
4月29日「珈琲時光」(03、日、侯考賢)を観る
「珈琲時光」と一人相撲
どうも一青窈的な女の子と仲良く出来ないので、彼女の出ている、とても彼女らしい、こういう映画にはどこか畜生感がぬぐえません。
「そんなに突っかかんなよぉ」と言われる事は承知で、私のような上っ面と照らし合わせてしか映画を見られない女の感想しか出て来ませんでした。
結婚の予定もないのに妊娠している事や、産みの親と育ての親が違うという複雑そうな家庭の事情などをサラッと話す一青窈。おまけに大家さんに、父親が飲む日本酒さえもグラスごとサラッと借りてしまう自然体。
どうにもこうにもギリギリします。
もはや自分が、この自然体の日常的な映画に何を求めているのかさえよく分からなくなりながら、とにかく何か1つでも結果をと、詰め込み教育の煽りをバッチリ受けた私は焦るばかりです。
しかし、これぞゆとり教育と言わんばかりに、優雅に日常を送る一青窈は、最後まで妊婦のくせに腹も出なけりゃ、出産もせず、フリーライターのくせに資料集めばっかりで原稿もあげず、映画のタイトルに珈琲という言葉が入っているにも関わらず最後までホットミルクを飲み続け、一体私は何と戦っているのか、いい加減疲れてしまいました。
一人相撲は大変です。
TRACKBACK URL: