映画祭情報&レポート
第23回東京国際映画祭(10/23~31)
アジアの風部門/逸脱する子供たち
第23回東京国際映画祭レポート2

夏目 深雪

アジアの風部門

今年も東アジア・東南アジアから、西アジア、中東まで含む幅広い地域の作品を集めたアジアの風部門。東アジアからは久々に韓国映画が三作品上映され、特に人気女優ク・へソンの初監督作品『妖術』はかつての韓流ブームの盛り上がり時を彷彿とさせるパワーを感じさせた。インターネット公開の人気漫画を原作とし、音楽大学を舞台にした男女の三角関係の愛と裏切りの物語であるが、強すぎる愛と嫉妬と友情がごちゃ混ぜになり、捩れた時空に流れる素晴らしい音楽という展開はまさに韓流そのものである。音楽の一過性と青春の一過性が重なり、その儚さの余韻はいつまでも残った。中東からはイラン映画『ドッグ・スウェット』が、等身大の若い男女6人を切迫感のあるドキュメンタリータッチで描き、その知的なアプローチが印象に残った。歌をあきらめて家庭に入る女性シンガーや、ラストの音楽による諍いなど、随所に音楽が直接或いはメタファーとして現われ、音楽への強い思いは、イラン映画の「いま」を感じさせた。

逸脱する子供たち

今年のTIFFは例年になく子供を描いた映画が目立った。まだ保護が必要な、一人で行動できるわけではない、本当の子供が主人公を張っている映画……『ゼフィール』、『僕の心の奥の文法』、『小学校!』、『4枚目の似顔絵』、『マイ・オンリー・サンシャイン』、『ハンズ・アップ!』。ちなみに昨年のTIFFのラインナップをざっと見てみても、子供が主人公の映画は一本も見当たらないのだ。
私自身は、子供が主人公というだけで引いてしまう傾向がある。それはやはり大人が子供を見る視線、「可愛い」「純粋」「可能性がたくさん詰まっている」というような様々な観念の傾向が、当たり前すぎて退屈であるし、逆に映画としての広がりや可能性を限定してしまっているように思うことが多いからである。今年の子供を主人公とした映画の中でも、コンペティション部門の『僕の心の奥の文法』、『小学校!』(イバン・ノエル監督)はその枠とは違うところで様々な試みがされているものの、大枠としたはやはりそういった視線から逃れていない印象を持った。

『4枚目の似顔絵』

『4枚目の似顔絵』そこで驚かされたのが、特集「台湾電影ルネッサンス2010~美麗新生代」の枠で上映された、チョン・モンホン監督のこの映画である。主人公のウェンシャンはまだ10歳である。まだ愛らしさが残るこの少年に、父が死に、孤児となる苛酷な運命がのしかかる。お腹がすいて学校の先生の弁当を盗むが、用務員のおじさんに見つかってしまう。小言を言われながらおじさんに食事をご馳走になるが、つい涙ぐんだウェンシャンに、おじさんは手を上げ、「メソメソするな」と叱り飛ばすのである。おじさんが語り出す自らの苛酷な過去(もちろん台湾の歴史が重ねられている)を、ウェンシャンがどれだけ理解できるのかと観客が訝るほどに、おじさんは滔々と語り続ける。
ウェンシャンの周りの大人たちは、身勝手で、時には小ずるく、しかしやはりウェンシャンを一人でほっておけるわけではない、つまり等身大の大人なのである。文部省推薦映画のように、出てくる大人はみんないい人だったり、悪人はちゃんと成敗されたりするのではない。つまり話が安全地帯を出ないことが前提となってはいない。家を出て再婚している母親がウェンシャンを引き取るが、そのいかにも仕方なくといった風情に、ウェンシャンとともに観客の不安も募る。母親の再婚相手の心の闇がだんだんと明らかになる過程も、近所のチンピラと仲良くなり、二人で空き巣をするようになる過程も、サスペンス映画に劣らぬほどの緊張感が溢れている。
この映画でのウェンシャンは主人公でありながらまるで媒介のようで、むしろ不幸な翳を纏う母親、心に闇を持つ父親、複雑な家庭事情を抱えるチンピラの二面性が、ウェンシャンの目を通すことによって浮きぼりになってくる。子供の目を通した大人――つまり、私たちは、大人の世界とはどんなものであるのかを、ウェンシャンとともに追体験するのだ。ウェンシャンは絵を描くことに楽しみを見出していて、画面に提示される絵が彼の内面の変化を現していく。「4枚目の似顔絵」とはつまりカメラが捉えたウェンシャンの顔そのものであるのだが、そのこちらをじっと覗き込む瞳に、大人の世界とは一体何であるのか、ウェンシャンに問われているような居心地の悪さを感じることになる。独創性と精緻さに満ちた脚本と、奥行きのある人物描写、台湾の美しい風景を生かした撮影も素晴らしい傑作である。

『ゼフィール』

『ゼフィール』
(c)FiLMiK / FC ISTANBUL, 2010 TURKEY
もう一つの驚かされた映画は、コンペティション部門で上映された『ゼフィール』である。トルコの丘陵地帯で夏休み、祖父母の家に預けられている思春期の少女、ゼフィール。ゼフィールは母親が自分を引き取ってくれることを願っているが、母親はボランティアの仕事で遠い外国に行くことを告げ、旅立とうとしてしまう。この映画は厳しいが美しい自然の描写も、それを生かした映像美ももちろん見どころである。がとにかく素晴らしいのは結末で、それは「子供は純粋で可愛く、弱いものだ」という私たちの常識を覆して余りある。にも関わらず、巧妙な伏線や自然を生かしたメタフォリカルな映像美によりその子供の行動が非常に説得力を持っているのである。監督自身、「子供は純粋である」というクリシェを止めたいと思ってこの映画を撮ったそうで、この映画を観てしまった後の私たちは、いかに自分たちが固定観念に縛られやすい存在であり、その固定観念の中でしか安心して生きられないのかということを痛感させられるであろう。

Q&Aにはベルマ・バシュ監督とゼフィールを演じたシェイマ・ウズンラルさんが登壇した。バシュ監督はこの作品が初長編作品となる。デビュー作の短編“Poytaz”は2006年のカンヌ国際映画祭短編コンペティション部門で正式上映されたのだが、なんと完成まで12年もかかったそう。『ゼフィール』ベルマ・バシュ監督(左)とシェイマ・ウズンラルさん(中央)
ベルマ・バシュ監督とシェイマ・ウズンラルさん
エンドロールに亡くなった人二人への献辞があることへの質問に対し、監督は叔父と若くして亡くなった歌手だと事情を説明し、亡くなってしまっても共にいることを表現できるのが映画だと語った。ウズンラルさんは演じるに当たって大変だったところを聞かれると、「夜遅くまで撮影が続くことが多く、朝起きるのが大変だった」とまだ子供らしさを覗かせた。

ワールドシネマ部門で上映された『ハンズ・アップ!』(ロマン・グービル監督)は移民問題をベースに子供同士の結束と仄かな恋愛を繊細な筆致で描き、瑞々しさの点で際立っていた。この映画も常に大人との対比を忘れない子供の世界との距離感が素晴らしく、観客を突き放したラストが、逆に少年少女の淡い恋の甘さと儚さを照らし出していた。
アジアの風部門の「レハ・エルデム監督全集」で上映された『マイ・オンリー・サンシャイン』は娼婦の仲介をしている父、寝たきりの祖父の三人暮らしの少女ハヤットをの孤独な日常を淡々と描く。この映画はそもそもの設定がいわゆる子供映画には当てはまらず、かと言って何かこちらの常識を覆すような仕掛けがあるわけではない。ただトルコの美しく寂れた海辺の風景に、いつも唸るような鼻歌を歌っている少女、「ユー・アー・マイ・サンシャイン」を奇妙な高音で歌い出す人形と、詩的な映像美と効果的な音響が相俟って、少女の世界の内面の限界性、或いはそれ故の儚い美を表現して余りあった。

『マイ・オンリー・サンシャイン』
『マイ・オンリー・サンシャイン』
以上、「ベストセラー小説の映画化作品」と「子供を描いた映画」に焦点を当てて論じてみた。前者は原作との闘いがあり、後者は私たちの固定観念との闘いがあった。いくら著名な俳優が出ていて、いくら製作費がかかっていても、いくら3Dなど最新技術が駆使されていようとも、闘っていない映画はつまらないと思う。不況も底をつきつつあり、様々な映画の、監督たちの闘い方が見えてきた段階であるような印象を持った。今後も、様々なレベルでの闘いを、リアルタイムに目撃できるような映画祭であってほしいと思う。その一貫として、映画祭が終わっても映画祭或いは映画について語り合われること、そして、何よりも素晴らしい作品が一本でも多く劇場公開されることを願いたい。

(2010.11.11)

レポート1レポート2

第23回東京国際映画祭 (10/23~31) 公式

2010/11/14/16:46 | トラックバック (0)
夏目深雪 ,映画祭情報
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