夜が終わる場所
2012年9月22日(土)~10月12日(金)まで、
ユーロスペースにて連日21:10より上映
特別寄稿:馬越 望(映画批評)
『孤独な惑星』(筒井武文 2011)の脚本家として知られる――という紹介も今年で最後になるであろう宮崎大祐による長編処女作『夜が終わる場所』は、夜は然ることながら夜の先と後とに広がる昼についての映画でもある。事実、昼に出発し昼に終わるこの映画で、殺し屋は白昼堂々事に及ぶ。冒頭、小鳥たちの声に導かれるようにしてカメラがその虚ろな目を開けると、俯き加減に殺人者が近づいてくる。敷地を閉ざす黄色い鉄柵の前に立てば、海を眺望できる小高い丘に建つ海辺の一軒家が見えてくる。この『サイコ』(1960)的な仕掛けの施された「始まりの家」を鉄柵ごしに仰ぐ冒頭場面は、ヒッチコック的不気味さと同時に『海辺のポーリーヌ』(エリック・ロメール 1983)の、女たちが別荘の門扉に到着するファースト・ショットの気配をも併せ持っている。夜の家としての二階建て家屋と、昼の家としての海辺の別荘。この映画が事あるごとに見せるのは、まさにこうした両義性を許容し、二者択一を回避する、本質的に両極の性質/状態を併有する者たちの姿である。
異色のフィルム・ノワール(定義がやや面倒なので、『夜が終わる場所』のチラシからそのまま転載させていただくと、「1940年代前半から~1950年代後半にかけて、主にアメリカで製作された虚無的・悲観的・退廃的な志向性を持つ犯罪映画」)として知られる傑作『狩人の夜』(チャールズ・ロートン 1955)を思い出して頂きたい。財産目的で結婚した妻を殺し、その子供たちも手にかけようとする悪人を演じるロバート・ミッチャムの両手の指には”LOVE”と”HATE”の文字が刻まれている。彼は両手を祈りの形に合わせて迫真の説教をする。”LOVE”と”HATE”はもつれ合い、ついに”LOVE”が勝利を収める!ハレルヤ、アーメン!という熱烈な調子で田舎者に取り入る偽牧師なのである。そのミッチャムの牧師衣装を彷彿させ、帽子から靴まで全身黒ずくめの服装で登場するのが日本版フィルム・ノワールを謳う本作の冒頭、夜の家であり昼の家でもあるその一軒家で夫婦をひとつの「ショット」のうちに殺害してのける為五郎(塩野谷正幸)という男である。彼が身につけているペンダントに、注視しないと気付かれないほどの大きさで表に「愛」、裏に「憎」と書いてある(表も裏もないのかもしれないが)のは偶然ではないだろう。サファリハット(?) に腕まくりをしたジャケットが厳つさよりも幼さとして目に移るのに、微塵のためらいも見せずに夫婦を殺す様はその真逆の印象である。
両極端の様相を併せ持つこの複雑な男は、夫婦の赤ん坊に目を留めて「お母さん」に携帯電話で「孫を欲しがっていましたよね?」と確認する。誘拐をまるで買い物の遣いでもしているように見せてしまう滑稽であると同様に不快さを孕むシーンである。義父とその背後の謎めいた母親との意志により未来の殺し屋は育てあげられそして社会に放たれることになる。愛と憎の微妙な綱渡りを生きる為五郎によりアキラと名付けられる赤ん坊に人生を選択する権利は与えられない。ただこの複雑な男のようになることだけが許されるのだ。
「15年後」とそっけない字幕が出て、場面が変わると成長したアキラ(中村邦晃)は為五郎とともに新たな殺人現場にいる。アキラが為五郎の分身として成長していることがお揃いのクマが胸に描かれたトレーナーを二人が着用していることからも一目瞭然である(やり過ぎな気もするが……)。さながら誰かの白昼夢の続きであるかのように転がる夫妻の遺体のまえに茫然と立ち尽くすアキラを尻目に為五郎はその家の一人娘(渡辺恵伶奈)をもテレビのケーブルで絞殺する。ところが息絶えた少女をアキラがみつめていると不意に彼女の死んだ目が彼を見返す。彼女は死んでいるのか生きているのか、夢なのか現実なのか。暗転し黒画面いっぱいにようやく『夜が終わる場所 END OF THE NIGHT』のタイトル文字がギターの旋律とともに儚げに浮かぶ。観客はただ驚きをもって長いアバンタイトルを思い返し、矢継ぎ早に「10年後」の文字があっけらかんと被るのを見ると煙に巻かれたような、悪い遊びに付き合わされているような気持になるだろう。こうして10分弱で25年の歳をとり、大人になって為五郎のペンダントを譲り受け、眼光鋭くなり、殺し家業もすっかり板についているアキラは「PINK ROSE」(『市民ケーン』(1941)を想起させる薔薇のシンボリズムは事あるごとに登場する)の看板に必然的に導かれ訪れた娼館で、死んだのか死んでいないのか定かではない記憶のなかの少女の面影を残す雪音(小深山菜美)と出会う。彼女と同じ星形の泣きボクロがあの少女にもあったのだ……というのがこの神話的・映画史的な仕掛けに満ちた作品の大筋である。
血の因縁で結ばれた男二人さながらに、小深山菜美演じる雪音もまた、その妙な方言に稚気を残しながら、世話をしている少年(柴垣光希)やアキラに対する母性も感じさせるという二面性を持つ謎めいたところがあり、それはまるでマリリン・モンローがリリアン・ギッシュを演じているような、白痴と神秘のあいだを行くような存在である。その間抜けなミステリアスさとでもいうべき特性を示す白眉のシーンは、彼女がアキラの夢想のなかで「嵐も吹けば雨も降る 女の道よなぜ険し」で始まる大津美子の「ここに幸あり」(1956)をスポットに照らされながら歌う、というか歌にあわせて明らかに口パクをするという場面であり、この妖精的イメージは映画のなかで二度繰り返されることになる。
ところで、曖昧さを許容し、観客に解釈を委ねるようなあり方の映画は決して殊更に珍しいというわけでもないだろう。ここでは、本作を補完し得る存在として、今年9月にアンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)で特集上映のあるチリ出身の映画作家ラウル・ルイスと彼の弟子とも言うべきフランスの俳優メルヴィル・プポーを思い起こしたい。プポーは今年6月の来日時のトークショーで、こどもは大人のやっていることを理解できないときただ目を丸くして聞いているが、そういう無心の状態にラウル・ルイスは映画の観客を誘いたかったのだ、という趣旨のことを言っている。※1(映画サイト「OUTSIDE IN TOKYO」でそのときのトークショーの内容を読むことができる)
プポーが映画初出演を果たしたルイスの『海賊の町』(1983)で彼は一家を惨殺した殺人鬼の美少年を演じる。要約は避けるがそのシュルレアリスティックな映画のラストで、窓辺に座る女が白骨化しているショットが映されることだけ述べておきたい。※2( ラストシーンの抜粋をYouTubeで視聴可能 )
このイメージは『狩人の夜』のクライマックスでリリアン・ギッシュが子どもたちの守護天使として銃身を両手に握り締めながら椅子に腰を据えて夜警をする崇高なポーズを思わせもするし、『サイコ』を経て、奇しくも『夜の終わる場所』のラストで変奏されることになる。不可思議に共有されるこうしたイメージによっても、ルイスの映画が大々的に紹介された年に公開される本作に時代をこえた同時代性を感じることができる。
ただ、宮崎大祐はラウル・ルイス的な能天気さでもって『夜が終わる場所』を撮ったわけではないだろう。ルイス=プポーが映画の観客に「子供に返って見る」ことを要請するような、ある種の遊びの感覚、自由さ、大らかさは、今まで見てきたように本作にも確かに認めることはできるが、その一方で、ルイスの快楽主義的な側面はこの映画にはまったく感じられない。ギャングスターの登場する多くの映画と違い、殺し屋が殺しを楽しまない。映画全体がまるで夢のように進行するところはルイス映画と共通するが、夢は夢でも、本作はまるで死の国を彷徨するオルフェウスの物語のような地獄めぐりの悪夢であり、その乾いた直線的な編集、淡々と繰り返されるバストショットの切り返しの応酬は、遊びとは正反対の「残酷さ」として映画を覆うからである。そして形式としての「残酷さ」は物語の主題としての「残酷さ」と切っては切れないだろう。
放火や、宗教団体がらみの事件、殺人のニュースがテレビから常に漏れ聞こえてくる。ただその暴虐はあくまで「よそ」のものとして扱われ、アキラ自身の殺しもまた「よそ」のものとして消費されてしまう。レイプや殺人が「ここ」のこととして語られるときでも、その決定的な瞬間の表象は避けられ、それが起こる前と、既に起こってしまった後とが映されるのみである。人は撃たれて、次の瞬間には地面に横たわっている。何よりもプロセス/手段を奪うことこそが暴力なのだ。
だが、それ以上に、このようなプロセスの省かれることによる第一の暴力とは別の形の暴力として際立つことになるのが、プロセスのみに焦点を当てることによって人をうんざりさせる第二の暴力を映したショットの数々である。
つまるところ、そのショットとは今「ここ」で起きている最も残酷な暴力として映画のなかで幾度も幾度も表象されることになる、カネの流通のイメージである。本作の残酷な側面に目を向けたとき、この映画はロベール・ブレッソンの遺作と同じく、何よりもカネの映画であることに気付かされる。人を殺しカネを受け取るということと、家賃を払うこと、女にカネを与え、奪われ、また奪い返し、そしてまた与えること、小遣いとカツアゲ、娼館の壁に貼られたサービスの一覧表と蒲団屋の貸蒲団の料金表は同質のそっけなさで画面に収まることになる。兵隊のコスプレと殺しで得られるカネの価がまったくかけ離れていない世界。これこそが暴力なのだ。この循環のなかでアキラは自分の生き方を選ぶことができない。カネを受け取らなければ家賃を払うことができない。家賃を払うには人を殺さなくてはならないのである。ほんの数枚の万札がこれほどに残虐に映るものだろうか。
彼がこの閉ざされた小さな資本主義の環の中から外に飛び出すことを選んだとき、映画の残酷さは頂点に達するだろう。モノレール下での為五郎による制裁(アンソニー・マンばりの!)以後、アキラは杖を突き、足を引きずって生きることを余儀なくされ、このことによってまた新たなカネの循環に組み入れられる羽目になる。その循環を図らずも断ち切ることになるのが映画前半でテレビ画面の向こうに姿を現していた刑事(扇田拓也)である。彼のみが「ここ」と「よそ」とを越境することができるジョーカー的な役割を持たされている(これもまた両義性である)。ここでは彼の活躍を記す余裕がないが、「正義によって」町を平和にすると豪語した彼の登場により映画はクライマックスに向けて傾れ込んで行くとだけ書いておこう。
かような残酷な世界で子どもが大人になるにはどうすればいいのか?子どもが大人になることについての映画でもある本作はそんな疑問を静かに問いかけてくる。この問いを目前にして、為五郎の意識を常に支配していた母親の存在はもはや何の助けにもならないだろう。『狩人の夜』でリリアン・ギッシュが見せた崇高さを、この母親から感じることはできない。それはこの女海賊が画面に無残な姿を晒すことになるまでのあいだに夢のように儚く消えてしまったに違いない。大人になるとは彼女のようになることなのだろうか?いや、違うだろう。ヘッドライトに照らされた漆黒の二車線道路を滑る夜のシーンで、まるで世界の終りへ、夜の一番深いところへと盲進するかのようにみえる物語がいよいよ最期に差し掛かろうという時、雪音から発せられることばによって、これがむしろ世界の始まりに向かって遡航している映画であると気付かされることになる。冒頭で引用されるコンラッドのことば「”自分で選んだ悪夢には忠実であれ”とそこには記されていた」の通りに、アキラがこの物語の結末で、強いられた忠誠ではなく自己に「忠実」であることを「選んだ」とき、「夜」が「終わる」と同時に映画もひとまず終わりを告げる。義理の息子に向かい「戻ってこい」と叫ぶ為五郎を彼のペンダントともども置き去りにして、クマや薔薇のシンボルの発端となった「始まりの家」を立ち去り、杖を投げ捨て、彼は雪音のことばを手探りに、ついに大人になるのである。
(2012.9.16)
イベント情報 /初日舞台挨拶以外、本編上映終了後に開催予定
9月22日(土)舞台挨拶(上映前) 参加予定者:中村邦晃さん/小深山菜美さん/柴垣光希さん/渡辺恵伶奈さん/扇田拓也さん/塩野谷正幸さん/宮崎大祐監督
9月23日(日) 黒沢清監督(『贖罪』『トウキョウソナタ』)×宮崎大祐監督 トークショー
9月24日(月) 山下敦弘監督(『苦役列車』『マイ・バック・ページ』)×中村邦晃さん×宮崎大祐監督 トークショー
9月25日(火) 入江悠監督(「SR サイタマノラッパー シリーズ」『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』)×宮崎大祐監督 トークショー
9月27日(木) 鴨田潤 a.k.a. イルリメ(LIVE SET)
9月28日(金) 井土紀州監督(『百年の絶唱』『彼女について知ることのすべて』)×宮崎大祐監督 トークショー
9月30日(日) 早船聡さん(劇団サスペンデッズ主宰・劇作家)×扇田拓也さん×宮崎大祐監督 トークショー
10月2日(火) 三宅唱監督(『Playback』『やくたたず』)×宮崎大祐監督 トークショー
10月3日(水) 大和田俊之さん(「文化系のためのヒップホップ入門」 アメリカ文学者・ポピュラー音楽研究家)×宮崎大祐監督 トークショー
10月5日(金) 高橋世織さん(文芸評論家・日本映画大学映画学部長)×宮崎大祐監督 トークショー
10月9日(火) 樋口泰人さん(「boid」主宰)×宮崎大祐監督 トークショー
10月10日(水) 宇波拓バンド(LIVE SET)
10月11日(木) 下山(LIVE SET)
10月12日(金) 宇野常寛さん(「ゼロ年代の想像力」「リトル・ピープルの時代」評論家・「PLANETS」編集長)×宮崎大祐監督 トークショー
AND MUCH MORE!!!!!!!! ※イベントはやむを得ない事情により中止・変更になる場合がございます
夜が終わる場所 2011年/日本/79分
出演:中村邦晃,小深山菜美,塩野谷正幸,
谷中啓太,扇田拓也,礒部泰宏,吉岡睦雄,柴垣光希,大九明子,渡辺恵伶奈,佐野和宏
プロデューサー:横手三佐子 監督・脚本:宮崎大祐
撮影:芦澤明子 照明:御木茂則 録音:高田伸也 美術:保泉綾子 編集:平田竜馬 音楽:宇波拓 スタイリスト:碓井章訓
配給:ALVORADA FILMS © 2011 Gener80 Film Production
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