4年ぶりの新作映画『蘇りの血』が公開される豊田利晃監督。紀州熊野に伝わる「小栗判官」の説話をモティーフに、人間の「蘇り」を描いた本作は、下北半島の自然をとらえた壮大な映像と、豊田監督も参加するバンド「TWIN TAIL」の音楽とが融合した斬新な世界観で、観る者を幻惑する。(取材/文:佐野 亨)
(忙しいスケジュールのなか、取材に応じてくれた豊田監督。「すみません。食べながらでもいいですか?」とテーブルに運ばれてきたスパゲティを食べつつ、質問に答えようとするもうまくいかない)
豊田 やっぱり無理ですね。昨日、板尾(創路)さんが食べながら取材されていたので、自分もできるかな、と思ったんですけど(笑)。先に食べちゃっていいですか?
――どうぞ、どうぞ。
(豊田監督、スパゲティを頬張る)豊田 すみません。お待たせしました。
――いえいえ。まず本作『蘇りの血』を観た感想から述べさせていただければ、いまのどんな日本映画にも似ていない作品だな、というところでしょうか。前作『空中庭園』から4年間のブランクがありましたが、そのあいだにもいろいろ映画の準備はされていたわけですよね?
豊田 ええ。いろいろ企画はありましたが、なかなか実現まではいかず……。
――今回の作品は、予算的にはかなり切り詰めたところで製作されたんですね。
豊田 もう3000万、4000万の世界ですよね。僕自身、初めての試みですけれど、それくらいの予算で10日間くらい(じっさいの撮影期間は12日間)で撮ってみるのも挑戦かな、と。自主映画的な枠組みのなかで、プロが集まって、自分たちの力を試してみようじゃないか、とそういうノリでした。自分にとって復帰作になる、とかそういった野心も全部捨てて、ローバジェットのなかでやりたいことを自由にやってしまおう、と。いわゆるマーケティングリサーチ型の映画づくりだと、主役はこいつにしろ、とかうるさく言ってくる奴が必ずいるので、そういう意見をまったく聞かず、やりたいようにやれる環境ではありました。
――「小栗判官」を題材にしようと思われたきっかけは?
豊田 『空中庭園』のあと、しばらく岡山にいたんですよ。それから約一年後に東京へ戻り、新作の準備を始めたんですが、やむなく中止になって、半年くらい引きこもっていたんです。これじゃ体にわるいと思って、旅に出よう、と。それで渋川(清彦)くんと一緒に和歌山へ行き、熊野古道を歩いていたら、壺湯を見つけた。そこに掲げられていた「小栗判官」の物語を読んだとき、自分のなかで漠然と考えていた「蘇り」というテーマにつながったんですね。
――岡山にいるあいだに、中村達也さん、勝井祐二さん、照井利幸さんとTWIN TAILの活動を始められるわけですね。
豊田 以前から、VJの機材を使って、ライブ会場で映画を見せるという試みはしていたんですよ。僕の映画音楽を担当してくれているDIPのやまじかずひでと一緒に。それを達也さんたちが面白がってくれて、TWIN TAILに映像で参加してくれないかという話を持ちかけられたんです。
――中村さんとはそれ以前から交流があったんですか?
豊田 友達というほど親しくはなかったです。千原(ジュニア)くんが達也さんと仲がいいので、彼を介して、たまに顔を合わせる程度で……。
――なるほど。そこからどういう経緯で今回、映画をつくることになったのですか?
豊田 最初はTWIN TAILの20分くらいのPVをつくろうかな、と考えていたんですよ。でも、せっかくやるなら映画にしたい、と。バンドがCD出して、ライブやって、DVD出すって当たり前すぎて面白くないじゃないですか。僕がやるんだったら、CD出して、ライブやって、つぎは映画だ、と。そうじゃないと俺が参加する意味がないなと思ったんです。とにかく普通じゃないことをやりたかった。
――たしかに、完成した映画は「普通じゃない」作品に仕上がっています。
豊田 このままでいいんですかね。俺、けっこう腕があるんで本当はなんでも撮れるんですよ(笑)。
――ご本人のなかでは職人監督という意識があるんですか?来るもの拒まず、というか。
豊田 うーん、来るものを拒みつづけた結果、ついにどこからも声がかからなくなってしまったというのが現状ですね。職人としていろんな作品をやろうとは思っているんですけど、なかなかねえ、気持ちが追いついていかないんです。ずっと構想を練ってきた時代劇も結局予算が集まらなかったりとかして……。
――今回の『蘇りの血』もそうですが、ここにきて時代劇を撮る、というのはなにかねらいがあってのことなのでしょうか?
豊田 時代劇というよりは、ずっと自然のなかで映画を撮りたかったんですよ。それも見渡すかぎりの原生林のなかで。そう考えると、やはり時代ものがいちばんしっくりくるかな、と。ファンタジーも自分は好きなんですけど、それはたまたま「小栗判官」という物語に出会ったからで、自分のなかでは「蘇り」というテーマをきちんと描きたいという思いが強くありました。だから、僕にとっては、時代劇とかファンタジーとかっていう意識はあまりなくて、ひとつの神話ですよね。
――中村さんに映画の構想を伝えたときの反応はいかがでしたか?
豊田 (あっけらかんと)「わかった」みたいな(笑)。たぶんなにもわかっていなかったと思いますけど(笑)。ただ、この映画には彼のような本物の野生児が必要だろうな、と当初から考えていました。じっさいに撮影を始めるにあたっては、シナリオを読んだり、僕が渡した「小栗判官」の資料を熟読して、達也さんなりに作品の意図を理解していたとは思います。とにかく真面目なんですよ、彼は。撮影に入るまえに、日活撮影所で通し稽古をやったんですが、台詞を全部憶えてきていたのは達也さんだけでした。新井(浩文)くんなんかずっと台本を見ながらやっていて、内心「しばくぞ」と思いましたね(笑)。
――大王役の渋川清彦さんは、いつもの個性を活かしつつ新境地という感じで……。
豊田 大王の役は本来なら、北大路欣也さんのような俳優が演じるべきなんでしょうが、ここは渋川くんにやらせたら面白いんじゃないか、と。なんか二代目の大王、みたいな感じでしょ(笑)。きっと初代は平幹二朗さんのような威厳のある大王だったんですよ。そのダメ息子みたいな感じで(笑)。
――ヒロインを演じた草刈麻有さんも、独特の聖性をたたえた存在感で素晴らしいですね。
豊田 彼女はオーディションで選びました。TVの「3年B組金八先生」に出ているのを見ていて、すごくいいな、と思っていたんです。撮影のときは15歳で、中学3年生。だいたいオーディションに来るような女の子って、事務所から芝居の基礎を叩き込まれてるんですよ。だから、みんな同じような芝居になってしまう。草刈さんにはそういうところが感じられなかった。すごく緊張していたし、正直もっと芝居の上手い子はいたけれど、本人の持っている雰囲気が格段に違いました。
――ロケ場所は下北半島ですね。
豊田 ええ。もともと下北半島はプライベートで2回くらい訪れていて、好きな場所だったんです。ありのままの原生林が残っていて、人間の生と死を描くにはぴったりの場所だな、と。それからプロデューサーが下北半島の出身だったというのも大きかったですね。
――原生林や川の水面、空などの自然を丹念にとらえていらっしゃいますが、ああいう映像を12日間のなかで撮影されるのは大変だったのではないですか?
豊田 大変でした。運良く天候に恵まれ、予定どおりよく撮りきったと思いますよ。
――豊田監督は絵コンテは描かれない?
豊田 描かないですね。絵コンテを描くと、スタッフがナメやがるんですよ(笑)。この絵を撮ればいいんでしょ、と。そうじゃなくて、映画全体を撮る、ということを意識してくれないと困る。自分のなかでカット割りはできているんだけど、現場でどんどん変わっていきますから。
――スタッフは今回が初めての方も多かったですか?
豊田 いや、撮影と照明以外はわりと組んだことのあるスタッフが多かったですね。撮影(重森豊太郎)と照明(竹本卓司)は、以前にPVを一緒につくった2人で、CM界の超売れっ子だから「ギャラいらねえだろ」なんて冗談で言ってましたけど(笑)。
――音楽に関しては、撮影している段階からある程度用意されていたのですか?
豊田 そうですね。撮影中から、ライブやスタジオの音源を僕が編集して、それを聴きながらやっていました。編集の段になってから、それをもとにもう一回録音したんですが。TWIN TAILはインプロビゼーション(即興演奏)のバンドなので、録りためた音を編集するのは僕の役割なんですよ。今回も基本的にはそういうやりかたで音と映像をあわせていきました。
――「小栗判官」に加え、クライマックスでは、魯迅の故事成語の一編「鋳剣」がモティーフとして登場しますね。
豊田 魯迅の「鋳剣」は昔からやりたかったんですよ。1960年代に鈴木清順や大和屋竺が「この『鋳剣』を映画化したら、革命が起きる」と言ってシナリオを書いたけれど、実現しなかった。じゃあ俺がやってやるぞ、という野心がありました。それで今回の作品のアイデアを練っているとき、これは使えるかもしれないな、と思い立った。観た人は面食らうかもしれないけれど、僕のなかでは「小栗判官」と「鋳剣」ってどこかつながっているんですよ。どちらも正史をあつかった説話で、大王が登場する。大王といえば、首対首だろう、と(笑)。
( 2009.11.13 )
取材/文:佐野 亨
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