富田 克也 ( 映画監督 )
映画『サウダーヂ』について
2011年10月22日(土)より、渋谷ユーロスペースにて公開中!!
既成の映画業界とも、いわゆるインディーズとも違った独自のやり方で活動を続ける映画製作集団「空族(くぞく)」。その歩みは速くもないし決して派手でもないが、祭りの行列のように人目を惹き、各方面に支持者を増やしつつある。本年度のロカルノ映画祭メイン・コンペティションにも招待された最新作『サウダーヂ』の公開を控えて意気上がる富田克也さん(監督・脚本・編集)と、高野貴子さん(撮影・編集)にお話を伺った。『サウダーヂ』撮影時のエピソードのみならず、空族ならではの映画の遊び方にまで、話題は果てしなく広がる。(取材:鈴木 並木)
富田 克也 (映画監督)
1972年山梨県甲府市生まれ。
東海大学甲府高等学校卒業後、音楽の道を志し上京。
音楽活動に出口を見いだせず映画を観まくる日々、いつしか自身で映画を撮りたいと思うようになる。都内で配送業に従事しながら、製作期間5年、上映時間140分の処女作『雲の上』(8mm) を2003年に発表。監督、脚本、編集を自ら手がけたこの作品は「映画美学校 映画 2004」の最優秀スカラシップを受賞。この賞金を原資に『国道20号線』を製作し2007年に発表。同年10月に甲府の桜座で自主上映会を開催後、東京渋谷UPLINK Xにてロードショー公開。2008年に入り単館系劇場にて全国公開された。「映画芸術」誌上にて2007年日本映画ベスト9位選出、映画界に波紋を呼び、文化庁の主催する日韓映画祭を含む国内外の映画祭で多数上映されてきた。
高野貴子 (撮影・編集)
1973年生まれ。日本大学芸術学部映画学科で映画作りを学ぶ。在学中に、もぐりで大学にきた富田と知り合い、以後一緒に映画を作る。『雲の上』(2003年)撮影、『国道20号線』(2007年)撮影、『Furusato2009』(2009年)構成・編集。2009年には『デルタ 小川国夫原作オムニバス』の一編「他界」を監督する。
『サウダーヂ』に至るまで
――まず、製作の経緯からお聞きしたいのですが、前作『国道20号線』を撮った時点で、『サウダーヂ』の構想はあったのでしょうか。
富田 少したってからですね。2008年の年末から2009年の1年間をかけてリサーチに回って、それが『FURUSATO2009』になったって感じで。『国道20号線』の上映で全国津々浦々を回ったりして、それで月例上映会をやりつつ、リサーチを始めたっていう感じだと思うんですね。
――高野さんは、『FURUSATO2009』としてまとまることになるリサーチの段階では撮影には関わってないそうですが、どうご覧になっていましたか。
高野 「こういうふうになっている」というのは話では聞いてました。「わたしも撮影行くよー」って言ったんですけど、「大人数でいくと警戒されるから。目立たないようにやってるから、自分でやる」と。
富田 高野もすごい来たがってたんです。当然オレがカメラをひとりで持ってしまうことにはいい部分と悪い部分があって、やっぱり誰かに客観的に撮っていてほしいとは常に思うんですよ。オレがこっちで遊んでいて高野がそれを撮ってくれればね、オレはすごいラクチンだし。カメラを回すってことはそれだけ大きな役割が出ちゃうから、話すにもまどろっこしくなるし、あとはどうしてもカメラを自分で持ってたらできないこともあるんです、一緒に遊ぶとかね。踊るとかね。
高野 そればっか(笑)。
富田 オレはカメラをとにかくしまいたくなっちゃって、しまっちゃって失敗して、帰ってくるたびに高野にそれを愚痴るように言うと、「わたしも行こうか?」って言ってくれるんだけど、逆に、人数が増えれば増えるほど入り込めない場所も出てきちゃう。オレひとりだったらカメラだけ持ってどこでもひゅるひゅるっと行けるというイメージ。で、高野には帰ったら報告すると。そんなことを繰り返していましたね。
――カメラマンの立場でのダメ出しみたいなものはありましたか。
高野 それは全然なかったですね。これに関しては、撮影というより編集することしか頭になかったので。内容の話を聞いていた時点で、わくわくしていました。
富田 編集は高野がやってるんで。もちろん話を聞かせた上で、まるごとテープを渡したんです。それを見て、「富田くん、もっとこういう絵を撮っといてよ。真っ只中にいるのはわかるんだけど、もっとインサートとか撮っといてよ」「ごめん、ごめん」みたいなやりとりはありましたけどね。
高野 この素材の中でどう見せるということしか考えてなかったから、注文はなかったです。
道から街、そして人へ
――リサーチを始めた段階では、今とは違う『サウダーヂ』になっていた可能性もあったわけですよね。取材のある時点で、方向性がつかめたきっかけみたいなものはありましたか。
富田 いちばん最初に決まっていたのは、土方を主人公にすると。実際に土方をやっている主人公役の鷹野毅との普段の会話から、本当に厳しい状況にあることは聞いていて。だから最初は図式的に、ロードサイドで『国道20号線』を撮ったから、今度は空洞化だとか地方の疲弊だとか言われている中心街をテーマにしてみようとして始まった企画なんですけど、じゃあ何をもってしてそこに入り込んでいくかってところで、土方の仕事がどんどんなくなっていく、そこから何か見えてくるんじゃないかと。
リサーチではまず、彼らに土方の格好をしてフレームの中に入ってもらって、彼らが人々と対話をしていくのを撮っていこうって方法を考えてたんですね。で、彼らが毎回現場に来れるわけでもないから、知らず知らずのうちに彼らを抜きにして、ぼくがどんどんカメラ越しに話しかけていくような取材に変わってったんですけど。
ひとつ大きなきっかけとしては、グランパークっていうずいぶん前にできた大型ショッピング・センターがありまして、シネコンがありボウリング場がありユニクロがあり、あらゆる施設が入ってて、1日そこにいれば遊びが済んじゃうよみたいな場所で、かつては近所の人たちがみんなオシャレして、行列をなして、駐車場待ちの渋滞を作り、そこに通っていたんです。ところが取材の途中で、最近そこがスラム化してるみたいなことをある女の子から聞いて。意外だったのでよく聞いてみたら、外国人の若い男の子たちがたむろしていて、怖くて近寄りがたい、と言い始めたんですね。どういう状況なのかとひさしぶりに行ってみたら、さびれてるんですよ。スラム化、とは極端ですけど、空き店舗ができちゃって、がらーんとしているんですよね。ボウリング場を覗いてみると、かつてはオシャレして人が集まってきたのに、照明も薄暗い中でガラーンゴローンと、上下寝巻きのスウェットでボウリングしてる、みたいな。
「ん?」と思って、ゲームセンターに行ってみたら、アジア系かなと思われる子たちや、南米系かなという子たちがたまっていて、はたから見たら確かに怖いと思われてしまうのも致し方ない雰囲気があって。男の子のひとりに声をかけてみたら、日系のブラジル人だと。ぼくらが使う日本語とたがわぬ日本語で話しかけてきたわけです。ほんとに日本人が使う同じ日本語のイントネーション、ちょっと上手な外国人とかじゃなくてね。まずそれに驚いて、出身校を聞いたら、ぼくがかつて行っていた南西中の後輩だと分かり、さらに驚いたんです。ぼくらの時代には、自分の学校に外国人の男の子がいるなんてありえないことだったから。それで、彼の住む町に入っていったら急にブラジル人との遭遇率が上がることを知って、ここにこんなにたくさん住んでるんだと知ったと。それが、土方を中心に据えていたところに外国人のイメージが入ってきた、大きなきっかけだったんですよね。
――『サウダーヂ』のキャッチフレーズ的なものとして“土方、移民、ヒップホップ”という文句がありますが、ではそのとおりの順番で構想されていったのですか。
富田 順番で行くと、“土方、ヒップホップ、移民”なんですけど、まず移民のことを話してしまうと、彼らの存在を知って入り込んだはいいけれど、豊かに和気藹々としているんだったらまだしも、とにかく状況がいちばん厳しいときだったんですね。ここ数十年の日本の不景気に追い討ちをかけるようにリーマンショックがあって、北京オリンピックの特需で鉄鋼が釣り上がっているところにオリンピックが終わったと。それで彼らの働く職場がとどめを刺されて、彼らの首を切ったと。聞いてみると、やっぱりブラジル人たちからなんですよね。どんなに長く働いていても、まず外国人から切る。車の中で年を越すだとか、ブラジルに帰りたいけど旅費もなくて、炊飯器まで売るような状況。ただ人間に出会ったというだけではなくて、彼らのいちばん厳しい状況を目の当たりにしてしまったものですから、彼らの存在を抜きにして『サウダーヂ』はもう作れないだろうと。空洞化だとか中心街だとかは徐々に消えていって、もっとひとつの大きな「街」というものにぼくらのイメージが変化していった。そのあたりで、中心街にこだわるのではなく、その周辺に住まう人々がどういう生き方をしているかっていうのがテーマになっていきました。
ヒップホップのことに関して言うと、今回非常に大きな役割を果たすstillichimiyaは、一宮町という桃畑とラブホテル街しかない町の出身のグループで、彼らは、市町村合併で自分たちの一宮町という名前が笛吹市に変わってしまうことに対する異議申し立てとして、stillichimiyaと名乗って活動を開始したんです。彼らのやっている音楽の内容が、『国道20号線』とかぶるものがあったり、あるいは自分たちの愛着のある町へのノスタルジー、桃畑で働くシジイババアが跡継ぎもいないで……みたいなのが歌詞になっているわけですね。いつか一緒に何かやれたらいいなとずっと思っていて。今回『サウダーヂ』はひとつの街を描こうとしているわけで、街のなかにはあらゆる層のひとたちが住んでると。その層っていうのは格差もあるでしょうし、あと人種もあるし世代差っていうのもあるだろうし。ぼくたちからすると、ヒップホップの文化が定着したのはぼくらより下の世代という印象があったから、下の世代のものとしてヒップホップを入れて、ぼくらの同世代の土方の主人公と、さらにその上の親方の世代、というようなタテの構造と横の構造とを作っていった感じです。
――田我流さんがたいへん素晴しいと感じました。stillichimiyaのメンバーの中でも、田我流さんを起用することは決まっていましたか。
富田 決まってましたね。演技経験はまったくないですけど、ミュージシャンとしての表現行為は、人前に立つこという意味で当然密接につながるものでもあるから、彼はできるなという確信はあって。それどころか、彼の面白さを何とかオレたちが捉えたらすごく面白いものになるんじゃないかという期待もあったし。やってもらってみたらそれ以上だったっていうね。ころころ変わる表情とかね。あんなの演技でやれって言ったってできないですからね。
高野 田ちゃんはロカルノの舞台でもすごかったからね。
富田 ラップは日本語なんですけど、英語を話せるんで、あおりとか、しゃべりとかは全部英語でかましてくれました。
監督:富田克也 脚本:相澤虎之助/富田克也 撮影:高野貴子 録音・音響効果:山﨑厳
助監督:河上健太郎 編集:富田克也/高野貴子
エグゼクティブ・プロデューサー:笹本貴之 プロデューサー:伊達浩太朗/富田智美
出演:鷹野毅,伊藤仁,田我流(from stillichimiya),ディーチャイ・パウイーナ,尾﨑愛,工藤千枝,デニス・オリヴェイラ・デ・ハマツ, イエダ・デ・アルメイダ・ハマツ,野口雄介,村田進二,中島朋人(鉄割アルバトロスケット),亜矢乃,川瀬陽太 ほか
制作:空族/『サウダーヂ』製作委員会 (c)廣瀬育子
2010年10月22日(土)より、渋谷ユーロスペースにて公開中!!
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気になる作品。「サウダーヂ」。 E 映画に浸れ。
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Tracked on 2011/10/24(月)22:13:55
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