今週の一本
(2005 / ドイツ・オーストリア / ニコラウス・ゲイハルター
命って、何だろうね…。

百恵 紳之助

 世を反映してか劇場はずいぶん盛況だった。
 予告編を見て、動物たちがどんなスプラッタな過程を経て食い物になるのか、幼き日「死霊のはらわた」とか「死霊のえじき」とかそんな映画を観に行くときのような「どんな内蔵見れるんだろ…」みたいなワクワクした気持ちで観に行った。

 で、いきなり余談であるが中3だかのときかいつか忘れたが、担任の先生が視聴覚室で「ダンス・ウィズ・ウルブス」見せてくれて、観終わったあと「超カンドーした!狼かわいかったー!」と恥ずかしい感想を大声でのたまって、女子の何とかさんから「あんた、アホかいな!そーゆー映画じゃないだでぇ、これ!」と怒られたことがある。なんせインディアンと言えば「ウソつかない」くらいしかイメージなかった頃だ。

 でもってあのとき俺を怒った女子が今回劇場でいっしょに観てたら多分俺はまた怒られただろう。殺される牛とかニワトリがすごくカワイソーだとまず思ったから。 スプラッタな映像ももちろんあるにはるが、途中からそんなもんどうでもよくなっていた。

 トサツ場を舞台にした話を本で読んだことがあったので、その作業の流れ的にはさほど見るべきところはなかったが、やっぱ息の根を止められる場所は陳腐な言い方だけどまさに死刑台で、状況を理解してるかのようにイヤがる牛を見るのはイヤだったし、ブロイラーたちもヒヨコから見せていくからもうただただ食べられるだけのためにこの世に出て来させられているっちゅうのに、掃除機のようなもので吸われて、大きな引き出しに閉じ込められ、食肉にされるべく運ばれるとこなどとても手荒な扱われ方してるのを観て、俺なんかよりも遥かに世間の役に立っているこいつらなんだからもう少しお手柔らかに…と思わずにおれんかった。

 ナレーションは一切無く、セリフもその現場で働く人たちの会話がときおりボソボソとあるだけ。動物たちはこの世に生み出されたその瞬間から食べ物として扱われていて、世におっことされて肉の塊になるまでの淡々とした過程を見ていると、頭ん中で歌っていたドナドナもいつしか消え、「命って、何だろうね」と菅原文太の声でも聞こえてきそうな感じだった。食べるためだけにこの世に命を作り出していいものだろうかと、そうしなければこの世界の人口分の食料がどうなるかは全然分からないが思った。そしてそんなことを思いながらも、近所にある

 「牛は食べれないとこはない!」とうたっている焼肉屋も思い出し、食欲も直撃されてしまう始末だったが、何も知らずにピヨピヨ言ってるヒヨコの顔とか去勢されているブタたちを思うと、これからは食うときでも「あなたは間違いなくこの世にいた」とかそのくらいは思って食べようと思った。
 だが同じように植物たちにも命はあると、頭では分かっているつもりでもガキの頃から嫌いな野菜の場面にはほとんど興味を抱くこともできず、睡魔との闘いになってしまう始末でもあった…。

(2007.12.2)

いのちの食べかた 2005年 ドイツ・オーストリア
監督・脚本・撮影:ニコラウス・ゲイハルター 脚本:ウォルフガング・ヴィダーホーファー
公式

2007年11月10日より、
渋谷シアター・イメージフォーラム他、全国順次ロードショー

2007/12/03/12:30 | トラックバック (0)
「い」行作品 ,百恵紳之助 ,今週の一本
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