( 2006 / アメリカ / ロバート・デ・ニーロ )
孤独なスパイの悲劇的な半生を描く、壮大なエスピオナージュ

膳場 岳人

グッド・シェパード1 1961年4月17日、アメリカ政府によって極秘裏に組織された亡命キューバ人グループが、キューバのピッグス湾に上陸、その2年前にキューバに共産主義政権を打ち立てたフィデル・カストロの軍隊の殲滅に向かう。だが秘密裏に進められてきたこの上陸作戦は失敗に終わる。上陸地点が敵に筒抜けになっていたのだ。同じころ、作戦の指揮を執ったCIA特殊工作局員のリチャード・ウィルソン(マット・デイモン)の家に、謎めいた一枚の写真と盗聴された会話の録音テープが届けられた。会話からは「コチーノス」、すなわち「ピッグス湾」という言葉が聞き取れる。これは情報を敵側に漏洩した“モグラ”を告発する証拠品なのだろうか。リチャードは局内に潜むモグラを探し始め、同時に、秘密と裏切りに埋め尽くされた自らの半生を振り返る……。

 政治的な緊張が極度に高まる“現在”と、スパイの秘められた“過去”を交互に描きだすことで、一人のスパイの悲劇的な半生を炙り出していく壮大なエスピオナージュ。諜報戦がもっとも活発だった冷戦時代を背景に、裏切りにつぐ裏切り、相手の弱みに巧みにつけこむ“罠”の数々、詩や文学を小道具として活用するインテリジェンス、寄る辺なき諜報部員たちの非情な末路が活写されている。いずれも「その筋」の客にとってはクリシェと見做されがちな要素ばかりだが、そのクリシェが実に的確にドラマの要所を押さえており、心地よい。スパイ小説の巨匠・ジョン・ル・カレの傑作『パーフェクト・スパイ』を想起させる構成(および“父と子”という主題)で、好事家にとってはかなり満足のいく仕上がりなのではないだろうか。

グッド・シェパード2 イェール大学在学中、リチャードは学内の秘密結社スカル・アンド・ボーンズへ勧誘される。リチャードはそこで対外諜報機関のメンバーとしてリクルートされ、空襲警報の鳴り響くロンドンへ赴任する。1941年のことである。そこから彼の二重生活が開始される。このスカル・アンド・ボーンズとは実在する組織であり、直近の例を挙げればブッシュ大統領親子がその会員である(なお、パパ・ブッシュは70年代の一時期CIA長官を務めている)。またジュニアが2004年に第二期大統領選を争った民主党のジョン・ケリーも同じスカル・アンド・ボーンズに所属していたことから、当時にわかにこの秘密結社がクローズアップされたことは記憶に新しい。フリーメイソンと同じような、何やら怪しげな印象の組織だが、重要なのはこの組織の出身者が米国政界や財界の中枢に腰を据え、一大コネクションを築き上げていることである。

 彼らは自らを神と過信するほどの権力を持ち、国家の安全、ひいては利益になるのならば他国の政権転覆すら厭わない。リチャードはロンドンで東側の大物スパイ、“ユリシーズ”と出会う。以後、二十年間、キューバ問題に代表される東西代理戦争の行方を、彼との水面下の“外交”によって調整していくのだが、腹の探り合いに終始する職務が招くのはリチャードにとってあってはならない悲劇である。国家のために身をささげた結果、個人の幸福を失っていく。それは家庭の幸福を第一義とするアメリカ人にとって痛烈な皮肉であり、切実な主題に違いない。

 近年まれに見る硬質なスパイ映画――すなわち、『007』や『ミッション:インポッシブル』のように、アクションやサスペンスを売り物にしないという意味で――であり、面白い映画に違いはないが、不満も残る。筆者は脚本のエリック・ロスによるノヴェライズを読んでから接したのだが、予備知識なしでは意図の伝わりにくい個所が多すぎるのではないか。終盤、ジョイスの「ユリシーズ」の書籍からはらりと落ちる一本の毛髪が何を意味するか、ある人物を空から墜落死させた犯人は誰なのか、ある人物が“枢機卿”であることを意味する小道具を、いったい誰が覚えているのか(実は序盤で示されている)……。見せ方のマズイ要素は数え上げればきりがない。俳優が撮る映画は基本的に面白いものだが、この複雑怪奇なスクリプトは、情報処理に優れた職人肌の監督に撮って欲しかった、というのが正直なところである。

グッド・シェパード3 主人公を演じるマット・デイモンは“WASPの好青年”然とした持ち味を生かし、いつもながらの好演を見せてはいるが、予告編で流れたジェイソン・ボーン役のほうがはるかに似合っている。基本的に動きが少なく、表情だけで感情を示す芝居が多い役柄なのだから、顔そのものにもっと個性のある役者の方が良かったのではないか。それに“父と子”のドラマを演じ切るには、彼の若さではリアリティが足りないのである。彼の妻を演じるアンジェリナ・ジョリーがいい。家庭を守る主婦の立場から、夫の多忙を責め立てるという、アメリカ映画ではおなじみのクソつまらん役柄だが、もう存在自体がゴージャス。老けてやつれ果てたメイクでもエロティック。この美しさは異常。カストロに恨みを持つマフィアを久々に見た気がするジョー・ペシが演じており、いい感じ。同性愛者の大学教授を演じるマイケル・ガンボン、肺がんのFBI捜査官アレック・ボールドウィン、リチャードを補佐する秘書役のジョン・タトゥーロといった脇役が、出しゃばらないながらもいい演技を見せている。若手では、MI6に所属する英国諜報部員アーチ・カミングスを演じるビリー・クラダップが目を引いた。

 劇中、デ・ニーロ演じるサリヴァン将軍は言う。

「一部の人間が強大な権力を掌握し、敵方を操るということは、現実や妄想を問わず、誰かに特定の利益をもたらすことになろう」

  映画『JFK』に描かれるジョン・F・ケネディ大統領の暗殺はこの映画のラストシーンから2年後の1963年である。それ以来、CIAの暴走は誰にも止められていない。

(2007.10.23)

グッド・シェパード 2006年 アメリカ
監督:ロバート・デ・ニーロ 脚本:エリック・ロス 撮影:ロバート・リチャードソン 美術:ジャニーン・オップウォール
出演:マット・デイモン,アンジェリーナ・ジョリー,アレック・ボールドウィン,ウィリアム・ハート,マイケル・ガンボン
公式

2007年10月20日(土)より日劇1ほかにて全国ロードショー

2007/10/23/20:51 | トラックバック (1)
膳場岳人 ,「く」行作品 ,今週の一本
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