宮崎 大祐 (映画監督)
映画「夜が終わる場所」について
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2012年9月22日(土)より三週間限定で渋谷ユーロスペースにてレイトショー公開!
宮崎大祐監督の初長編作品『夜が終わる場所』が、連日絢爛たる顔ぶれのゲストを迎えてレイトショー公開される。この、突如として現代日本映画の最前線に現出した宮崎大祐という聞き慣れない固有名に、未だ戸惑う向きも多いかもしれない。だが、世田谷一家殺害事件をモチーフとし、現代日本の闇の奥に生きる殺し屋親子を描く本作は、トロント新世代映画祭での特別賞受賞をはじめ、サンパウロ国際映画祭、トランシルヴァニア国際映画祭などに相次いで正式出品され、新人の作品らしからぬ風格を湛えた傑作として、既に数多の海外映画祭で話題を攫い、高い評価を得ている。待望の一般公開を控え、いま国内外から熱い視線を集める宮崎監督に、自身の来歴と作品について語って頂いた。 (聞き手:後河大貴)
宮崎 大祐 1980年、神奈川県出身。大学在学中に実験映画の制作をはじめる。20代半ばで劇映画に目覚め、2008年に黒沢清監督作品『トウキョウソナタ』に助監督としたことをきっかけにフリーの助監督として活動する。また、脚本を担当した筒井武文監督作『孤独な惑星』(2009)が2011年に劇場公開された。根っからのBBOYであり映BOY。
――既に筒井武文監督作『孤独な惑星』が劇場公開されており、脚本家としては既にデビューされている宮崎監督ですが、和製ノワールを掲げた初長編作品である『夜が終わる場所』では、作風が大きく変化しています。まず、本作を撮るに至った経緯を教えて貰えますか。
宮崎 僕は94年に兵庫県の西宮市から横浜に引っ越してきたんですが、阪神・淡路大震災にはギリギリで遭遇しなかったんですね。しかし友人の中には亡くなった方もいらっしゃって。94年から95年頃にはオウム真理教の一連の事件があったり、うちの父がそのうちの地下鉄サリン事件にニアミスしていたりして、妙に忘れがたい時期でした。偶有性と言えばいいのか、東浩紀さんの「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかもしれないことこそが悲劇なのだ」っていう一節がありますけど、僕はアメリカ旅行に行っていた2001年の9.11にも1日違いであのテロとニアミスしていて、悲劇の悲劇性って確率的な偶然によって規定されているんじゃないか、そういう強迫観念的な実感が長く持続するようになりました。久々に長い映画を撮るからにはそういうことを引き受けた映画にしたかった。これが最後、というわけではないにしろ、94年から2009年ぐらいまでの15年間の総括的な……個人史とこの15年間を総括するような映画を撮りたいなと。一方で日本の現代史、政治史っていうのをその個人史に接続したい、まあ誰に見て貰えるかは皆目分からないけれど、将来的に自分が見てみてこのポスト94年の15年をなんとなく回顧しながら、その先に踏み出していけるような射程の作品にしたいと思いました。それまではどうしても映画史的に正しいかどうのとか、周りの人の顔色ばかり伺って言い訳を繰り返していたんですが、花の20代終わりを想像していたような形とはまったく違う極めて惨めな形で迎えて、もう単純な生活レベルでも追い込まれていましたし、これ以上グダグダ言っている訳にはいかないんじゃないか、年齢的にもキリがいいんで、じゃあやろう、と。いつものブルーハーブのデビュー・アルバムを再生して。そこから動き始めました。
――個人史と現代史を接続することを目指して発想された一方で、クレジットには撮影の芦澤明子さんを始め、第一線で活躍されている錚々たる顔ぶれの方々が名を連ねています。これは純然たる自主映画としては異例のことだし、ある種現在のシーンに対しクリティカルでさえあると思います。本作で宮崎監督のお名前を認知する方も大勢いらっしゃるでしょうし、この辺りの事情を少し詳しく聞かせて頂けますか。
宮崎 作品外在的な動機も含め少し前史を話すと、27歳ぐらいかな、当時美学校に籍を置いていたんですけど、今度やる『Playback』の監督で僕と同期だった三宅唱さんに、たまたま黒沢清監督の現場を紹介してもらって、色々と誤魔化しながらも取りあえず熱意だけは前面に出して、幸運なことに採用されまして、『トウキョウソナタ』に助監督としてつかせて頂いたんです。この経験は凄まじく勉強になりましたね。主にひとつのカットを構成するにはカメラの後でどれぐらいの労働力が必要かということや、あとは黒沢さんの現場でのキャストやスタッフとのコミュニケーションの取り方とか。で、ほんとダメな助監督でしたけど、通勤中とかにしこしこプロットを書いたりしていて、香盤チェックしろって話なんですけどね(笑)そんな時、僕は当時映画美学校の2年目のコースに席は置いていたんですけど、筒井武文監督が映画を撮るっていうんで、脚本を募集されていたんです。自分がすぐに撮りたい企画もその頃そんなになかったし、どっかできっかけがないと20代後半ズルズルいくだろうなあっていうイヤな予感があって、それで脚本を書いたんですよ、ささっと。助監督やりながら、ロケ車での移動中とか、皆さんが寝ている時間とかを利用して。帰れない日は漫画喫茶でひたすら資料読んだり。で、書き上げて提出したら、筒井さんが撮ってくれることになりまして。そしたらたまたま、カメラマンが『トウキョウソナタ』と同じ、芦澤さんだったんです。『トウキョウソナタ』の現場だと末端の助監督なんで近付き難かったんですが、あれも撮影の後半ではたまに芦澤さんの悪夢に出て来たりするようになったそうで(笑)。そんなこんながありつつ、『孤独な惑星』の脚本を読んでくださって、ドキドキしましたけど、ああわりとやるじゃないかと言ってくださいました。結局『孤独な』の現場では『トウキョウソナタ』の延長戦のような形でお付き合いが出来ていきました。現場が終わったあと、脚本家としての仕事や助監督としての仕事が来るようになって、以後数年、結構お蔵になったものや飛んじゃった作品が多いんですが、制作の過程で商業的なプロデューサーに揉まれて学んだことも多いですね。助監督としては予算の多寡はどうあれ、作品が面白いか、そうでないならどういう面白い人が参加しているのかで仕事を選んでいました。本当は駆け出しの助監督は仕事を選ぶなと言う不文律があるんですが、もう助監督を続けていればいつか監督になれるだろうというような時代ではないなと肌身で感じていましたので。
――なるほど。そうした現場での出会いが『夜が終わる場所』に結実していったわけですね。個人的に、内的欲求に忠実な独創性の強いイメージと、高水準な技術的達成が矛盾無く同居していて、そこが方法論としてとても新しく感じたし、クリティカルだと思いました。
宮崎 まず、日本だけでなく世界中の人々に自分の映画を見てもらいたいと大言壮語を打つのは簡単ですが、真面目にその方法を考えたときに、当然日本と欧米の文化的な差を考えないといけませんよね。そして、これは日本と欧米の大きな差異ですが、あちらは内容はともかくとして、クオリティが高くないとまずもって見向きもされません。センター試験でいうと「あしきり」です。日本はクオリティはさておいて、まずは荒々しい若さや青さ、素朴なリアリティが求められる傾向がありますが、前者は外国人にとってあくまでエクストリームな対象、奇矯なものを嘲笑的に消費するためのもので、後者に関しては見向きもされないんですよ。僕はいくらインディペンデント映画と言っても世界中で普通に見て貰いたいという欲求が強くて、ならば見せられる絵を作らなきゃいけないし、音に関してもそうですし、少なくとも絵と音はプロの人にやって貰わないと、ちょっと外に出せる次元にならないというのがあって……予算的な限界はあれど、現場で培った人脈を生かして出来るだけ高いクオリティを目指しました。
出演:中村邦晃,小深山菜美,塩野谷正幸,
谷中啓太,扇田拓也,礒部泰宏,吉岡睦雄,柴垣光希,大九明子,渡辺恵伶奈,佐野和宏
プロデューサー:横手三佐子 監督・脚本:宮崎大祐
撮影:芦澤明子 照明:御木茂則 録音:高田伸也 美術:保泉綾子 編集:平田竜馬 音楽:宇波拓 スタイリスト:碓井章訓
配給:ALVORADA FILMS © 2011 Gener80 Film Production
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