第二次世界大戦中のベルギー。首都ブリュッセルで両親と暮らすユダヤ人の少女ミーシャは、ナチス・ドイツの占領下で窮屈な生活を強いられていた。ナチスへの幼い敵意を剥き出しにし、自由に過ごせない毎日に不満を訴えるミーシャ。そんな子どもらしい行動にハラハラさせられるが、映画を見終わる頃には彼女を見る目がガラリと変わるだろう。
原作は、世界17カ国で翻訳された小説「少女ミーシャの旅」。突然両親を強制連行されたミーシャが、「両親は東にいる」というわずかな手がかりと小さな貝殻のコンパスを頼りに、ベルギーからウクライナまでを歩いて往復する旅を描く。監督・脚本を手がけたのはヴェラ・デルモン。自身もユダヤ人であり、第二次大戦中に隠れ住んでいた経験を持つ。映画「ミーシャ/ホロコーストと白い狼」は、「いつかホロコーストに関する映画を作りたいと思っていた」という監督の願いの結実でもある。
ミーシャの旅は約3000マイル(約4800キロ)、3年にも及ぶ。試しに地図を開いて指でたどるだけでも、途方もない旅であることが分かるはずだ。寒さに体力を奪われ、険しい山道に傷を負う。叫び声をあげるほどの空腹に襲われて、食料を盗み生きたミミズを口にする。まさに、“旅”というよりも“サバイバル”。そんな道のりの過酷さと、旅の中でナチスの罠を見抜くほどの子どもらしからぬ生存術を身に付け前進するミーシャの姿が、たんねんに描かれていく。
つらい物語にひととき安らぎをくれるのは、狼たちとの出会いだ。白い狼の佇まいは美しく、ミーシャとの奇跡的な交流は童話のようでもある。でもそれは心あたたまるだけでない、どこか妖しく残酷な童話だ。ミーシャは狼と戯れ、一緒に山を駆け、彼らの獲ってきた動物の生肉を食べるようになる。白い狼が差し出す野ウサギを、少女は両手で掴み肉に顔を突っ込んで食らいつく。色のない山の中で、肉と血の色がひどく鮮やかだ。生肉を食べるシーンは彼女の生への執念を感じさせるだけでなく、生と死やタブーが入り交じるどこか倒錯した場面になっていて、“ホロコーストを扱った物語”と聞いて想像するものとは少し異なる印象を映画にもたらしている。狼たちとのシーンを始めほとんど全ての場面を果敢に演じきったのは、撮影開始時は8歳だったマチルド・ゴファール。小さな女優の凄みには、誰もが驚かされるはずだ。
幼い少女が一人、ベルギーからウクライナまでを徒歩で往復することが可能なのか疑問に感じるが、この物語で受け取るべきはミーシャに託されているものだろう。映画の中で直接ホロコーストは描かれていないが、この旅は少女の両親がホロコーストで連れ去られることがなければ、つまりホロコーストがなければ始まらなかった旅であり、死と隣り合わせの旅路は迫害され殺された人々の悲劇を思い起こさせる。
旅が終わったとき、表情と言葉をほぼ失ったミーシャに以前の面影はない。ぐしゃぐしゃの髪の毛、汚れた体、容赦なく残る傷跡。シラミ駆除のため髪を剃られ湯船に入れられるシーンでの、全てをこそぎ取られたような姿には言葉を失ってしまう。そこまでぼろぼろになっても、彼女はかすかな希望を支えに生き抜いた。ミーシャの姿から伝わってくるのは、ホロコーストという過酷な運命に立ち向かった人々のたくましさ、そして彼らの生への切実な願いだ。幼い少女の旅には、あまりに辛く悲しい出来事とそれに屈しなかった人々の思いが重ねあわされている。
かつて大好きな母親が丁寧に洗い、口づけてくれた足。その足に、少女は旅の途中で深い傷を負ってしまう。けれどもう、手当てしてくれる人はいない…… サバイバルの果てに、ごく普通の少女だったミーシャはいない。彼女は自ら傷を手当し、再び歩き出す。強くならざるを得なかった少女に、見る人は繰り返していけない歴史を知るのだ。
(2009.4.5)
ミーシャ ホロコーストと白い狼 2007年 フランス・ベルギー・ドイツ
監督:ヴェラ・ベルモン 脚本・脚色:ヴェラ・ベルモン,ジェラール・モルディラ 撮影:ピエール・コットロー
編集:マルティーヌ・ジョルダーノ 音楽:エミリー・シモン 美術:オレリアン・ジュネックス 装飾:ミシェル・コンチェ
出演:マチルド・ゴファール,ヤエル・アベカシス,ギイ・ブドス,ミシェル・ベルニエ,ベンノ・フユルマン,
アンヌ・マリー・フィリップ,フランク・ド・ラ・ぺルソンヌ
(c)Stephan Films Les aventuriers de l’image XO Productions Inc. (France)
2009年5月9日より(土)より、TOHOシネマズ シャンテにてロードショー!
主なキャスト / スタッフ
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