シネヌーヴォのチラシ棚で、それは一際異彩を放っていた。『家族ロック』 を手がけた島田角栄監督の第2作目は、その名も『電撃BOPのセクシーマザーファッカーズに!!』である。 この奇抜でロック色の強いタイトル。 60年代を思わせるサイケデリックなデザインに彩られたチラシを手に取った瞬間から、 本作の持つ並々ならぬパワーと情熱の体感はすでに始まっている。
本作は、「分かりやすさ」「毒のない面白さ」を志向し、 結果的に内容の薄さを指摘されがちな商業ベースの映画群とは明らかに一線を画している。むしろそれらに反旗を翻すがごとく、 低予算ゆえの制約さえも原動力とし、監督自らも活動するパンクロックの信条をストレートに映像化し、 観客に叩きつけてくるのだ。そこには青年特有のパワフルな若さがあり、性と暴力への直接的な言及がある。 その点ではATG映画、とくに若松孝二監督の「天使の恍惚」(72)にも通じる。
本作はしかし、前掲した作品とは基本的に性質が異なる。「喧嘩で500戦無敗を誇るパンクス岡島」が元彼女に、 捕まった恋人を助けるよう頼まれ「暴力とロックを愛するヤクザの藤北」を追う。藤北は3000万円を掠めた 「ヤクザ狩りで世直しを行う虎吉」を追う。そして虎吉は目が合った岡島をなぜか追い回すことで、 奇妙な三つ巴の追跡劇が幕を開ける。しかし、この3人がそれぞれの因縁のもとで互いを追い掛け回す光景に、 陰惨さはまったくと言っていいほどない。全編を通して表現されるパンクロックの過激なパフォーマンスさえも、 ここでは関西ノリの軽いコントに昇華されていく。
例えばその風貌からは考えられないほど、登場人物の存在はピースフルで純粋だ。 女子供と動物に滅法弱い岡島は、 ふとしたきっかけで助けたハルカのクレイジーさに手を焼くもいつの間にか離れられなくなる。 虎吉や藤北もまた自分たちの優しさを隠そうともしない。 彼らに痛めつけられた者達ですら次の瞬間には何事もなかったかのようにピンピンしているのだ。 そのリアリティーすら無視した内容からは、監督自身の愚直なまでに一貫した平和主義的姿勢― 監督がわざわざ舞台挨拶で「この作品では決して女性や動物をモノのように扱ったりしていません」と断りを入れ、 作品自体も残酷な描写を徹底して避けるなど―を感じずにはいられない。
また同時に注目すべきは、「3人に順番に出会った者は幸福になれる」という突然の字幕、 3人が行き着く先に現れる大日如来(!)、そして岡島の「キリストは絶対に神を見た」という呟き。 これら半ば強引に挿まれる各シーンや台詞は、パンクロッカーと神秘体験や宗教性との密接なリンクを示唆している。 ロックが本質的に持つ力を信じ、奇跡の瞬間を希求する監督の切実な願いが二重写しとなって現れてくるのだ。 かつてヒッピーたちが、LSDで幻視した理想郷や夢想的な世界平和への想いを継承しようとするかのように。
本作では、様々なアーティストの名が連発される。
出演者の口を借りてホイホイと出てくる名前は、ラモーンズ、ジョー・ストラマー、
スリップノットとロックシーンの名称に限らず、ゴダール、チャールズ・マンソン、TAXI2と少々節操がない。
全編を通して軽率だと言うのなら、これもまた単なるミーハー行為で終わるだろう。
確かに作品に散りばめられた名称が作中で機能しているとはお世辞にも言いがたい。しかし何よりも、
本作には簡単に真似ができないほどの独自のパワーが生きている。
独自のパワーとはつまり、本作に通底する"Rock'n Roll"の精神、そして大阪というローカル性である。 大阪弁や活発な気風に見る荒々しいまでの土着のエネルギーによって、ロックの信条が映像という形をとって現れる。 その限定された環境ゆえにたどり着いたのはまた、 人間存在により肉薄した精神性の高い映像であったというのはあまりに言い過ぎだろうか。
映像からはみ出るほどのパワフルなアフレコ、優しさの滲み出る暴力シーン、熱意のあふれる特別技術。 その荒削りでエネルギーに満ちた作品は、まるでライブハウスで聴くインディーズバンドの生演奏のような衝撃を受ける。 パンクロックが映像となる稀有の瞬間を見逃してはならない。
(2007.2.9)
電撃BOPのセクシーマザーファッカーズに!! 2006年 日本
監督:島田角栄
脚本:島田角栄
撮影:谷口譲
出演:中井正樹,大西明子,デカルコマリィ,坂平堅太,伊黒直美,
小寺智子,ハスミマサオ,かわら長介 他
公式サイト
3月24日よりUPLINK
Xにてレイトショー公開
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