(完全ネタバレ!)
近年の劇場公開作品としては異例の動員数を叩き出した封切りから、もうじき1ヶ月が経とうとしている。現在も着実に興行成績を伸ばし続けているようで、庵野秀明のアニメ監督本格復帰作としては最高の門出となった。
本作に関しては「10年ぶり」と冠されることが多いが、それは「エヴァ」に限った話ではない。とにかく「エヴァ」以降の庵野の迷走ぶりはどこか痛々しいものがあった。筆者個人は庵野の熱烈なファンというわけではないが、「キャッチボール屋」(05)で、余りにも情けない、醜態としかいいようのない姿(そういう役柄とはいえ)を観てしまった時、凄い才能が失われる現場を目撃してしまったようなやり切れなさを感じたことを覚えている。いや、その滑稽な佇まいから笑えるシーンになっていた一方で、「アンタ、こんなところで何やってんの……」と思わずにはいられなかったのだ。
その庵野がアニメ監督として本格復帰する。今回の企画は、庵野が今後もアニメをやっていく上で、絶対に失敗できない重大案件だったことは想像するに難くない。今更「エヴァ」をやり直すことに当然批判はあるだろうが、10年のブランクがある庵野にとって完全新作は余りにもリスキーだ。失敗すれば二度とアニメを撮る機会を持てない――そう考えた庵野が辿り着いた結論が、「エヴァ」の活用だったとしてもさほどおかしくはないのではないだろうか。
しかし、そこで単なる「総集編」にしなかったのが、やはり庵野の庵野たる所以だろう。今回の「新劇場版」を旧作の焼き直しと切り捨てる人が少なくないようだが、あらかじめはっきり言っておきたい。この「ヱヴァンゲリヲン・新劇場版」は4部からなるが、恐らく各部は単体の作品として鑑賞されることを前提としていない。あくまでも「全体の中の一部をキリの良いところでカットした」作りをしており、本作は文字通り「新劇場版」という長い物語における作劇的な意味での「序」でしかない、ということだ。本作だけを観て批判するのは、上映開始30分で劇場を退席して批判するのと同じで、現時点ではナンセンスとしか言いようがないだろう。
それを踏まえた上で今作を眺めて分かるのは、TV版「エヴァ」が実に丁寧に人間ドラマを積み上げていた、という事実である。勿論、シンジやアスカを筆頭に、あの執拗で陰鬱な内面描写が何らかの形で多くの人々の琴線に触れ、キャラクターに対する過剰な感情移入を時に生み出したことは間違いない。が、実は彼ら主人公以外にも、登場人物の殆ど全てに丁寧な人間ドラマが用意されており、その小ドラマが後の展開の伏線となって大きな物語のうねりを生成していくという、極めてオーソドックスな作劇こそが「エヴァ」の魅力の本質であった。
今作が非常に淡白な・味気ない作りに感じられるのは、TV版の土台をなしていた小ドラマ群がバッサリと切り捨てられてしまっているからに他なるまい。例えば、今作ではシンジと鈴原トウジの対立は、いきなりシンジが殴られるシーンの挿入だけで済まされており、そこに至るまでのドラマ性――EVAパイロットとしてちやほやされるシンジ、EVAに憧れていたケンスケのシンジに対する妬み、その妬みから妹思いのトウジの気持ちを利用しトウジをシンジにけしかけた――は大胆に削除されている。
こうした削除は、ともすると「総集編」としてまとめるために行われたと思われがちだが、98分という今作の微妙な尺を考えると、これらの変更がそうした「尺合わせ的削除」ではないことが分かるはずだ。単純に言えば20分の余裕がある以上、今回削除された部分は尺の関係で削除されたのではなく、そこに庵野の隠された意図があると考えるべきだろう。
今作の特徴とも言えるこの「ドラマ性」の抑制は、トウジやケンスケに限ったことではなく、物語の最重要キャラであるはずの綾波に対しても施されている点は見逃すべきではない。事実、今作のクライマックスとなる「ヤシマ作戦」後には、「綾波の笑顔」という「エヴァ」屈指の名シーンが一応挿入されてはいるが、TV版ほどエモーショナルなシーンになっていない。これもそのシーンに至るまでの綾波に関する「ドラマ性」――人間性が欠落しているという面――が大幅に抑制されているからであり、もっと言えばTV版の「ヤシマ作戦」の眼目が、実はこの「綾波の笑顔」を描くためのものであったのに対して、今作の「ヤシマ作戦」の眼目は別のところに変更されているからでもある。今作における綾波の存在は明らかに「オマケ」であり、何らかの思惑で露出が最小限に留められているようだ。
今作のように、削除されることで旧作の構図が逆照射されるというのも興味深いが、そうした変更に合わせて、今作では二つのことが新たに描き直されていることに特に注目して欲しい。一つは前述の「ヤシマ作戦」が「EVA初号機パイロット・碇シンジの誕生」を主眼にして描き直されている点であり、もう一つがシンジに対して「大人」として毅然とした対応を示すミサトの姿が描かれている点である。
前者に関しては、「作戦前にクラスメイト達からの励ましの声援を受けるシンジ」という新シーンの追加などで、日本中の電力=日本国民全体の支援を一身に受けているというEVAのパイロットの立場が強調され、その立場を自覚したシンジが責任を全うすべく奮闘する姿が描かれている。それはTV版だってそうじゃないのか、という意見もあるかもしれないが、意外にもそうではない。TV版の「ヤシマ作戦」ではとにかく綾波の自棄同然の自己犠牲的な姿が強調された演出だったし、シンジは単に言われるままにEVAを操縦しているだけだ。そもそもシンジがEVAのパイロットであることを自覚する描写があるのは、物語が後半に入った第拾九話「男の戦い」においてであり、それまでのシンジは惰性でエヴァに乗り続けているだけでしかない。これは小さな違いに見えるが、物語全体としてはかなり大きな変更と言っていいだろう。
なお、この「自らの意志で戦うシンジ」を演出するために施されたも同然の使徒ラミエルのパワーアップとリニューアルされたデザインがとにかく圧倒的に素晴らしい。TV版ではただの「空飛ぶ積み木」だったのに、どこをどうするとこんな発想が出てくるのかと言わずにはいられない驚愕のデザインワークで、今作の最大の見どころと断言したい。
後者についても意外に思われる向きが多いかもしれないが、実は「エヴァ」は今作未登場の加持リョウジを除くと、主人公の周辺に「大人らしい大人」が一人も登場しない奇妙な物語でもあった。初登場時から一貫してシンジの保護者然とした態度を示していたミサトも、この点については例外ではない。「エヴァ」によって一躍有名になった「ヤマアラシのジレンマ」は、今作でもきっちりと言及されているが、作中ではシンジがこのジレンマに陥っているという流れで用いられている。しかし、「エヴァ」全編を観た者であれば、それがシンジだけに限った話ではなかったことが分かるはずだ。
本当はシンジだけではなくミサト自身もシンジに対してこのジレンマに陥っていたし、彼女自身が赤木リツコに述べたように「互いに傷つかない適当な距離をみつけること=大人の処世術」によって、その事実から目を背けていたに過ぎなかったのである。シンジを自身の住むマンションに連れ帰ったミサトが呟く「見透かされているのはこっちかもね」という言葉は、このシーンだけでなく以降の二人の関係に影を落とし続ける重要な台詞でもあったのだ。その結果として、TV版でのミサトは重要な局面でシンジからの拒絶という抵抗を受け、最終的に自身の命を落とす(旧劇場版「Air/まごころを、君に」(97))という形でそのツケを払わされることになったのだった。
それが今作では「ヤシマ作戦」決行前段階で、ミサトはシンジの手をがっちり掴んで(「Air/まごころを、君に」でそうしたように!)セントラルドグマの地下に連れて行った挙げ句、ネルフとEVAの存在理由やネルフ職員達の思いを語り、EVAパイロットの責任と重大性をシンジに突き付ける。このミサトには「ヤマアラシのジレンマ」の影はなく、作戦指揮官としての責任を果たそうとする大人そのもの姿と言えるだろう。このシーンを通じて心理的な壁を乗り越えたことで、以降のシーンでは二人の間により固い信頼関係が生まれていることが強調されるに至っている。
これらの他にも、例えば本作が「Air/まごころを、君に」の続きであることを示唆する冒頭の「赤い海」とか、山肌に記された巨大な人型のラインとか、「五番目の適格者」である渚カヲルのいきなりの登場と意味深な台詞などなど、新たに追加・変更された部分は少なくない。それらが今後どのような形で物語に影響を及ぼしていくのかは現時点では限りなく不透明だが、この変更点は今後の物語の進行に伴って、より大きな変化を引き起こすことは間違いないだろう。
確かに今作は、一見すると単なる「総集編」として旧作をトレースしただけのような、空虚な作品に見えるのは否定できない。だが、「エヴァ」という遺産を活用するために巧妙な「擬態」を施しながら、その一方でキャラクターの設定と物語そのものを根本から変えてしまう可能性を感じさせる今作の仕上がりに、「釣り師・庵野」の腕は10年経っても些かも鈍ってないな、と興奮させられたのは筆者だけではあるまい。
今作の公開に先駆けた所信表明で、庵野は「志」という言葉を掲げた。「閉じて停滞した現代には技術論ではなく、志を示すことが大切だと思います。」と。そして同時に、「我々の仕事はサービス業でもあります。~中略~誰もが楽しめるエンターテイメント映像を目指します。」という言葉で彼の所信表明は締め括られている。
はっきり言えば、現在のアニメ業界は子供向け需要が減少する一方、一部のオタク向けの需要を当て込むだけの蛸壺化が年々進んでいるのが実情だろう。売れるからという理由で「萌え」に流れがちなヌルく閉塞した空気が漂う中、「誰もが楽しめるエンターテイメント映像」を提供したいという庵野の「志」は頼もしく、素晴らしいものだと思う。それは今回庵野が立ち上げたスタジオ「カラー」を和製「ピクサー」にしたいという決意表明でもある、と筆者は受け止めた。
尤もTV版だけでなく、旧劇場版「REBIRTH」(97)でもスケジュール崩壊させた前科があるだけに、正直言うと本当に無事完結するのか怪しい部分がないわけではない。が、今作のクオリティを4部作通して維持できれば、恐らくまた新しい伝説が一つ生まれることになることは間違いないだろう。その伝説の誕生と今時「志」などという忘れ去られかけた言葉を大真面目に掲げた男の意地を、最期まで見届けたい。
(2007.9.23)
ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序 2007年 日本
原作・脚本・総監督:庵野秀明
監督:摩砂雪,鶴巻和哉
主・キャラクターデザイン:貞本義行
主・メカニックデザイン:山下いくと
声の出演:緒方恵美,林原めぐみ,三石琴乃,山口由里子,立木文彦,清川元夢,関智一,岩永哲哉,岩男潤子 他
(c)カラー・GAINAX
9月1日よりシネマスクエアとうきゅうほか全国公開
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