映画『リアリティのダンス』
アレハンドロ・ホドロフスキー監督記者会見レポート
『ホドロフスキーのDUNE』2014年6月14日(土)より、
『リアリティのダンス』2014年7月12日(土)より、
新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、 渋谷アップリンクほか、全国順次公開
――映画と関係ない話で申し訳ありません。昨年フェルナンド・アラバール監督の作品のDVDが日本で初めて発売されました。ホドロフスキー監督が彼らパニック芸術運動の方々と“リアリティに踊った”エピソードをお聞きしたいです。
ホドロフスキー フム。アラバールのことよりも自分のことを話したいです(笑)。よかったらパニック・ムーヴメントのことも話しますが? ……1952年に私はチリから出てパリへ行きました。当時アンドレ・ブルトンのシュールレアリスム運動というのがあり、私はブルトンの電話番号をポケットに入れて午前3時にパリに着きました。カフェに入ってブルトンに電話をかけるとブルトンは起きて電話を取り、「誰だ?」と訊いてきました。「私はホドロフスキー。シュールレアリスムを救うためにやって来ました」と答えると、ブルトンは「今日はもう遅いから明日にしてくれ」と言いました。私が「いや、今日会いたい」と言うと「いや、明日」と。そして私は「もうあなたはシュールレアリストではないんだ、もう二度と会わない」と言って電話を切りました。あのとき彼は私を受け入れ、会っていればよかったと思うのです。そうすればシュールレアリスムは救われたと思うのです(笑)。何年か後に、私はシュールレアリスム運動の会合に招待されました。誘ってくれたのがアラバールでした。彼と演劇を作っていたのです。彼は私をまずローラン・トポールに紹介しました。私は彼ら二人と違っていました。私は背が高く、彼らは横に成長していたんです(笑)。そんなアラバールとトポールを横に従えバランスを取って写真を撮ってもらい、シュールレアリスムの会合に行きました。でもそのときすでにシュールレアリスムは古くなっていました。抽象画やSFやロックやポルノを拒絶し、彼らが信じていたのは政治だけでした。トロツキストが幅を利かせていたのです。失望した私たちは「自分たちでムーヴメントを作ろう」と言い、シュールレアリスムが求めるものと排除したもの、すべて含めたムーヴメントを作りました。何もセオリーはなく、作品があるだけで、そのときに作ったものをすべてパニックと呼びました。パニック・アーティストという呼び方も、映画人も画家も詩人もすべて交えてそう呼びました。人として作品を作る、それがすべての、大きな文化的なムーヴメントでした。……でもそれは虚構です。私たちは人間であり、ムーヴメントではないからです。そして今になってあなたがパニックのことを訊く、でもそれは存在しなかった。分かりますか? それがパニック・ムーヴメントの説明です。とても素晴らしいものですが、存在はしなかった(笑)。そしてアラバールとトポールの背は伸びませんでした(笑)。
――『DUNE』の原作を読んだときの感想と、SFの持つ力についての監督の考えをお聞かせいただけますか?
ホドロフスキー 私はSFがとても好きです。『DUNE』もそうですし……、まあ映画は作れませんでしたが(笑)。でも『アンカル』や『メタ・バロンの一族』のコミックでそれを実現しました。私がSFを好きなのは、世界のイメージが自分たちの世界ではないからです。パラレルな宇宙という感じでしょうか。そしてSFはアートです。すべてをゼロから作り上げなければならないからです。階級、社会形態、科学、宗教といったすべてを作っていかなければなりません。でも『アンカル』のような幻想的な作品のためにそうやって自分が発明したものが、何年か経つと現実になって驚かされることがあります。人が想像し得るものはすべてある日現実になるのです。だからSFというのは重要なのだと思っています。私たちに未来への道を開いてくれるのです。
――『DUNE』の原作についてはいかがですか?
『ホドロフスキーのDUNE』ホドロフスキー ああ、読んでいませんでした(笑)。すごく本が分厚くて、私はすぐに映画を作りたかったので、サッと流し読みしただけでした。20年経ってからゆっくり全部読みましたが、天才的な作品でした。私が想像したものは全部その中にありました。本当に読まずに想像したのですが、とても似ていました(笑)。
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- 監督:監督: フェルナンド・アラバール
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