友人知人が多数参加していることもあり、観るまえから噂を聞いて、大きな期待を寄せていた作品。はたして完成した映画は、こちらのあらゆる期待を裏切るようにあたらしく、且つ、心からの賞賛を送りたい傑作となった。
原作は重松清の同名連作小説。2005年の刊行以来、「ほんとうに泣ける一冊」としてクチコミで話題を呼び、ベストセラーとなった。
イラストレーター(南原清隆)の妻(永作博美)は不治の病を患っている。二人の子供たちは母親の病状を知らされていないが、徐々に忌むべき現実がどこにでもある家族の生活にしのび寄ってくる。
夫婦は刻一刻と迫る「その日」をまえに、若かりしころ暮らしていた街を訪れる。そこにあのころの自分たちはいるだろうか、と思いをめぐらせながら。様変わりした駅前、初めて家具を買った店、注文の多いならぬ問題の多い喫茶店……。たしかに、そこにはあのころの自分たちがいた。そして、いまこのときを生きる自分たちもここにいる。
二人は電車のなかで、商店街で、物憂げな表情をした一人の男(筧利夫)と出会った。彼もまたみずからの「その日」に向かって生きていた。
夫婦が子供たちと暮らす街の駅前には、くらむぼん(原田夏希)という青年が紡ぎ出す詩(宮沢賢治の「永訣の朝」)とチェロの音色に耳を傾ける中年女性(柴田理恵)がいる。ここにもまた「その日」を静かに待つ人の情景がある。
凡庸な監督なら、大味なヒューマンドラマに仕立ててしまう題材を、大林監督は繊細にして大胆な手つきで(映像の魔術師たる大林監督の映画作法ももちろん健在だ)みごとに描き切っている。
脚本は市川森一。大林監督とのコムビは『異人たちとの夏』以来(TVドラマとして製作、のち劇場公開された作品として『淀川長治物語・サイナラ』があるが)となる。思えば、『異人たちとの夏』も本作同様、自らの「その日」に向かって生きている男の物語であった。「その日」をまえにして見る(川本三郎の常套表現を借りるなら、「末期の目」で見る)風景は、どうしてこんなにも純粋な美しさを湛えているのだろう。
原作でも効果的に使われていた宮沢賢治のことばを、大林・市川コムビはさらに膨らませ(大林監督は宮沢賢治の熱心な愛読者として知られる)、全体を包み込む鎮魂のモティーフとして定着させた。
意外にも思えた出演陣は、蓋を開ければ、これほど適材適所のキャスティングもありえないというほど素晴らしい存在感を見せてくれた。TVで見慣れた南原清隆の顔がフィルムのなかでこれほど生き生きと映えるとは! 永作博美のかわいらしさ、いちいち見せる仕種の愛らしさもまた、作品のもつ哀しさ、美しさを際立たせている。
映画の終盤、夫は看護師(勝野雅奈恵)を通じて、妻が遺した言葉をさずかる。その言葉は、妻のいなくなった人生を、子供たちとともに生きていかなければならない夫の心にのみならず、映画を観ているわれわれの心にもグサリと深く突き刺さる。
夫は、その言葉によって、この先の人生を歩きだすことができる。そして、観客であるわれわれは、(映画のなかの夫が妻に何度でも出会いなおせるのと同じように)この作品がもつ哀しさ、美しさに何度でも遭遇することができる。それはとてつもなくスリリングで、感動的な体験であろう。
この映画は、間違いなく十年に一本の傑作といってよい。
(2008.10.21)
その日のまえに 2008年 日本
監督:大林宣彦
脚本:市川森一 原作:重松清
『その日のまえに』
出演:南原清隆,永作博美,筧利夫,今井雅之,風間杜夫,勝野雅奈恵,斎藤健一,宝生舞,原田夏希,柴田理恵,
村田雄浩,窪塚俊介 (amazon検索)
(C)2008『その日のまえに』製作委員会