ゲストの二人が名前に関する面白いエピソードを披露してくれた。インドネシアでは名前の概念が他国とは異なり、何度でも自由に改名できるという。アンドレア・ヒラタはこれまでに5回も改名したらしい。アンドレアという響きに惹かれ、来世を意味するヒラタを付けて現在の名前に至ったとのこと。
また、インドネシアではファースト・ネームとファミリー・ネームという概念がなく、アメリカでの生活経験のあるイクラナガラは、役所の手続きの際に、ファースト・ネームの欄に"NFN"、ファミリー・ネームの欄にイクラナガラと(英語綴りで)記入したという。"NFN"は"No First Name"の略である。
映画化にあたりアンドレア・ヒラタは、リリ・リザ監督に二つの条件を提示したという。一つは脚本に参加することだが、もう一つが難題である。それは、映画を観た観客が鏡を見て自分自身を一層好きになれる映画にするという条件だ。 日本語教師を目指す韓国人留学生が、教師という職業の素晴らしさを教えてくれたことに感謝するコメントをしたのが印象的だった。どうやら二つ目の条件もクリアできたようだ。
『ザクロとミルラ』(パレスチナ) 13:30~ エルガーラホール
映画は結婚式の場面から始まる。花嫁と花婿はそれぞれ教会に向かうが、途中で検問に止められる。舞台はパレスチナである。
冒頭から不穏な空気が漂い、パレスチナ舞踊の踊り手であるアマルと、オリーブを栽培するザイドは、結婚後容赦なくイスラエルによる洗礼を受ける。
オリーブの収穫を祝っている席に突然現れたイスラエル兵は、ザイドの農園を有無を言わせず没収し、抵抗したザイトは拘束されてしまう。やがて農園にはイスラエルからの入植者が訪れ、一触即発の空気が流れる。
本作を理解するには、パレスチナの複雑な社会背景を知らなければならない。上映後にゲストのナジュワ・ナッジャール監督がパレスチナの状況を説明した。イスラエル占領下のパレスチナには、パレスチナ人の自治区が点在しており、自治区の間を移動するにはイスラエル兵の検問を幾つも通らなければならない。検問を通過できるか否かは兵士の気分次第だという。
パレスチナ人=イスラム教徒というイメージが強いが、本作はクリスチャンのパレスチナ人を描いている。その点を観客から指摘されると、実はパレスチナでもクリスチャンが20%を占めているという。続けてナッジャール監督は、ユダヤ対イスラムという宗教問題として捉えられがちなパレスチナ紛争は、宗教とは関係のない土地争いであると語尾を強める。本作が描いているのも、正しく農園の所有権をめぐるトラブルであり、8%しかパレスチナ人の土地として認められていないというパレスチナの現状を反映している。
ナジュワ・ナッジャール監督 9/22@エルガーラホール劇中でアマルが踊る舞踏は、パレスチナの伝統舞踏を基に映画のために創作されたオリジナルである。舞踏によってパレスチナの怒りを表現したという。
また、出演者の中に一際存在感を放つ見覚えのある女優を見付けた。『シリアの花嫁』『パラダイス・ナウ』など中東の映画のみならず、『扉をたたく人』『リミッツ・オブ・コントロール』などアメリカ映画にも出演を果たしているヒアム・アッバスである。ナッジャール監督によれば、彼女は中東で大スターだが、ダメ元で出演を依頼したところ、脚本を読んで快諾したという。
撮影に当っては事前に検問の場所を確認し、一つでも検問の少ない道順を選んで移動したと、パレスチナならではの撮影の苦労を監督が語る。撮影中も緊張の連続であったことは想像に難くない。
完成後はパレスチナで上映されて一定の評価を得たが、一方イスラエルによる逆プロパガンダに利用され、映画を観ていないパレスチナ人から批判を浴びたという。パレスチナで映画を撮ることの難しさ、それでも映像で表現したいというナッジャール監督の熱い思いが伝わるQ&Aだった。
タイトルの『ザクロとミルラ』は、甘さ(ザクロ)と苦さ(ミルラという香辛料)を意味している。それはパレスチナの美しさと置かれた状況の厳しさのメタファーである。
『酒を呑むなら』(韓国)16:20~ 西鉄ホール
失恋した男ヒョクチンを慰めるために、酒の席で友人たちが本人の意思を無視して旅行を計画する。半ば強制的に友人の善意に付き合わされるヒョクチンだが、翌日約束の場所へ行くと誰もおらず、二日酔いで来れないと言う。いい加減な友人たちに呆れるヒョクチンだが、それは悲劇の前兆に過ぎなかった。
かくして一人旅をする羽目になったヒョクチン。彼の旅の顛末を描いたロードムービーである。出会いと別れがあり、行きずりの女との甘いロマンスを期待したくなるが、ノ・ヨンソク監督は観客とヒョクチンをひたすら裏切り続ける。
韓国映画において、冴えない男の行き当たりバッタリの一人旅と言えば、真っ先に思い浮かぶのはホン・サンス監督である。スクリーンに漂うユルい空気はホン・サンス作品にも通じるが、ノ・ヨンソク監督は実に底意地が悪い。ヒョクチンに旅先でのロマンチックな出来事を予感させるが、その先に退屈、且つ残酷な展開を用意し、情け容赦なく奈落に突き落とす。
ヒョクチンは素直な男であり、美人には甘いが、“それ以外”には冷たい。見ず知らずの女でも、美人には無防備である。自らの欲望に忠実な人柄は、ある意味好感が持てる。ガードの甘さに酒が拍車をかけ、災難を招く。運の悪さと判断力の甘さには、ただただ笑うしかない。災難が災難を呼び、雪だるま式に拡大すると会場が乾いた笑いで包まれる。
約100万円という低予算で作られた自主映画ながら、世界各国の映画祭で賞賛される本作。ノ・ヨンソクが監督ばかりでなく、製作、脚本、撮影、音楽、録音、編集、美術を一人で担当し、更には劇中で流れる歌まで歌っているという。正に自主映画の醍醐味である。
笑いのツボをしっかり押さえていて、コメディ・センスを充分に発揮しているが、惜しむらくは映像センスの欠如である。所詮100万円の予算で、しかも13日間でデジタル撮影された作品に、35mmフィルムの美しさを求めるつもりはないが、ピントの甘さや露光不足など、撮り直した方がいいのでは…と感じるショットが散見される。画面の構成力も甚だ凡庸である。自主映画と割り切れば、さほど気にもならないが、コメディ・センスが卓越しているだけに残念に思える。
ノ・ヨンソク監督(足元の焼酎に注目)
9/22@西鉄ホール上映後、ノ・ヨンソク監督は韓国焼酎のボトルを持ってステージに現れた。劇中に何度も登場し、主人公を悲劇に導いた焼酎が、最初の質問者にプレゼントされた。
監督曰く、自らの体験に基づいたエピソードをつなぎ合わせて脚色し、脚本を執筆したとのこと。これまでに執筆した脚本を何度か映画会社に持ち込んだが、製作には至らず、いっそ自主制作で撮ることを決意し、お金のかからない脚本に仕上げたという。
また、撮影中に役者は実際にお酒を呑んで酔っていたらしい。役者のみならず、スタッフまで呑んでいたらしく、ひょっとしたらスクリーンに漂う独自のユルい空気はアルコールによる産物かもしれない。
男の身勝手な妄想と現実のギャップを描いたコメディとして充分に楽しめる娯楽作品であるが、まだまだ足りないものもある。少なくともポン・ジュノ監督の「ほえる犬は噛まない」を観た時の圧倒的なインパクトには及ばない。ポン・ジュノ監督を引き合いに出すのはハードルが高すぎるかもしれないが、ノ・ヨンソクも観客を笑わせる術を知っている監督なので、映像センスに磨きをかけて次回作を福岡に届けて欲しいと願う。
合計11本の映画を観終えると、お土産の明太子を買って地下鉄で空港へと向かった。実に充実した三日間だった。
今回の開催にあたり、映画祭ディレクターの粱木靖弘氏は映画における“わかりやすさ”の重要性に言及しているが、それはプログラムに多分に反映されている。
決してディズニー映画的な“わかりやすさ”ではない。アジアには多くの民族と言語と宗教が存在するが、我々日本人にとって、言ってしまえば対岸の火事である諸問題を、映画を通して提示し、映画の力によって痛みを共有させ、関心を持たせる、その“わかりやすさ”こそが本映画祭の持ち味である。
この“わかりやすさ”は決して容易に生み出せるのもではなく、作り手の強い信念、そして映像における表現力の賜物であると思う。
極めて主観的ではあるが、インドネシア映画『虹の兵士たち』とマレーシア映画『タレンタイム』の2本が特にわかりやすく、映画の力を強く感じた。
また、本映画祭で唯一の賞である観客賞を受賞したベトナム映画『きのう、平和の夢を見た』を観逃したことが悔やまれる。
アジアフォーカス・福岡国際映画祭は、来年記念すべき20回目を迎える。地元に根差して、福岡のみならず九州の映画文化の裾野を広げ、アジアへの社会的関心を高めることを、今までにも増して期待したい。
(2009.9.28)
アジアフォーカス・福岡国際映画祭2009 (9/18-9/27)
『虹の兵士たち』( 2008 / インドネシア / リリ・リザ監督 )
『ザクロとミルラ』( 2009 / パレスチナ / ナジュワ・ナッジャール監督 )
『酒を呑むなら』( 2008 / 韓国 / ノ・ヨンソク監督 )
- 監督:トム・マッカーシー
- 出演:リチャード・ジェンキンス, ヒアム・アッバス
- 東宝
- 発売日: 2009-11-20
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主なキャスト / スタッフ
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