話題作チェック
(2009 / 日本 / 伊藤善亮・林昌幸)
「語り継ぐ」ことの大切さや苦しみを改めて思う

富田 優子

『昭和八十四年』1毎年8月には戦争に関連するドキュメンタリー番組や映画、ドラマ等が盛んに取り上げられる。確かに、8月には広島・長崎への原爆投下(6日、9日)や、終戦の日(15日)があって、1年のなかで戦争を振り返るには絶好の月であることには間違いない。
戦争を振り返るということは、戦争を体験した世代から、その悲惨な経験を語り継いでもらうことが最も効率的(という言い方は適切ではないかもしれないが)であり、的確であるとは思う。経験者の言葉は何よりも深く、重みがある。だが、その「語り継ぐ」という行為は、想像以上に難しいことだと思う。「語り継ぐ」ことの重要性は、当事者も頭では分かっているのだけれど、心に負った深い痛手から話すことを拒むということも多いと聞いている。その人たちのそういう気持ちも、また理解できる。誰だって自分の心の傷を白日の下にさらすのは辛い。

そんななか、本作は自分の戦争経験を含む、その全人生を「語り継ぐ」ことをライフワークとしている人物の姿を追っている。その人物とは飯田進さん、現在86歳。東条英機元首相の「アジアを欧米列強の植民地支配から解放するために戦う」という演説に心酔し、興亜青年を自認していた飯田さんは志願してニューギニア戦線へ赴く。だが終戦後は、ニューギニアの人を殺害した罪に問われ、BC級戦犯としてスガモ・プリズンに収容され、米国の日本占領が終わった後に釈放される。青春時代を戦争に奪われ、それだけでも苛酷な人生と言えるのに、飯田さんにはこれでもか!と言わんばかりの苦難が次々に襲う。長男がサリドマイド薬害により障害を負い、国と製薬会社を相手に訴訟を起こして戦い、勝訴の判決を勝ち取る。さらにその長男との確執、障害者福祉団体の設立など、その波瀾万丈の人生を語り継いでいるのだ。

『昭和八十四年』2それにしてもこの飯田さんという人物は、とても骨太でチャーミングな人だ。語り継ぐことを自らのライフワークに課すという、揺るぎない生き様を見せつけられたかと思えば、スガモ・プリズン時代に恋人と交わしたラブレターを見つけた時は、ちょっと顔を赤らめて「愛していたんだな」としみじみつぶやくなんて、何てかわいらしい人なんだろうと思った。80歳を過ぎた男性の口から「愛」という言葉が語られるなんて、(欧米ではともかくとして)日本では皆無に近い(と思う)。筆者が女性だからかもしれないが、飯田さんの「愛していた」という一言で、飯田さん自身に魅了されてしまった。この言葉は、使い方によっては軽薄で上辺だけのものになってしまいそうだけど、飯田さんが発すると人生や年月の重みを感じさせ、心底その人を愛していたんだな、ということが伝わる。もちろんそれだけではなく、飯田さんの骨太な生き様――とりわけ語り継ぐことへの揺るぎない覚悟にも惹きつけられたのだけど。要するに、あらゆることに真剣に向き合ってきた飯田さんの生き方に魅了されるのだ。
同様のことは、作り手側も感じていたのだろう。飯田さんの身の上に起こったことを淡々とカメラに収めるのではなく、飯田さんの生き方や人柄をより知りたい、伝えたいという思いが伝わる。だから飯田さんの娘さんや、息子さんが通っていた飲み屋の経営者のご夫婦にまで取材対象を広げて、飯田さんをもっと多角的に見せたいと考えたのではないかと思われる。

そんな愛すべき飯田さんではあるが、歴史の教科書に載るような人物でもないし、その存在を伝説のように多くの人に語り継がれる人物でもなく、日本人1億3千万人のうちの単なる1人だ。いずれはその存在は大きな歴史の波間に消えて、忘れ去られてしまうのだろう。それは何も飯田さんに限らず、大多数の「名もなき市民」も同様の運命だ。それでも飯田さんは、渾身の思いで「語り継ぐ」ことを止めない。なぜか?自分の名を後世に残したいなどという名誉欲なんかのためではない。「過去は未来に影響を及ぼす」から、過去の出来事を伝えることで、「社会的な責任を果たす」ためだ。

『昭和八十四年』3飯田さんがニューギニアで人を殺してしまったことを語るシーンがある。上官から殺害を命じられた若い兵士がその人を殺すことができずに、代わりに飯田さんが日本刀を抜いた、というかなり具体的かつショッキングな告白で、それまでは比較的淡々と語っていた飯田さんの表情にも苦渋の色が浮かんでいた。もし、これが自分だったら一生心の奥底に封印したいと思ったことだろう。だが、飯田さんはそうはしなかった。この出来事を「人生最大の負い目」に感じていても、語ることに迷いはない。語り継ぐことが自分のライフワークであり、社会的責任を果たすため、と覚悟しているからだ。むろん、その境地に至るまでには様々な葛藤があっただろう。スガモ・プリズンでも「自分の役割は何なのか」とずっと考えていたという。そして、その結論が「語り継ぐ」ということだったのだ。

執筆活動や講演を通して、飯田さんは世間に向けて情報を発信し続けている。数多くの講演などをこなしているから、人前やカメラの前で話すことはある程度、場慣れしているようだ。でも、飯田さんは一言、一言、言葉を選びながら、心の奥底から自分の体験をしぼり出そうとしているようで、やはり「語り継ぐ」ことへの苦しみを感じているように思う。いや、苦しみを感じるだけというよりも、その苦しみと戦っているようだ。そう思うと、飯田さんの人生は戦うことのみに費やされたと言えるのではないか。戦争を戦い、サリドマイド薬害訴訟を戦い、そして、それらの体験を語り継ぐこととの戦い……。何て壮絶な人生なのだろうか。

『昭和八十四年』4本作の作り手はそんな飯田さんの果てしなき戦いの思いをタイトルに込めた。『昭和八十四年 1億3千万分の1の覚え書き』――飯田さんにとって、これほどまでに的を射るタイトルが他にあろうか。高度経済成長期にさしかかった昭和31(1956)年の経済白書では「もはや戦後ではない」と記述されているが、飯田さんや戦争経験者からすれば、どうして戦後が終わっただなんて無責任なことが言えるんだ?と叫びたい思いに違いない。また、昭和とか平成とか、年号の変わり目は時代の区切りとされがちだが、過去・現在・未来は1つに繋がっているものであり、決して分断できるものではないはずだ。飯田さんの「過去は未来に影響を及ぼす」という言葉の真意を上手く汲み取っていて、とても感心した。

戦争に関する証言を集めたドキュメンタリーは結構あるが、その証言をした人自身に関する作品というのは、今まであまりなかったように思う。仮に本作を「戦争について知りたい」と考えて見てしまうと、やや期待外れになるかもしれない。本作は「飯田進の物語」であって、正面切った戦争もののドキュメンタリーとはちょっと種類を異にする。だが、飯田さんの生き方に感銘を受けて、あの戦争とは何だったのだろうか?と改めて考えてみたくなる。
実際のところ、飯田さんに魅了された筆者は、本作を見た後に飯田さんの著書の1つ『地獄の日本兵~ニューギニア戦線の真相』(新潮社、2008年)を読んでみた。ニューギニア戦線でのあまりにも悲惨で異常な事実が克明に記録されている。もちろん、殺人を犯してしまったこともつぶさに記載されている。正直なところ、読むに耐えないような凄惨な描写もある。でも、飯田さんは「事実を伝えたい」との一心なのだ。そういう飯田さんの思い――「語り継ぐ」事実とともに、それによって生じる苦しみをも真摯に受け止めたい。

そして、飯田さんの「逆境のなかで私なりに時間を有効に使ってきた。後悔しても始まらない。前向きに生きる」という言葉には、何となく頼りなく生きてきた自分に喝を入れられた思いだ。大いなる勇気と未来へのかすかな希望を感じさせる作品。ぜひ多くの人に見ていただきたい。

(2009.8.20)

昭和八十四年 2009年 日本
構成・演出:伊藤 善亮 / 企画・撮影:若尾 泰之 / 制作・取材:林 昌幸
音楽:乗松 安土,鈴木 智昭,四谷 聡 / MA:協映スタジオ
公式

8月22日(土)より、渋谷UPLINK/
8月29日(土)より、横浜ジャック&ベティ他にて公開!!

地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相 (新潮新書) (新書) 地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相
2009/08/21/13:10 | トラックバック (0)
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