シネブック・ナウ

『わが封殺せしリリシズム』

( 大島渚 / 清流出版 )
映画は革命のために

特別寄稿:東良 美季(作家・AVライター)

「わが封殺せしリリシズム」一九七三年に刊行された『大島渚の世界』(河出書房)の中で、著者の佐藤忠男はこう書いている。
「大切なことはムードじゃない。論理だ。作者はそう言いたいのだろう」
これは、「ぼくは正しい犯罪者になるべきであった!」と題された、処女作『愛と希望の街』についての一文だが、大島渚という映画作家を、これほど的確に捉えた表現はないはずだ。少なくとも、ある時期までの大島作品に関しては。
大島は何故ムードを否定し、論理を優先させたのか?
あなたは彼の映画を観て、そのような釈然としない想いに囚われたことはないか。僕にはある。
池袋の文芸地下や京橋のフィルムセンター、千石の三百人劇場などという映画館を出て、その到底解決出来そうのない課題を抱いて、街を歩き続けたことが。
例えば『太陽の墓場』に於いて、何故結末が佐々木功と川津祐介の明日無き対決ではなく、炎加代子による労働者の扇動であったのか。あるいは『白昼の通り魔』の後半、何故あんなにも小山明子と川口小枝は延々と死に場所を求めて彷徨するのか。『絞首刑』の中盤、死刑囚Rが殺した女子高生は突然何故、小山明子演じる朝鮮服を着た年上の女に成り代わってしまい、民族の誇りを主張し日本帝国主義批判を始めるのか?
此処には「大切なことはムードじゃない、論理だ」と言いつつ、その論理を巡って思考を重ねるうち、果てしなく深く暗いムードの迷宮へと沈み込んでいく世界があった。そこには常に葛藤のみがあり、一筋の希望すら見出すことが難しかった。
出口は無く、解決策は見出せない。結局とのところ、明日が今日より幸せになることなんて有り得ないのか──大島渚の映画を観るたび、僕はそんな惨憺たる想いを抱えて街を歩き廻るはめになった。

そこには幾つかの、個人的かつやっかいな問題があった。
ひとつは時代が七〇年代半ばだったこと。もうひとつは僕が一〇代の少年だったこと。そして、僕の父親が本書『わが封殺せしリリシズム』の中で、「私の大学時代の友人で、大阪の高校の先生をしながら劇団をやっていたのを無理矢理引き抜いた」(第三章・俘虜と天使)と書かれる、役者の戸浦六宏であったということだ。
つまり僕にとって大島渚を理解するということは、常にイコール父とその世代を理解するということであった。それはご多分に漏れず面倒で気の重い作業であり、そんなことにうつつを抜かす暇があったら、可愛い女の子と楽しく遊んでいるべきであったとオジサンになった今は心底思うけれど、一〇代の少年にとってはそうはいかない。ましてや七〇年代とは、そのような時代であった。
長らく続いていた社会への異議申し立ては終焉を迎え、僕らは中学生の時、漫画家・樹村みのりが「もう一人は72年の年の2月の暗い山で道に迷った」と書いた、あの連合赤軍の事件を見ていた。
社会が変革されなければ、自己は決して解放されないのだとまだしっかりと信じられていたにも関わらず、社会なんて逆立ちしたって変わらないということは、誰の眼にも明らかだった。
そしてこれは、そのような一〇代のナイーヴな少年が抱いたささやかな仮説ではあるが、僕は密かにこう考えていた。
〈大島は映画で革命を志していた。社会を変革しようと、誰よりも真剣に考えていた。故に、ムードではなく論理だったのだ。ムードで革命は成就しない〉と。もちろんその仮説は、〈しかし──〉と続くのだが。

愛のコリーダ 完全ノーカット版 [DVD] 御法度 [DVD]さて、本書『わが封殺せしリリシズム』は、大島渚が一九五八年から一九九八年まで書いた、一部未発表を含む文集である。初出誌は『映画批評』『シナリオ』『映画芸術』といった映画専門誌から、『朝日新聞』『婦人公論』、京都の茶道美術誌『なごみ』まで。内容もエッセイから回顧録。今井正、増村保造、アンジェイ・ワイダ等を語る映画評論。岡田茉莉子、仲代達也、山本富士子他、俳優達のスケッチ。さらには盟友・川喜多和子、森川英太朗の葬儀で読まれた弔辞に至るまでと多岐に渡る。
また、これは先に書いたように極めて個人的なことで恐縮だが、「第二章・わが思索、わが風土」に於いて、「職業」「革命」「国家」について語られているのが非常に興味深い。此処には大島が何故、「ムードを廃し、論理を追求したのか?」、その答えが明確に記されている。さらにご存じの通り、七〇年代の半ば『愛のコリーダ』を境に大島渚は「論理の作家」から「ムードの作り手」へと緩やかに、そしてしなやかに変身していく。ムードはリリシズムとなって、九九年の『御法度』にて妖しいほどに美しく昇華するわけだが、その背景をもまた、我々は理路整然と理解することが出来る。そう言った意味では、大島映画のファンならずとも、この国、その時代を知るための必読の書と言えるだろう。

ところで、大島渚が映画で目指した革命は、果たしてどうなったのだろう? そう、溢れ出るリリシズムを封印してまで彼の渇望した革命は、今どのようにあるのか。それは「第三章・俘虜と天使」で触れられる、デビッド・ボウイ、北野武と言った人々の中に於いて、現在進行形で息づいている。今こそ大島映画をと願うのは、僕だけではあるまい。

(2011.5.1)

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2011/05/03/11:25 | トラックバック (0)
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