特集

イエジー・スコリモフスキ'60年代傑作選

5月29日(土)~6月11日(金) 渋谷シアター・イメージフォーラムにて

『スコリモフスキ』1『スコリモフスキ』21960年代、ポーランド映画界のヌーヴェルヴァーグとして注目を浴びながら、日本ではその監督作品がじゅうぶんに紹介されず、なかば伝説的存在と化していたイエジー・スコリモフスキ。
2009年、17年ぶりとなる新作『アンナと過ごした4日間』が公開され、世界中の映画ファンに衝撃を与えたのは記憶に新しい。
そして、このたび、スコリモフスキのルーツともいうべき60年代の初期傑作群がようやく日本国内で陽の目を見ることとなった。加えて、大部の研究書の出版も控えており、日本における「スコリモフスキ熱」は、まだ当分おさまりそうにない。
本サイトでは、中欧文化研究の分野ですぐれた業績をあげておられる森本等氏に、60年代スコリモフスキ作品の魅力とその背景について、ご紹介いただいた。未知の映画世界への入り口として、参照されたい。(編集:佐野 亨

「イエジー・スコリモフスキ'60年代傑作選」によせて
1960年代ポーランドのスコリモフスキ

特別寄稿:森本 等
1979年1月生まれ。2003年東京外国語大学外国語学部卒業。2006年同大学大学院博士前期課程修了。現在は会社員。興味の範囲は中欧文化。

コリモフスキの生年月日については、ウッチ映画大学の資料にもポーランドの百科辞典にも1936年と記載されているらしいが、一般的には1938年5月5日とされている。これには、ジフテリアなどにかかる病弱な子供であった彼を心配した母親が、戦後、大胆にも役所の書類を書き換え、2年間早く生まれたことにしてスウェーデンに療養に行かせたという背景があるとスコリモフスキ本人が語ったことがある。
例の有名なポーランド時代の4作品、『身分証明書』(1964年)、『不戦勝』(1965年)、『バリエラ』(1967年)、『手を挙げろ!』(1967年)を撮り、1967年にポーランドを出るまで、彼は血気盛んな22歳から29歳だったということだ。

『身分証明書』
『身分証明書』
アンジェイ・ワイダ監督の『夜の終わりに』(1960年)、ロマン・ポランスキ監督の『水の中のナイフ』(1961年)の脚本を執筆するなど、1963年にウッチ映画大学の監督科を卒業する前から、スコリモフスキはポーランド映画界と関わりを持っていたが、その前に、詩集『自分の近くのどこかで』(1958年)、『斧と空』(1959年)で詩人として認められていたという事実も見逃せない。当時の詩作は映画作りにも影響を与え、具体的には以下のフレーズを何度か映画に挿入している。

長い年月か、何かそれに似たものの後で、
青春のような、愛のような
すべてを修正したいと喉に手をあて、ネクタイを直す

この詩に表れている、乱暴に言ってしまえば、世の中における居心地の悪さというテーマは、その後のスコリモフスキ映画の主題となってゆく。
スコリモフスキの学生時代の作品には、ナイフ投げの男と美しい女性を描いた2分程度の短編『やぶにらみ』(1960年)、シェイクスピア劇を滑稽に描いた『小さなハムレット』(1960年)、エロティックなシチュエーションを描く『恋愛詩』(1961年)、自分の体験を生かした中編ドキュメンタリー『ボクシング』(1961年)などがあるが、映画界の注目を集めたのは映画大学の2年生の頃から自ら主演をこなし、『不戦勝』
『不戦勝』
こつこつ撮りためていた断片を集めて完成させた『身分証明書』においてだった。課題制作用に支給されるフィルムの量は決まっているのに、それをちょろまかして長編映画を作り上げたことについて、大学の方からはいやな顔をされたようである。ともかく『身分証明書』を卒業制作として提出し、彼はプロの映画の世界に入った。

戦後のポーランド映画を少しだけ振り返ってみると1945年に国有化されたポーランド映画界では、まず、第二次世界大戦から題材を採った映画が作られ、その次に、1949年ごろからソ連によって押し付けられた社会主義リアリズム映画が制作される。この時期で重要なのは、ウッチ国立映画大学が作られたことだ。
というのは、1950年代半ばに「雪解け」の訪れと共に社会主義リアリズム映画が終わりを迎え、その後新たに登場した監督群の多くがこのウッチ映画大学の卒業生であったからである。ワイダ、イェジィ・カヴァレロヴィチ、アンジェイ・ムンクらの新しい世代の監督達は後に「ポーランド派」として知られるようになる。
しかし、1960年代初めにはこの「ポーランド派」の流れは途絶え、新たな世代が登場した。それが、ロマン・ポランスキとイェジィ・スコリモフスキである。彼らは、それまでの世代とは違い、現在に取材した映画を撮ろうとした。

『バリエラ』
『バリエラ』
1965年、スコリモフスキは再び監督と主演をこなし、初の公式長編映画『不戦勝』を撮りあげた。『身分証明書』と『不戦勝』の主役は共通してアンジェイ・レシュチツという男だ。
翌年には『バリエラ』を制作し、『不戦勝』と共に西ヨーロッパで高く評価された。『バリエラ』では、当局からの指示によりスコリモフスキ自らの主演は叶わなかった。これら3つの映画の主人公はいずれも、定住することを良しとせず、常に根無し草のようにふらふらと自分の生きる道を探す、アイデンティティを模索する青年で、映画批評家達に「スーツケースを持った男」だと言われた。
『不戦勝』が西側で賞賛されたことから、ベルギーの映画会社から映画製作の話を持ちかけられたスコリモフスキはフランス語が話せないのもかまわずに、ジャン=ピエール・レオーを主役にすえ、オートレースに出たい若者についての映画『出発』(1967年)を撮った。音楽の担当はクシシュトフ・コメダであり、彼はスコリモフスキの作品では『バリエラ』、『出発』、『手を挙げろ!』の音楽も手掛けている。
『出発』を終えポーランドに戻ったスコリモフスキは『手を挙げろ!』を撮ったが、アウトサイダーな若者を主人公とした挑発的な作品の度が過ぎ、当局から公開を禁止された。人間を運ぶのではなく牛などを運ぶために使われた家畜用の列車、つまり強制収容所への輸送を連想させる列車内でバカ騒ぎをする若者達、また数秒映される加工されたスターリンの写真が議論を呼んだのは想像に難くない。この映画が公開されたのは1981年であり、その際はベイルートで撮影された映像などが追加されている。ポーランドの映画雑誌を調べてみると、制作中の映画を紹介するコーナーでは『手を挙げろ!』が扱われていたが、公開後のレビューは見当たらない。『手を挙げろ!』が公開禁止となったことに腹を立てたスコリモフスキは国外に活動の場を求めた。

『手を挙げろ!』
『手を挙げろ!』
共産主義時代、ポーランド国外に出た映画監督の作品は、基本的にはポーランドでは公開されない。そのような監督に対する評価は、メディアにおいては政府の目が光っているために、公に賞賛することは出来ず、ただ作品を紹介するに留まったり、また故意にネガティヴに評価したりすることもあった。出国後、20~30年してようやくナショナリズム的な嫌悪を止めて正当に評価しようとする傾向があるように思われる。
スコリモフスキの場合、彼に関する小さな本が出版されたのは1986年のことだった。だがこの小冊子は、一般書店で売られるものではなく、グループの内輪で読まれるべく刷られたものだった。2008年、4作品を収めたDVD-BOXが発売され、ようやくスコリモフスキに対する評価が始まったようである。

※人名表記が一般に知られているものとは異なる箇所があるが、筆者の意向を尊重し、そのままとした。(編者)

(2010.5.24)

イエジー・スコリモフスキ'60年代傑作選 二週間限定
『身分証明書』(1964年 / ポーランド / モノクロ / 75分) 『不戦勝』(1965年 / ポーランド / モノクロ / 74分)
『バリエラ』(1966年 / ポーランド / モノクロ / 81分) 『手を挙げろ!』(1967年 / ポーランド / モノクロ / 80分)
公式

5月29日(土)~6月11日(金)渋谷シアター・イメージフォーラムにて開催

アンナと過ごした4日間 [DVD] アンナと過ごした4日間 [DVD]
  • 監督:イエジー・スコリモフスキ
  • 出演:アルトゥル・ステランコ, キンガ・プレイス, イェジ・フェドロヴィチ,
    バルバラ・コウォジェイスカ
  • 発売日: 2010-05-29
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2010/05/25/11:45 | トラックバック (0)
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