話題作チェック
( 2009 / アメリカ・ドイツ / クエンティン・タランティーノ )
タランティーノのセンスと技量の結晶による新境地を見た

鎌田 絢也

『イングロリアス・バスターズ』1エンティン・タランティーノ×ブラッド・ピットの初顔合わせによる話題性十分な企画力を持った本作は、第二次世界大戦の対ナチ戦線を題材にした復讐劇という剛腕な歴史フィクションエンタテイメントである。そもそもは1976年に公開されたイタリア映画『地獄のバスターズ』(エンツォ・G・カステラッリ監督)のリメイクということでスタートした。しかし出来上がってみるとその内実はやはりタランティーノ節が炸裂する唯一無二のファンタスティックムービーとして大見栄をきっている。また本作において神経症的で残忍なナチ親衛隊の大佐役を演じたクリストフ・ヴァルツは、カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞の栄冠を手にした。その他俳優陣の味わい深い相貌の演技は見ものである。シナリオ執筆から十余年の歳月をかけて生まれたこのマカロニ戦争映画は、タランティーノ史上最大のヒット作となった。

物語は第二次世界大戦期、フランスがドイツの占領下にあった1941年から44年までの出来事である。フランスでは多くのユダヤ人が、ナチス・ドイツの組織的な迫害政策のもとに犠牲となっていたが、その暴虐を極めたナチスでさえ恐怖に震えあがらせるというユダヤ人特殊部隊が連合軍に存在していた。その名も「イングロリアス・バスターズ」(不名誉な野郎ども)。彼らの使命とはただひとつ、「ナチを殺して頭の皮を剥いでくる」というナチス根絶のための私刑だった。
このバスターズのリーダー、アルド・レイン中尉を演じるのが、ブラッド・ピットである。本作ではこのシリアス群像劇風の一編の中で、トリックスター的な役どころを司る、タランティーノのユーモアを一身に牽引していたキャラクターであった。確かに、本作でのブラピはカンヌで賞賛を浴びたクリストフ・ヴァルツの粘着質な演技に比べて後塵を拝しているようにも見える。それはブラピのパフォーマンスによる貢献度の低さを指摘する批評が文献、ネット上その他で生まれていることからも伺える大方の感想だろう。
しかし、ブラピの役者冥利とは、単に主役の席を預かって、己のエゴを顕示する全うな演技創造だけにとどまらず、自らのイメージを変質させることで生まれる異化効果を体現することにある。その志向は近作、コーエン兄弟のヒップな軽薄エンタテイメントムービー、『バーン・アフター・リーディング』(08)での妙演にも現れていた。喩えるなら、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(08)で見せるパフォーマンスをブラピのフォーマルなスタンスだとすると、『イングロリアス・バスターズ』2前述の『バーン・アフター・リーディング』や本作での佇まいはアンフォーマルな「外しテク」による妙味といったところであろうか。この「正統と異端」ともいえる振幅で闊達に振舞うスタイルこそが、自らのイメージを逆手にとる余裕さえ滲ませたブラピの「セルフプロデュース力」である。そのポジショニングの抜け目無さでオーディエンスの共感を勝ち得、映画の現在をリードするそうした同時代的なセンスこそがブラッド・ピットの真価なのだ。

一方、家族をナチスの手によって奪われたユダヤ人ショシャナ(メラニー・ロラン)は、ナチスへの復讐の機会を密かにねらって今はパリにある映画館の女館主として過ごしていた。そんな折、パリではナチスのプロパガンダ映画『国民の誇り』のプレミア上映が行われることとなった。運命はその映画で主演を務めるドイツ兵のフレデリック・ツォラー(ダニエル・ブリュール)とショシャナを引き合わせる。フレデリックはこの映画を製作したナチ宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルス(シルヴェスター・グロート)に、プレミア会場をショシャナの劇場に変更するよう進言する。ヒトラーはじめナチスの高官たちが一堂に会する機会を、ショシャナはまたとない復讐のチャンスと覚悟を決めた。
当時の映画フィルムの原料は可燃性のニトロセルロース。ショシャナは恋人でありこの映画館の上映技師であるマルセル(ジャッキー・イドー)に、この映画フィルムを使ってナチスを焼き殺す計画を打ち明けたが、そのショシャナの前に上映会警護担当として現れたのは、かつてショシャナの家族の命を奪った憎き敵ナチス親衛隊のランダ大佐(クリストフ・ヴァルツ)だったのだ。ショシャナの前に立ちはだかる最大のチャンスにして最大のピンチ。刻々と迫る復讐の断行は、ナチス根絶の誓いを掲げたレイン中尉率いるバスターズをも巻き込んでゆく。そして運命のプレミア上映は幕を開けた……。

脚本家タランティーノは、『パルプ・フィクション』などで見られた得意の複雑な時系列構成を控えて、意外にも直截な物語を提示する全5章立ての構成を採用した。
ここで注目したいのは、第3章「パリにおけるドイツの宵」である。この章は、映画冒頭でランダ大佐の殺戮から命からがら逃げた少女(ショシャナ)の現在が語られる重要なシークエンスであるが、ファーストシーン、ショシャナが脚立に上って、映画館の看板を外しているそのタイトルは、レニ・リーフェンシュタール主演の『聖山』である。当時のナチスの喧伝に大いに貢献したといわれるレニ・リーフェンシュタールについて、タランティーノは本作において決して無視することはできなかったはずだ。実際にタランティーノはレニの『オリンピア』(『民族の祭典』『美の祭典』の2部作を指す総称)を高く評価しているし、この『オリンピア』がナチ賛美のプロパガンダ映画と糾弾された事実をも承知の上で表象を図っている。この第3章を皮切りにしてタランティーノは、章を追うごとに映画の存在への言及を深めていく。
続く第4章「映画館大作戦」では、プレミア上映の報を受けたイギリス軍がナチス殲滅の機会として映画館爆破を画策する。ここで登場するドイツ人女優ブリジット(ダイアン・クルーガー)は、イギリス軍との二重スパイとして描かれているが、この男勝りでしたたかな人物造形には、やはりレニ・リューフェンシュタールの存在が影を落としているといえよう。
そして最終章「ジャイアント・フェイスの復讐」において、タランティーノが本作に入魂した映画人としてのメッセージは、ナチ復讐の武器となるのが映画フィルムであるということに現れている。それはフィルムという物質を燃やすことによって焼き討ちするという物理的な懲悪と、『イングロリアス・バスターズ』3映画を編集する(ナチの英雄フレデリックのクローズ・アップからショシャナのナチに対する復讐メッセージへ繋がれる)ことによって企図する精神的な訴求の両義性を見つめることで、映画という存在の意味を見出そうとするタランティーノの哲学が示されている。戦争という不毛の暴力に対し、映画が持つ扇動的な威力の振舞うべき方向性を示唆するかのように、これまでの作品では見せる事のなかった思想性を覗かせているのは大きな見所のひとつである。

キング・オブ・ムービーブラッツことタランティーノは本作でもあらゆる映画の断片を引用しつつ、その映画への偏愛ぶりを余すところなく作品の中で謳歌している。
まずは冒頭からいきなり西部劇タッチの不穏な空気感の中(タイトルバックに流れるのはディミトリ・ティオムキンの「遥かなるアラモ」!)、はためく白いシーツの奥に見える一本道をひたひたと迫ってくる親衛隊の車は、まさに西部劇のインディアン来襲を思い起こさせる映画的記憶の再現であった。この冒頭の農村地帯にぽつんと静かな風情で立っている木造家屋にもジョン・フォード的な舞台空間が伺え、復讐劇の序章としては格好のポーズを得て得意気である。
タランティーノは本作のサウンドプロダクションに映画音楽の雄であり西部劇音楽といえばこの人なエンニオ・モリコーネを起用したかったらしいのだが、どうやら体よく断られたらしい。ならば、既成の楽曲を使ってしまえということで、モリコーネの60年代~70年代の名曲群を編み込むこととなった。「マカロニウエスタン」、「エンニオ・モリコーネ」ときて『地獄のバスターズ』というB級イタリア映画である。本作にはイタリアンカルチャーへの目配せが随所に見て取れる。例えば本編中で、ナチス打倒のためにショシャナの劇場へ乗り込んだバスターズ(ブラッド・ピット、イーライ・ロス、オマー・ドゥーム)が、ランダ大佐を前にしてイタリア人だと偽り名乗るシーンなども手が込んでいる。まずブラッド・ピットに「エンツォ・ゴラーミ」と言わせているが、このエンツォ・ゴラーミとは、元ネタ『地獄のバスターズ』の監督エンツォ・G・カステラッリの本名であり、イーライ・ロスが繰り返す「アントニオ・マルゲリーティ!」とは、『地獄の謝肉祭』で知られるイタリアきっての職人映画監督でありタランティーノのアイドル、アントニオ・マルゲリーティに対する敬愛の情なのである。

これら本作から溢れるタランティーノの映画的センス。それは彼の映画的記憶から繰り出されるボキャブラリーの妙というものであるが、本作においてはそれらリファレンスの旺盛な援用と抑制の利いた修辞、またはその逆も然り、かつ技法への粘り強いこだわりを顕示することに成功した豊穣な映画空間であった。
これまでのフィルモグラフィ、『レザボア・ドッグス』や『パルプ・フィクション』、『キル・ビル』などで見せたタランティーノ独特の緊迫した人物関係の配置は、荒唐無稽なフィクションの上で、やや斜に構えるオフビートなポジションによって映画的興奮を成立せしめていたものであったが、今回は必ずしも史実に忠実というわけではないにしても、実際に世界が体験し共有している悲劇性の現実を、歴史群像の配置に置き換えてシリアスに提示することにより、ドラマ性、人物造形への真実味に肉薄した確かな作家的手腕を開陳することにつながった。これまでタランティーノが、何ら恥じることなく自身の映画作法を敬愛する映画作品へのオマージュだとして提示してきた手法を、ここで作家の定義に求めるならば、タランティーノを「編集の作家」と呼んでみたい。作品のジャンル、物語の枠、キャラクター、プロット、シークエンス、カット、音楽、美術のすべての意匠にわたって、タランティーノはオリジナルを生み出すことの作業には無頓着でおよそそんなことにはいささかも作家的恍惚は得られないのである。
『イングロリアス・バスターズ』4これはオタク人ゆえのある種偏狭な快楽志向であることは間違いないが、映像という媒体で繰り広げられる疑似世界に立ち上る得も言われぬアトモスフィアとしか言いようのないフェティシズムは、‘映画材’を知り尽くしたオタクの従順な映画愛によってでしか享受できないものであり、それら多彩な引き出しの中から研ぎ澄まされた‘映画覚’によって作品として編集される時、批評を超えた興奮の坩堝を生み出すことになるのだ。

しかし、本作以前のタランティーノは、その確信犯として悪びれることのないキッチュな映画作法による、画面に充溢する映画材のサーカス的狂躁のみが先鋭化し、商業としての成功以上の巧みさを訴えるには至らなかった。とはいえ、その系譜を映画史に顧みれば、同じく無類のシネフィルとして出現した「編集の作家」ゴダールの経緯と通ずるものがあり興味深い。それはゴダールが60年代をハリウッド製B級ノワールヘの憧憬を持して自作を怒涛のパスティーシュによって昇華させた後、やがて映画の本懐に迫ろうとメタフィジカルな考察を経ることで、映画の誠実な立ち居振る舞いを獲得していくのと同質のものだ。これまでタランティーノがゴダールの方言的亜種ともいえたフェイクな存在感も、本作で顕示することとなったセンスと技量の結晶によって、新たなるステージへ突入したことは要注目の進化である。
ゴダールが80年代にビデオを手にして映画を操作した時、タランティーノはレンタルビデオショップで数多の映画を貪ることで恍惚シャワーを浴びていた。例えば、名シーンとは模倣する快感を湛えた映画財産だとすると、それらをモンタージュする構成の妙によって、ロートレアモンの『マルドロールの歌』の一節、「手術台の上のミシンと蝙蝠傘の出会いのように美しい」と符合するシュルレアリズム的なディスコードの美学が潜在的な抒情として立ち上る。あえて波風立てることもなかろうに、そのアッサンブラージュ的手法を「パクってやったぜ!」と偽悪的に吐露して見せるタランティーノは、その自らの映画作法に自覚的である分、きわめて硬派で知的な作家なのである。

一方で、低予算という出自とオタクであるという理由から‘しゃべり’の人であるタランティーノ所以の冗長な映画尺は目を瞑るよりないが、次作がこれほど楽しみと思える作家の健在ぶりは喜々として讃えたい。と結びながらも、‘天然の奇才’タランティーノであることだから、期待もほどほどにというところが妥当かもしれない。返金率0%保証。

(2009.12.9)

イングロリアス・バスターズ 2009 アメリカ・ドイツ
監督・脚本・制作:クエンティン・タランティーノ 撮影監督:ロバート・リチャードソン
出演:ブラッド・ピット,メラニー・ロラン,クリストフ・ヴァルツ,ダニエル・ブリュール,イーライ・ロス,ダイアン・クルーガー,
ジュリー・ドレフュス,ロッド・テイラー,マイク・マイヤーズ,クロリス・リーチマン,サミュエル・L・ジャクソン(ナレーション)
(C)2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

2009年11月20日(金)より、
TOHOシネマズ日劇他にて全国ロードショー中

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  • 監督: エンツォ・G・カステラッリ
  • 出演: ボー・スヴェンソン; ピーター・フートン; フレッド・ウィリアムソン
  • 発売日: 2006-01-27
  • おすすめ度:おすすめ度4.5
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2009/12/11/20:19 | トラックバック (10)
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