今週の一本

わたしの可愛い人―シェリ

( 2009 / 英・仏・独 / スティーヴン・フリアーズ )
「だめんず」を愛した女の自己責任

富田 優子

『わたしの可愛い人―シェリ』1恋を取るのか、プライドを守るのか――。
ヒロインのレア(ミシェル・ファイファー)は、まさに究極の二者選択を迫られる。親子ほども歳の離れた恋人シェリ(ルパート・フレンド)との愛は、一生に一度きりの愛だと確信している。だからこそ、愛する人と生涯を共に過ごしたいと心から願う。でも、そうすることは、今までの自分の誇り高い人生を完全否定することになる。彼を愛しているのに、彼と一緒にいたら自分らしくいられないというジレンマ。そのとき、自分はどう決断したらいいのか……?
このような身を切られるような苦しい思いは、現代でも多くの女性が、程度の差こそあれ、多少なりとも経験をしたことがあるのではないだろうかと思う。そして、どういう決断を下したのかは人それぞれだが、いずれにしろ、自らの人生を自らの決断で選び取って生きていく女性は、素敵だと思う。
レアが生きたのは、20世紀の初頭、ベル・エポックと呼ばれた時代のパリ。当時の時代の最先端を突っ走るパリとは言え、19世紀の封建的、保守的な考え方(女性は家族が決めた男性と結婚することや仕事よりも家庭を守ることなど)がまだ色濃く残っているような時期だ。そんな時代にあって、レアの決断は、当時としてはかなり革新的だ。そして、1世紀前の女性も現代に通じる悩みを抱えていたことに、親近感を覚える。

レアの職業は、ココットと呼ばれる高級娼婦。40代後半、アラフィー世代になった今は引退し、アール・ヌーヴォー様式の屋敷で使用人に囲まれて優雅に暮らしている。この時代はココットがセレブとしてもてはやされていたという。娼婦と呼ばれる身とはいえ、彼女たちが相手をするのは、男だったら誰でもいいというわけではない。欧州の国王や政治家や文化人など、超一流の男たちばかり。ココットには男を選ぶ権利があり、男は意中のココットを手に入れるために、莫大な財産をつぎ込むのだ。本作の冒頭部でも実在した名だたるココットの武勇伝が紹介されているのだが、なかには一国の国家財政を破綻させたココットまでいたというのだから、驚きだ。
こういう書き方をすると、ココットとは「傾国の美女」的な存在で、容色しか取り柄がない悪女のように思われるかもしれない。だが、美しい顔と肉体を持っているだけではココットにはなれない。それらに加えて知性や教養、果ては自己資産の管理能力などを併せ持つ必要があったのである。高級娼婦が超一流の仕事として確立しているというのは、現代の感覚では理解しづらいのだが(恐らく日本語の「娼婦」という言葉に良い印象がないせいもあるだろう)、ココットはキャリア・ウーマンの先駆け的存在であり、レアも成功したキャリア・ウーマンの1人なのだ。

『わたしの可愛い人―シェリ』2そんなレアのもとに、同業の友人マダム・プルー(キャシー・ベイツ)が、19歳の息子シェリを、レアの手で結婚できる男に「教育」してもらえないか、と依頼にやってくる。このシェリときたら、19歳にしてすでに女遊びに飽きているという超問題児。レアは数週間のつもりでこの依頼を引き受けるのだが、不覚にもずるずると6年も生活を共にすることになる。ぬるま湯の浸かっているかのような、居心地の良い生活が続くのだろうと漠然と考えているようになっていたレアだが、ある日、マダム・プルーからシェリの結婚を決めたと告げられる。花嫁はやはり同業の友人マリ=ロール(イーベン・ヤイレ)の娘エドメ(フェリシティ・ジョーンズ)。誇り高いレアは皆の前では冷静に振舞うのだが、シェリへの想いが本物の愛であることに気づき、愕然とするのだ。

レアがココットとして成功した要因の一つは、相手の男性と本気で恋に落ちることはないように、常に自分の心を律してきたことだ。そんな彼女がはるかに年下のシェリを本気で愛してしまったことに気づき、動揺する。毒舌家のマダム・プルーやマリ=ロールなど、かつての同僚たちの前では平静を装い、シェリとエドメの結婚を祝福するが、1人ベッドで「シェリ~~っ!」と若い娘のように年甲斐もなく慟哭する。
レアはプライドの高さゆえに、周囲に弱みや傷心を見せまいとしている。彼女には心許せる友人がおらず、悩みや苦しみを打ち明けることができない。だから、シェリを失った悲しみを1人きりのときでないと吐き出せない。仕事では成功したキャリア・ウーマンではあるが、内実は孤独で不器用な女性なのだ。
一方のシェリ。彼もまた孤独だ。彼のバックグラウンドに関しては映画のなかでは詳しく触れられていないが、恐らく父親の愛を知らずに育ったのだろう。母親のマダム・プルーも「仕事」に忙しく、息子に対して心を砕くことはなかったのかもしれない。その孤独感を女や酒やアヘンなど、享楽的な遊びで紛らわすだけで、その孤独と正面から対峙することもしなかった。そして、レアとの関係も、エドメとの結婚も母親の言いなり。母親の過保護を面倒だと思いつつも、金銭的援助のことを思えば、彼女から離れることもできない。「レアといれば僕は12歳のままだ」と豪語する通り、成長しようという気骨に欠ける男だ。今で言うところの「だめんず」のカテゴリーに入る男ではないだろうか。

正直なところ、レアがシェリに惹かれた理由はよく分からない。レアほどのキャリア・ウーマンが、自分の意思を持たないような頼りない男に、なぜ惚れたのか。男女のことは第三者には分からないなどとよく言われるし、映画でもこの点は詳細に描かれていない。だが1つだけ確実に言えるのは、シェリがあまりにも美形だからだ。シェリを演じるルパート・フレンドと言えば、昨年末公開の『ヴィクトリア女王 世紀の愛』(09)で献身的に妻(女王)を支える夫君アルバート公を爽やかに演じた俳優だ。あまりの凛々しさに、筆者の「いいオトコ・センサー」がピコピコと反応したことを思い出す(詳しくは『ヴィクトリア女王 世紀の愛』のレビューを参照のこと)。そして当然(?)、今回も「いいオトコ・センサー」は見事に作動した。前作での男らしく精悍なアルバート公とは一転、本作では「人生に対してやる気なし」オーラが漂いまくっているルパートだが、腐っても鯛というか、やはり美形は美形。マダム・ブルーによってシェリと引き合わされたときのレアの、彼をうっとりと見つめる眼差しときたら。その瞬間、きっとレアの心でも「いいオトコ・センサー」が鳴っていたことだろう。

『わたしの可愛い人―シェリ』3レアとシェリの6年間は、マダム・プルーの当初の狙いは外れ、シェリを立派な男に成長させることはなかった。シェリも結婚して初めて、レアへの愛がいかに深いかを悟るのだが、如何せん「だめんず」。精神的に成長しておらず、新婚旅行から帰ってきた後の、彼のご都合主義的な提案はレアを失望させるものだった。レアにとってはまさに、恋を取るか、プライドを守るのかという究極の決断でもあったのに、シェリはレアの切実な心情を全く分かろうともしない。それどころか、彼の提案を拒否したレアに対し、ある種の逆ギレまで起こす。彼が“I was ……”とか“I loved ……”などと過去形で語るシーンは悲しい。お互いを熱烈に愛していたことを確信したのに、次のシーンでは男が逆ギレで、6年間のすべてが無に帰すことになった瞬間だったのだ。ここでレアはシェリがだめんずであったことを痛感し、プライドを取り戻す。そして、シェリに対して彼を成長させてあげられなかったことを詫びるのだ。

自分の許から愛する人が離れていこうとするときに、相手に対して自分の力不足を謝るなんて、相当の覚悟と誇りがないとできないだろう。仮にここでレアが泣き叫んでシェリを引き留めようとしても、観客からすれば非難されることではないと思う。それが彼女の真実の思いなのだから。
でも、レアのプライドがそれを許さなかった。相手に泣きつくなんて無粋だし、自分で自分を貶める行為以外の何者でもない。ギリギリのところで踏みとどまったレアの潔い決意を悲しく思うと同時に、その決意を天晴れ!とも思うのであった。ただ同性として、何となくレアが損をしているような、中途半端な感も否めなかったのだ。

だが、ラストのラスト、思わず「よっしゃ!」とガッツポーズをしてしまった。本作の監督は、『危険な関係』(88)、『ヘンダーソン夫人の贈り物』(05)、『クィーン』(06)などでも誇り高い女性たちを描いてきたスティーヴン・フリアーズ。彼はレアの決断がいかに正しかったかということを、ラストのラストで証明できるような、素敵なご褒美を用意してくれたのだ。女性から見れば、溜飲を下げたくようなナレーションが、シェリがレアの許を去った後に、さらりと入り、そのモヤモヤ感を一気に払拭してくれた(ちなみに本作のナレーターはフリアーズが担当)。フリアーズの、レアへの、そして女性に対する心遣いにも感謝しながら、爽快な気持ちで映画館を後にすることができるだろう。

レアの姿勢は、現代の女性たちにとって、今後、万一、だめんずと出会ってしまったときのガイドラインにもなりそうだ。恋とは、とどのつまりは自己責任なのだ。その自覚を持たないと、とんでもないトラブルに巻き込まれてしまうのは、昔も今も変わらない。どんな状況に陥っても、自分自身を見失わず生きることの大切さ、そして、自分自身に誇りを持てる生き方をしてほしいとの思いが詰まった、素敵な作品である。

(2010.10.15)

わたしの可愛い人―シェリ 2009 英・仏・独
監督:スティーヴン・フリアーズ 脚本:クリストファー・ハンプトン
製作:ビル・ケンライト 共同製作:アンドラス・ハモリ 共同製作:トレーシー・シーワード
撮影監督:ダリウス・コンジィ 美術:アラン・マクドナルド メーキャップ:ダニエル・フィリップス 編集:ルチア・ズケッティ
音楽:アレクサンドル・デプラ 衣装:コンソラータ・ボイル
原作:コレット「シェリ」岩波文庫刊 /「声に出して読む翻訳コレクション コレット1」左右社刊
サウンドトラック:『わたしの可愛い人―シェリ』(ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメント/ランブリング・レコーズ
出演:ルパート・フレンド,キャシー・べイツ,フェリシティ・ジョーンズ,イーベン・ヤイレ,フランセス・トメリー,アニタ・パレンバーグ
ハリエット・ウォルター,ベット・ボーン,ギャべ・ブラウン,トム・バルク,ニコラ・マックリーフ,トビー・ケベル,スティーヴン・フリアーズ
2009年/英・仏・独/90分/カラー/シネマスコープ/ドルビーデジタル/字幕監修:工藤庸子/日本版字幕:古田由紀子
協力:マキシム・ド・パリ 配給:セテラ・インターナショナル (c) TIGGY FILMS LIMITED & UK FILM COUNCIL 2009

2010年10月16日(土) Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開

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  • 監督:スティーヴン・フリアーズ
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2010/10/21/13:42 | トラックバック (4)
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