今週の一本
( 2007 / アメリカ / ニール・ジョーダン )
アメリカ映画は『許されざる者』から大きく後退した

膳場 岳人

ブレイブワン1 先ごろ、ある殺人事件の被害者遺族が、インターネット上で加害者に極刑を請求するサイトを開設して署名活動を開始し、十日間で十万人もの署名が集まるというニュースがあった。インターネットというシステムを利用して、遺族がそうした署名活動を始めたことには、法的な問題がないのであれば指弾するにあたらない。筆者は被害者遺族やその関係者が加害者の死刑を願うことには違和感はない。むしろ当然の成り行きであるとさえ思う。現行の法律を知悉し肯定する者が署名することもまた然り。しかし、その十万人のうちの何名が、「死刑=人を殺す」ことについて深い思考を巡らせたかについては若干の疑問を持っている。当該サイトでは陳情書書式をダウンロードさせて署名する形をとっている。その簡便性がより署名をし易しくしているが、それゆえ安直な署名もあったのではないかという疑念も増幅する。

 加害者の行為に激しい怒りを抱いているとはいえ、自分とは直接の関係がほぼないといっていい人物を、あなたは本当に殺せるだろうか。死刑執行人は法に基づいて殺人を犯す。したがってとりあえずその行為は正当化される。法律がどれだけ絶対的なものかという議論はさておき、ここにおける署名とは、犯人に対して「死ね!」という殺意を具体的な行動で示す行為である。ブレイブワン2死刑執行人を通して人を殺す、つまり人殺しを代行してもらうという発想である。彼らに「本当にひとを殺せるのか自分は?」という自問がどの程度あったのだろうか。澎湃と湧きあがったいっときの感情で「殺してしまえ!」と言ってしまっただけではないのか。あなたに「他者の命を奪う」ということに対する確固たる哲学や信念はあるのか。これは筆者の素朴な疑問である。それなりの決意があってそうしたのならば、文句を言う筋合いでないことは重々承知している。

 本作のヒロイン、エリカは、N.Yを愛し、車や電車の音、公園でハンドボールを楽しむ人々の声を収集する女性として登場する。街の語り手であり、街の代弁者としての立場を意味づけられている。ある夜、彼女は婚約者をチカーノギャングスタに殺され、自分自身も重傷を負う。暴行、殺人の現場をチカーノたちはカメラで録画している。スナッフフィルムとして売買するかもしれないし、マスターベーションのためかもしれないし、あとで友人たちと楽しむためかもしれない。いずれにせよフィルターを通して現実の暴力を撮影する行為がもたらす快楽に彼らはどっぷりとはまっている。他者の痛みに対する想像力、すなわち現実感覚を失っている。やがて傷から恢復したエリカは、復讐心と怒りのあまり、“街のダニ”の殺害行為に手を染めていく。そしてエリカもまた、自身の殺人行為の音声を録音しては、行為の後に再生して聞きいるという悪魔的な快楽のとりこになっていくのである。

 エリカが街の代弁者であることを強調するように、いつしか彼女には法の「代行人」の名称が与えられる。みな、“街のダニ”が法律とは無縁の場所で殺害されることを喜んでいる。カタルシスを感じている。そんな顔の見えない「声」に後押しされるように、彼女は世間から憎まれているある人物を手にかける。彼の行状を知り合いのマーサー刑事から聞きだし、殺すに値する人物だと判断したからである。

ブレイブワン3 彼女はある時点まで婚約者が遺した十字架のネックレスを下げている。そこには大まかにいって神が司る倫理が記号化されている。「汝、殺すなかれ」というやつである。それゆえ彼女は自首を考えるし、苦悩も深まりを見せる。しかしあるとき、その十字架は別の人物に手渡され、エリカは神の桎梏から解き放たれる。その後、彼女がとる行為こそがこの物語の何らかのメッセージなり世界観なりを決定づけるわけである。

以下、ネタバレしていますので未見の方は注意。

 エリカとその婚約者が暴行・殺害される動画を目にしたエリカは、激情に駆られ、銃を手に報復に向かう。一方、それまで「法」の側に立ってきたマーサー刑事は、しだいに好意を覚え始めたエリカが暴行される動画を目の当たりにして、感情が高ぶり、私刑を正当化し、実際にエリカと手を組んで殺人を執行する。殺されるチカーノのキャラクターが類型的なアホな若造であるのは言うまでもない。

ブレイブワン4 ここには、『許されざる者』でイーストウッドが描いた、「退職後は新築の家で夕陽を見たい」というちっぽけな願いを抱く保安官(ジーン・ハックマン)を冷徹に撃ち殺す、あの取り返しのつかない感じ、暴力の醜さ・不毛を浮き彫りにする知性がまるっきり欠けている。あの映画が公開されたのは1992年である。アメリカ映画はこの15年間、何一つ学んでいないのだろうか。むしろ後退しているのではないか。彼らは9.11テロがなぜ起こったかなど考えたこともなかったのだろうか。

 もちろん復讐を果たして尚、法の裁きを受けないエリカはちっともハッピーではない。彼女は別の人格を生きることでその罪と折り合いをつけようとする。マーサー刑事だって一生涯苦悩するだろう。人は誰だって秘密を持っている。それはいい。わかりきっている。しかし、筆者の目には、モラルを超えて結ばれる絆が物語の着地点である意味において、この映画が私刑を肯定する側に傾いているとしか見做せなかった。

ブレイブワン5 問題は、これがニール・ジョーダンの映画だということである。『殺人天使』や『スターダスト』、『クライング・ゲーム』『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』を撮った人物の手による映画だと思えば、この結末にはまったく違和感はない。むしろ、タブーを乗り越えた先の人間の姿を凝視するまなざしに感動しさえする。そういう意味では純正のニール・ジョーダン・フィルムと言えなくもない。しかし、ここでは倫理を乗り越えて結ばれる絆の在り方に疑問符ばかりがともってしまう。「結局、人間は感情を乗り越えられない」という、後ろ向きな、当たり前すぎるほど当り前な認識が披歴されたにすぎないからだ。エリカの住むアパートの隣人はアフリカからの移民であり、民兵が子どもに銃を手渡し、親を射殺させるような故郷の地獄を語る。それが間接的にアフリカとN.Yとを地続きにする役割を果たし、「人間はいつでも倫理を超えてしまう」ことをアピールする。この点、作劇的な意味合いで実に手が込んでいる。

 感情で動くのが人間だ。だから人は人を殺し、あるいは誰かの死を願う。だが同時に、感情を乗り越えようと努力するのもまた人間ではなかったか。俺はひどく野暮なことを言っているのだろうか。『狼よさらば』の現代版じゃん! と無邪気にはしゃげばそれでいいんだろうか。自分がひどく感情的な人間であるがゆえに、人を殺したいという気持ちを十分すぎるほど理解できるがゆえに、だからこそ、筆者はこの映画の結末にあえてノーを突きつけたい。その救いのない場所をどうにかして乗りこえたい。

ブレイブワン6 ジョディ・フォスターの周到な演技のすばらしさはいまさら言及するまでもないだろう。ボディダブルのヌードさえ魅力的である。マーサーを演じるテレンス・ハワードが、傑作『ハッスル&フロウ』のしがないポン引きと同一人物とは思えないような、誠実で、紳士的な刑事を演じていてすばらしい。その無垢な瞳、物腰、しなやかな身のこなしのひとつひとつがマーサーというキャラクターに人間味を克明に物語る。人気テレビシリーズ『LOST』で頭脳明晰なイラク兵を演じているナビーン・アンドリュースがジョディの婚約者。この起用は『フライト・プラン』でアラブ人をコケにしたことへの償いなんだろうか。いろいろと文句を言いたい映画だが、練り上げられた脚本(その結末はさておき)と、俳優陣の妙演には素直に敬服してしまう一作である。

(2007.11.5)

ブレイブ ワン 2007年 アメリカ
監督・脚本:ニール・ジョーダン 原案・脚本:ロデリック・テイラー,ブルース・A・テイラー 脚本:シンシア・モート
撮影:フィリップ・ルースロ 美術:クリスティー・ジー 音楽:ダリオ・マリアネリ
出演:ジョディ・フォスター,テレンス・ハワード,ナビーン・アンドリュース,ニッキー・カット,メアリー・スティーンバージェン
(c) 2007 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved
公式

2007年10月27日(土)よりサロンパスルーブル丸の内ほか全国ロードショー

2007/11/05/22:45 | トラックバック (1)
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