アランクリター・シュリーワースタウ (監督)
映画『ブルカの中の口紅』について【2/4】
第29回東京国際映画祭「アジアの未来」部門上映/国際交流基金アジアセンター特別賞受賞作品
東京国際映画祭公式ページ (取材:松岡 環【アジア映画研究者】)
前述のように、4人のうち2人はイスラーム教徒で、2人はヒンドゥー教徒になっている。
「最初の構想では4人ともイスラーム教徒でした。でも脚本を書いているうちに、2人はヒンドゥー教徒の方がいいと思えてきたのです。特に、4人のうち最年長であるウシャーは未亡人なので、ヒンドゥー教徒にした方がいろんな問題が浮かび上がってくると思いました。もちろん作品の内容が第一義的ではあるのですが、2つの異なるコミュニティに属する女性たちそれぞれの闘いを描くことで、普遍性が出てくると思ったのです。」
女子大生のレーハーナーは、保守的な両親が経営するブルカ・ショップを手伝っているが、いったん大学に行くとジーンズ姿になる。そして上昇志向を押さえきれず、ブルカを隠れ蓑にして、口紅やドレス、ブーツを万引きをする。
「インド映画で女性を描く時は、男性主人公の憧れのヒロインとしてゴージャスな描き方をするか、それとも娼婦、悪女として描くか、あるいは苦しんでいる犠牲者として描くか、のどれかです。ヒロインにしろ、悪女にしろ、犠牲者にしろ、いずれにしても実際の女性の姿からはほど遠い。私の映画の4人の女性は、リアルな、現実にいる女性です。彼女たちは普通の女性で、灰色のキャラクターとでも言えばいいでしょうか。我々全員がそういう灰色キャラだと思うんですが、どの人も完全無欠ではなく、正しいことにも間違っていることにも手を染める。でも、それが人の生き方なんじゃないでしょうか。一生懸命生きている人に対し、彼らのやったことが正しいとか間違っているとか言えないと思います。
この映画の中のヒロインたちがやっていることは、いずれも反乱です。インドのように植民地だった国では、物欲であれ、性欲であれ、欲望はすべて抑制されてきた。それが近年の経済発展に伴い、欲望が表に出てくるようになり、小さな町でもいろいろな変化が見られるようになった。小さな町は、今瀬戸際にあるんです。彼らはこれまで、期待されている伝統的な役割を果たしてきたわけですが、ここにきてもっと別の世界があることを知ってしまった。そこでは自分の欲望を満たす機会があることを、人々は知ったのです。
レーハーナーですが、彼女は大学に行くと疎外感を味わいます。自分とはまったく違う世界に住む女子学生たちがいて、自分の持っていない物を彼女たちは所有している。勉強をしに行った大学で、生活の違いを見せつけられます。彼女たちの暮らす世界に馴染みたいと思って背伸びするのですが、うまくいかない。そういった細かな、今日女性たちが感じている違和感も描いてます。」
同じくイスラーム教徒のシーリーンはセールスウーマンとしてとても有能だが、働いていることを夫に隠し、家では昔ながらの妻として暴君的な夫に従う。
「彼女はとても頭のいい女性で、前向きな人です。でも、家庭生活ではそういう面が出せない。ですので彼女の闘いは、結婚生活の中でもそう言った面を出していくことなんですね。彼女のような女性はとても多いと思います。仕事では有能で、いい成果をたくさん出しているのに、家庭での夫との関係は全然平等じゃない。シーリーンのキャラクターを作るにあたって、女性は階級や教育程度の違いはあっても、みんな同じだということがわかりました。大会社を経営している女性でも、結婚生活となると本当に昔ながらの関係で、夫と対等とは言えないんです。だから、どんな女性もそこで闘わないといけないんですね。個人生活のレベルでは、常に挑戦を強いられるのです。」
監督・原作:脚本:アランクリター・シュリーワースタウ
プロデューサー:プラカーシュ・ジャー 共同脚本:スニール・カンワル
ダイアログ:ガザル・ダーリーワール 撮影監督:アクシャイ・シン 編集:チャールー・シュリー・ローイ
サウンド・デザイナー:ラーフル・バドウェールカル
出演:ラトナー・パータク・シャー、コーンクナー・セーン・シャルマー、アハナー・クムラー、プラビター・ボールタークル
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