(ネタバレの可能性あり)「プライドと偏見」(05)で華々しいデビューを飾ったジョー・ライト監督の第二作目となる今作も、著名小説を原作にした文芸大作となった。原作となるブッカー賞作家イアン・マキューアンの「贖罪」は、極めて技巧的な小説であるために映像化は困難と言われていたが、ジョー・ライトは映画的技巧を駆使して映像化に挑み、その挑戦は成功を収めたと言っていいだろう。海外で批評家受けが凄く良いという噂は聞いていたが、なるほど本作の緻密な計算と隙のない演出力には目を瞠るものがある。
物語の舞台は1935年のイギリス、政府官僚を父に持つセシーリア(キーラ・ナイトレイ)とブライオニー(シアーシャ・ローナン)姉妹は、徐々に近づく戦争とは無縁の穏やかな日常を送っていた。そんな折、友人を連れて帰省した兄を迎える晩餐会で事件が起こる。家庭の事情で一時的に引き取られていた、いとこの双子が家出をしてしまったのだ。家の者が総出で双子を捜す中、双子の姉であるローラが何者かに襲われかけるという更なる事件が発生、現場から逃げていく人影を目撃したブライオニーは、それが使用人の息子ロビー(ジェームズ・マカヴォイ)であったと嘘の証言をしてしまう。
ロビーは双子を保護して連れて帰るが、待ち受けていた警察に連行されることとなり、事件の直前に愛を確かめ合ったセシーリアとも離ればなれになってしまうのだった。四年後、服役と軍務の選択を迫られたロビーは、ドイツの進軍を阻止すべくフランスの地に出征する。戦争の過酷な現実に直面するロビーが願うのはただ一つ、本土で待つセシーリアの元に帰ることだけだった……。
粗筋を見る限り、「少女の嘘で」というイレギュラーはあるものの、「戦争で引き裂かれた男女」「身分違いの恋愛」という余りにもありがちなメロドラマを描いているように見える本作だが、観るべきは物語性ではなく、物語の「語り口」にある。
これは冒頭から既に顕著なのだが、本作では極度に情報圧縮した映像で構成されたシーンが随所に挿入されており、それ自体が物語を牽引していくようなところがある。例えば、ブライオニーが完成した自作を見せるために母親を探して邸宅内を駆けずり回る冒頭のシークエンスだが、単純に初めて脚本を書き上げたブライオニーの喜びと興奮を描いているように見せて、ブライオニーの住む邸宅がどれほど広大か、室内を駈けてはいけないという躾が如何に徹底されているか、使用人の存在といったタリス家の基礎情報がスピーディ且つさりげなく表現されている。最後に「作家ブライオニー・タリス」の誕生を予感させるシーンで締めくくられるこの冒頭だけで、観客の関心を一気に鷲掴みにしてしまうジョー・ライトの演出は見事の一語に尽きるだろう。
また、本作のもう一つの特徴は、視点の変換と時制の解体を駆使している点で、しばしば一つの光景を異なる視点で描きさえする。この多視点構造によって、本作はある意味で無駄としか思えない複雑さを孕むことになっている反面、その複雑さこそが物語の謎と緊張感を最後まで持続させ、本作をただのメロドラマとは一線を画した作品たらしめてもいる。何より、この複雑さとそこから派生するある種の曖昧さが、最後に登場する老ブライオニー(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)の告白に至って、その全てに明確な意図と計算があったと判明するとき、観客の殆どは大きな納得感に包まれることだろう。なるほど、そういうことだったのか、と。この喉に刺さった小骨が取れたような、まんまと一杯食わされたというような感覚は、ミステリ小説でしばしば見られる「叙述トリック」に近い。こうした原作同様の技巧的なトリックを仕掛け、それを映像表現内で破綻させることなく完璧に仕立ててみせたジョー・ライトの手腕は、僅か二作目の監督とは思えないほど非凡であり、全ては監督の技術の勝利としか言いようがない。
確かに映画としての完成度の高さは際立ったものがある本作だが、その一方で観終わった後に疑問も残る。それは果たしてこの作品が「つぐない(贖罪)」と呼ぶに値するのだろうか?という素朴な疑問だ。筆者個人としては最後に判明するブライオニーの行為を贖罪とはどうにも認めがたく、そのために本作からカタルシスを得ることはついぞなかったことを告白しなければなるまい。彼女の行為は、贖罪と呼ぶよりも単に罪悪感から解放されるための方便や自己救済にすぎない、と言ったら底意地が悪すぎるだろうか。
これは本作がブライオニーの犯した"罪"を緻密に描きはしても、"罰"は殆ど描かれずに終わることに起因しているのかもしれない。勿論、最後に登場する老ブライオニーの姓が変わっていなかったことを思えば、ブライオニーが生涯独身を貫いたであろうことも、60年以上も罪悪感を抱えていたことも容易に想像することは出来る。だが、その程度の類推では余りに弱く、表現として軽すぎるのだ。人ひとりの一生を支配したほどの"罪"を贖う「贖罪行為」を描くための前提としては。
ブライオニーの行為を贖罪となさしめるものがあるとすれば、それは恐らく本作で直截描かれることのないブライオニーの心理/意識そのものだろう。彼女がその行為を行うに至った意識の軌跡に触れて、初めてそれが贖罪なのだと共感し、納得できたのではないだろうか。
稀に見るほど精緻精妙な映画、映画らしい映画であることは間違いないのだが、これほどテーマが心に響いてこない作品というのも極めて珍しい。
(2008.4.17)
監督:ジョー・ライト 脚本:クリストファー・ハンプトン 撮影:シーマス・マッガーヴェイ
出演:キーラ・ナイトレイ,ジェームズ・マカヴォイ,ロモーラ・ガライ,ヴァネッサ・レッドグレイヴ,
シアーシャ・ローナン,ブレンダ・ブレッシン (amazon検索)
(c)2007 Universal Studios. All Rights Reserved.
4月12日より、新宿テアトルタイムズスクエア他全国順次公開
贖罪 上巻 (1)
イアン・マキューアン (著)
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プライドと偏見
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ラストキング・オブ・スコットランド
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主なキャスト / スタッフ
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