(1998/ギリシャ=フランス=イタリア/テオ・ アンゲロプロス)
一日であり、永遠である、「白」

安倍 まりあ

 カラーセラピーによると「白」には人の肉体及び精神を癒し、慰める効果があるという。 それゆえ病院着には白を用いるところが多いらしい。だが同時に白は何にも属さない色であるため、 そのときの状況によっては激しい虚無感や焦燥感をもたらすこともあるそうだ。現に四方を真っ白な壁に囲まれた空間に身を置かれると、 人は神経を衰弱していくという。そこに真っ赤なナイフや紐でも置けば、かなりの確率でこの箱の中の人を自殺に追い込めるらしい。

 そんな定義にはまったく当てはまらない白を観たのは、この『永遠と一日』の劇場予告編であった。アンゲロプロス映画を支え続けるエレニ・ カラインドルーの叙情的な音楽にのって、流れるようにストーリーが語られる。「死」を前にした詩人アレクサンドレは、 これからおそらく凄絶な人生を歩んでいくであろうアルバニア難民の少年に「生」の残酷を見る。「死」へ向かうアレクサンドレの最後の「生」 の一日を、この同情すべき少年と過ごしながら、彼は自身の半生を旅していく。少年時代、妻との日々、世の常というもの、 今日という日に出会った少年との交流、自由、後悔、逡巡――。
 そして、彼の周りは真っ白になった。その白の中、黒いコートを着た彼は幽鬼のように歩くのだ。

 画の中の「白」は豊潤な「詩(ことば)」を湛えていた。世の営みにおけるすべての喜び、哀しみ、嘆き、怒り、諦観。すべてが生であり、 同時にすべての死であり、そして時間の流れであり、また止まってしまった時間である、この「白」の中で、男は喪服のような黒を纏って彷徨う。 『永遠と一日』というタイトルを感覚的に理解させる、アンゲロプロスの力技をまざまざと見せられた瞬間だった。

 震えるような期待感をもって本編に接した。ファーストカットの長回しから、 この作品が見る者の期待を決して裏切らない映画であることを直感した。 少年のアレクサンドレがあたかも産道を通るかの如く身を縮めて階段を下り、外界の大海へと繰り出していく。 人生のスタートを象徴するシーンだ。それから時は流れ、溌剌とした時代は過ぎ、もはや自らの死を肌で感じ取っているアレクサンドレは、 見知らぬ向かいの部屋の住人と音楽で交流する寂しい老い人となる。妻のアンナは数年前に亡くなっており、 たった一人の血縁の娘を頼るも婿には冷たくされ、思い出のつまった海の家まで売ったと言われる。婿の機嫌を伺うばかりで、 父の忘れ形見となるであろう犬すら預かれない娘には、それを止める術はない。大切に思っていたものが、一枚一枚、彼から剥ぎ取られていく。

 この寂寥の中、アレクサンドレは難民の少年と出会う。病に冒された老人にとっても、過酷な運命を背負う少年にとっても、もしかしたら 「最後の生の一日」になるかもしれない刹那を、彼らは共に過ごす。超えても超えようとしても死が待つであろう絶望の国境。 子どもの溺死体があがった海。生きなければならない少年と、生きることを拒まれた難民仲間の少年の死体が収められた霊安室。―― いずれも白い。今日の出来事でありながら、すべては生と死の境にある彼らにとっては「明日」かもしれない。 そんな混沌や不安がこの白に収斂されているように思った。

 静謐なトーンの画がほとんどであるが、それはアレクサンドレの覚えている妻の「生」の手触りそのものなのだろう。 はちきれんばかりの肉体を弾ませ、匂いたつような色を湛えて、全身で「愛している」と叫ぶアンナは異彩を放ち、 さながら美神のような輝きがある。だが、遺された手紙から、そんなアンナのどうしようもない孤独を知ってしまうと、 イメージの中の彼女はどんどん翳っていく。そこではじめて彼は近くにいたと思っていた妻を遠くに感じる。

「確かなものなど何もなかったのか」――

 詩人である彼は、それを確かめるべく、残酷な生を背負った少年と彼の一日を辿り、言葉を売る詩人である自身の存在否定ともなる「言葉買い」 をする。そして少年と乗ったバスの中で、これまでの彼の生き様が音楽に乗って繰り広げられていく。それらを見て、顔を合わせ、 静かに微笑みあう二人の至福の表情。忘れられないほど印象的な微笑だ。
 すべてが終わると、現在・過去・未来を象徴する黄色い雨合羽の自転車乗りが、彼らの乗ったバスを追い越していく。蝶が花々を渡っていくと、 その花が次々に開いていくかのような華やかなイメージが連なる、映画史上に残る名シーンといってよいだろう。

 「コルフーラ(私の花)」「クセニティス(よそ者)」「アルガディニ(とても遅く)」―― ラストカットで泣きながらアレクサンドレが彼岸に叫ぶこれらのキーワードは、アレクサンドレのそれまでの人生を象徴するものだ。 アレクサンドレは幸運にも詩とアンナという(私の花)を持っていた。だが、詩にもアンナにも自分は(よそ者)であった。本質が見えず、 ほんとうに大切なものに(とても遅く)に気づいたのだ。もう、今日という日には叶わないこの三つがひとつの環に唱和されたとき、 海の向こうから幼い頃に呼ばれたものと同じ懐かしい声を聞く。「アレクサンドレ、アレクサンドレ、アレクサンドレ……」
 そして彼は、この世もあの世も超えて総てを象徴する「白」へと溶け込み、彼の明日という日は「一日」であり「永遠」となる。

 この映画はどの画からも、もちろんどの台詞からも詩情が溢れている。それは痛いほど哀しく、残酷で、そして泣きたいほどに美しい。 東京国際フォーラムにて「アンゲロプロス映画祭」が開かれるが、もちろんそこでも本作は上映される。言葉と映像が、 芸術という形に昇華された、誰にも真似ができない、映画芸術の最高傑作に触れられる幸せを是非スクリーンで噛みしめたいものである。

(2004.7.7)

2005/04/26/00:25 | BBS | トラックバック (0)
安倍まりあ
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