フランスの巨匠オリヴィエ・アサイヤスをはじめ、世界が絶賛した、衝撃の日本映画!
VIDEOPHOBIA
2020年10月24日(土)より新宿K‘s cinema、
11月7日(土)~ 池袋シネマ・ロサ、第七藝術劇場、他全国順次公開
どこまでがわたしで、どこからがあなた?
東京で女優になるという夢破れて故郷・大阪のコリアンタウンに帰って来た 29 歳の愛はそれでも夢をあきらめきれず、実家に住み、バイトをしながら演技のワークショップに通っていた。そんなある日愛はクラブで出会った男と一晩限りの関係をもつ。数日後、愛はその夜の情事を撮影したと思われる動画がネット上に流出していることに気づく。その後も連日、その夜のものと思われる動画がネット上に投稿される。自分のものとは断言できないが拡散し始める映像に、愛は徐々に精神を失調し始める――。
ネットワークの落とし穴から迷い込んだ異世界で、
追いつめられる主人公の孤立と恐怖
大阪のアンダーグラウンドを舞台にした、
モノクローム・サイバー・スリラー!
『大和(カリフォルニア)』『TOURISM』で国内外からの熱い注目を集めた俊英・宮崎大祐監督最新作は、ディープな大阪のさらに奥へと進んだ、異世界で繰り広げられる、今まで見たことのないモノクロスリラー。 29 歳の愛は、一夜を共にした男に情事の動画をネット上にばらまかれたことから精神を失調していく――。自分の映像が世界中に拡散される計り知れない恐怖と、助けを求めても自分を責めるような周りの視線。被害者が否応なく孤立する現状をえぐり出していく。日常の何気ない裂け目から見えてくる、確かに存在する異世界を、モノクロームでとらえた衝撃作が誕生した。
フランスの巨匠オリヴィエ・アサイヤスをはじめ、世界が絶賛!
新たなジャンルに果敢に挑む監督のもとに実力派キャスト・スタッフが集結!
ヒロイン・愛を体当たりで演じたのは、サニーデイ・サービス「セツナ」のMVでブレイクした廣田朋菜。さらに『リリイ・シュシュのすべて』で注目を浴びて以来、独特の存在感を放ち続ける忍成修吾や、イラン出身のタレントで、女優としての活躍も目覚ましいサヘル・ローズの怪演にも注目してほしい。サントラは日本のみならず海外でも人気を誇るBAKU(KAIKOO)、エンディングテーマは大阪出身の大人気ラッパーJin Dogg、ヌンチャクらによるオリジナル曲だ。
モントリオール新映画祭での「魅惑的かつ凄惨!」との評を受け、今年3月の大阪アジアン映画祭の国内プレミア上映は全回満席となった本作が、いよいよ劇場公開される。
- オリヴィエ・アサイヤス(映画監督)
見事な作品!主演女優はとても身体的で、自然で、それでいて神秘的だ。
そしてこの映画自体も同様に、シンプルで、エレガントで、明晰で、反復の中に日常生活の神秘とも言える何かを捉えている。
彼女は他の誰かになることでその秘密の探求を遂行するのだ。 - いがらしみきお(漫画家)
傑作はいつも予言的だ。これはコピーだらけでどこにも本物がないネットの世界の悪夢を描き、そのあとに出現したコロナウイルスの世界へまで浸食していく。今度はネットではなく、我々の中でコピーが増殖するのだ。 - 岡田利規(演劇作家/小説家/チェルフィッチュ主宰)
水の都で生きる主人公の経験する、耐え難いはずで許し難いはずの陰惨な出来事が、何かつかみ所のないものであるかのように思えてくる。鈍い麻痺に似た、全てが流されていくような危険な感覚に、観る者を陥らせる。 - 津田大介(ジャーナリスト/メディア・アクティビスト)
思っていた人生と違う道に踏み入ってしまったときの、視界の仄暗さ、不規則な揺れのおぼつかなさ。光と闇のグレースケールのなかで、アイデンティティーの剥離と癒着が同時に去来する怪作。 - なみちえ(ラッパー/着ぐるみ作家)
内側と外側、現実と想像…分離した精神を果たして”演劇”はジリジリと乱暴に引き裂いているのか?それとも無理矢理にすり寄せているのか?主人公の離人した精神の象徴でもあるかのような着ぐるみのシーンが入ると、表層的な人間味について自問自答してしまう。映画を見た私自身も無作為に人ではない視線が気になって仕方ない。そういえば私はインスタグラムのストーリーに自分の裸の写真をアップした事がある気がして、私の裸を見てないか沢山の友達に LINE した。とある白昼夢、いい鼻歌が思いついた時、焦りすぎて夢の中の iPhone でボイスメモに録音した。それらの物語を空想と現実の狭間に落っことして手が届かない。
- 五所純子(文筆家)
科学技術と手に手をとった誰何の世界で、〈私〉は交換可能であるとするか、それは〈私〉ではないと否認するか。主人公よりもむしろ観客に蔓延したその意識のみが二人の女を一本の物語に見させる。カメラは余震のように揺れ、人間を多元化し、世界の断層を増やしていく。行と行のあいだの幽霊をとりだすように。 - てらさわホーク (映画ライター)
観せられていることは果たして本当に起こっていることなのか。
現実と妄想との境界が曖昧になるような、足場をふと外されるような、そんな不安が映画には充満している。何がリアルで何がそうでないのか。
ひとつだけ確実なのは不安だけがリアルだということだ。 - 筒井武文(映画監督)
大胆で繊細。『VIDEOPHOBIA』の第一印象だ。観客を共犯者にしてしまう冒頭から偽悪的な装いに満ちているが、それが作り手の社会および映画に向ける批評性にほかならない。その犠牲者を演じる廣田朋菜が全身を映画の魔に投げ出し、捧げ尽くす様は、男性から憎しみの眼差しを浴び続けた「ジャンヌ・ダルク」さえ想起させてしまう。彼女を包み込む諸問題は、映画五本分くらいの容量なのだが、宮崎大祐はその都度、観客の期待を躱しつつ、横滑りする。ここには、結論という捏造された下品さが徹底的に回避されているのだ。その手つきは、思わずブニュエルと呟きそうになるが、ここでの各挿話に対する距離感の変化は、ブニュエル的単純さを超えている。ともあれ、この現在におけるジャンヌ・ダルクの変身譚は、観客の想像力をはるかに超えたアンチ・クライマックスに至る。これは映画史を転覆させようとする悪意なのか。いや、悪意すら宙吊りにされる。深読みすれば、新しさを装った現代映画の偽善性への告発にまで及ぶ。『VIDEOPHOBIA』が時代を逆行した正統性を獲得していることへの戸惑いは強まるばかりである。
- 監督:宮崎大祐
- 出演:中村邦晃, 小深山菜美, 塩野谷正幸
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