特集

明日泣く

( 2011 / 日本 / 内藤誠 )
「嘘と夢」のジャズ映画

特別寄稿:荻原 魚雷

荻原 魚雷(おぎはら・ぎょらい) 1969年三重生まれ。フリーライター。著書に『活字と自活』(本の雑誌社)、『本と怠け者』(ちくま文庫)、編著に『吉行淳之介エッセイ・コレクション』(ちくま文庫)など。ブログ「文壇高円寺

明日泣く1色川武大、またの名は阿佐田哲也――。
色川名義では純文学(映画やジャズに関するエッセイ集もある)、阿佐田名義では『麻雀放浪記』をはじめ、数々のギャンブル小説を残した作家で、他にも別のペンネームで時代小説などを書いていた)。
「明日泣く」は“アイル・クライ・トゥモロウ”という小唄曲からきている。
キッコ(定岡菊子)という「好きなことをして一生完遂」することを夢見る自由奔放なアマチュアのジャズピアニストを回想した話である。
この作品は色川武大著『小さな部屋・明日泣く』(講談社文芸文庫)で読むことができる。しかもこの文庫には映画『明日泣く』の監督・内藤誠の解説が収録されている。

《ひたすら、わたしはこの作家の深いところを畏れていたのだったが、あるエッセイで色川文学への畏敬の念を文章にした。それを読んだ若い友人の伊藤彰彦が彼自身、長年あたためてきた企画として、晩年の短編「明日泣く」の映画化をかんがえ、わたしに監督をするようにと言った》(「昭和の子の文学」)

そして内藤誠(東映の『不良番長』シリーズなど)にとって二十五年ぶりの映画が作られることになった。
色川武大は不器用で不遇、おまけに不健全で不健康な人たちのことをよく書いた。利口あるいは小利口でなければ生きにくい市民社会に適応できない(しない)。彼らは「明日泣く」ことになろうとも、そういうふうにしか生きられない。
自分のことも「埒外」の人間と規定していた。当たり前のことができない以上、当たり前の幸せも望まない。そのかわり好きなことを本気で追求した。
明日泣く2「阿佐田哲也の『ギャンブル人生論』(角川文庫)の「不良少年諸君」では、「ある者は健康を破壊し、ある者は人生の袋小路に入ってしまい、まるで若さだけでむりやり生命を持続させていたように、戦後十五年ほどの間にバタバタと討死をしていきました。(中略)“蟻ときりぎりす”というイソップ童話がありますが、まさしくあのとおりで、きりぎりすが長生きしようとすると容易なことではありません」とある。
映画『明日泣く』の小説家志望でギャンブルにのめりこむ武(斎藤工)、ピアニスト志望のキッコ(汐見ゆかり)の生き方も、世間の規範から外れている。武やキッコの生き方はきりぎりすそのものだ。
また武の父親役を評論家・坪内祐三が演じているのだが、その台詞は、色川武大のデビュー作「黒い布」(『生家へ』中公文庫、講談社文芸文庫)の中で、放蕩無頼を繰り返す息子にたいして発せられた父の言葉と同じである。

《好きなことをやってれば、自然に月日が過ぎていくとでも思っているのか》

その後、武は二十二歳で小説の新人賞を受賞するが、鳴かず飛ばずの日々をすごす。
キッコはキッコで人妻になった後も夜遊びを続け、飲んだくれたり、クスリに手を出したり、順調とはほど遠い生活を送る。
いずれも一癖も二癖もある、深い屈託を抱えた人物で、かなり難しい役どころだ。でも難役をうまくこなすのではなく、ひたすら真摯に演じようとしているところに好感が持てた。
明日泣く3緊迫感のあるギャンブルのシーンと解放感のあるライブのシーン(音楽はジャズピアニストで作曲家の澁谷毅が担当)を交差させることで、心地よい緊張と緩和を生み、後向きだけど、後味はわるくない。秀逸なジャズ映画でありながら、きっちり「文学の毒」も盛られている。
どんなにおもいどおりにならなくても、無理矢理、我が道を歩む。どうなろうと、決して後悔だけはしない。
色川武大流にいえば、「嘘と夢」がちりばめられた映画である。
わたしも中年といわれる齢になって、文学や映画の「嘘と夢」になかなか酔えなくなってきている。
自由の楽しさと厳しさ、遊びの面白さと空しさ、そんな矛盾を学んでしまった(つもりになっているだけかもしれないが)。
それでも心のどこかで、勘違いして突っ走りたい、空回りしたい、損得を無視して、好きなことに一生を捧げたいという気持がくすぶっている。
世間知に染まった人から見れば、キッコのような自分の才能を顧みず、ひたすら夢を追い続ける人生は喜劇にも悲劇にも映るだろう。
しかし世の中には「嘘と夢」の世界にしか生きられない人たちがいる。彼らが生きられないような世界は窮屈だし、息苦しいし……何といっても、おもしろくない。
色川武大はそういう人々の生息領域が狭まっていくことにたいして戦い続けた作家である。
その遺志は、この映画にも受け継がれている。

(2011.11.8)

明日泣く 2011年/日本/カラー/76分/HD/ステレオ
出演:斎藤工,汐見ゆかり,武藤昭平(勝手にしやがれ),奥瀬繁,井端珠里,マービン・レノアー,坪内祐三,杉作J太郎,島田陽子(特別出演),梅宮辰夫(特別出演)
監督:内藤誠 企画:伊藤彰彦 原作:色川武大「明日泣く」(講談社文芸文庫「小さな部屋・明日泣く」所収)
エグゼクティブ・プロデューサー:坂本雅司 企画協力:奥村健 プロデューサー:大野敦子,古賀奏一郎 脚本:伊藤彰彦,内藤研
音楽:渋谷毅 撮影:月永雄太 録音:高田伸也 編集:冨永昌敬 美術:大藤邦康 ヘアメイク:橋本申二
スタイリスト:小磯和代 助監督:菊地健雄 制作担当:吉川久岳
製作:プレジュール,シネグリーオ 配給・宣伝:ブラウニー (C)2011プレジュール / シネグリーオ 
公式

11月19日(土)より、渋谷ユーロスペースほか全国順次公開

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2011/11/11/00:12 | トラックバック (0)
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