1996年のブライアン・デ・パルマ、2000年のジョン・ウーと、
世界に名だたる監督達が手がけてきたシリーズの第3弾にあたる本作の監督に抜擢されたのは、新進気鋭の監督J.J.エイブラムスである。
正直言って「誰だお前?」という感じが否めないのだが、現在アメリカのTV界で売り出し中の人物なのだという。
映画では主に脚本を中心に活動しており、世紀のB級映画「アルマゲドン」(98)の脚本を担当していると聞いて、
些か嫌な予感が脳裏をよぎった(否、作品的に大好きではあるんだが)。しかも本作の共同脚本として名を連ねるアレックス・
カーツマンとロベルト・オーチは、個人的にトンでもSF映画に位置づけられている「アイランド」
(05)の脚本チームであるという驚愕の事実を知るにつけ、嫌な予感は更に強まった。
はっきり言ってこの面子で「シリーズ最高傑作」なんて嘘だろうと思っていたのだが、観終わった今なら断言できる。まさしく本作は
「シリーズ最高傑作」である、と。本作の余りにも見事なストーリーテリングは、まさに娯楽の中の娯楽と呼ぶに相応しいものであった。
今回、イーサン・ハント(トム・クルーズ)が取り組むミッションは、「ラビットフット」
と呼ばれる正体不明の物体の奪取である。これを物語の大きな軸として、「ラビットフット」の取引を企む国際武器ブローカー・オーウェン・
デヴィアン(フィリップ・シーモア・ホフマン)とイーサンが、攻守を入れ替えながら熾烈な戦いを展開していく。
とにかく本作は劇構成がとんでもなく上手い。サスペンス200%でかっ飛ばされるファーストシーンから観客をスクリーンに釘付けにし、
緩急を巧みに組み合わせたテンポの良い進行で、否が応でも物語へと引き込んでいくのである。
アクションを主体にした作品の場合、それ以外の描写が等閑になってしまい、往々にしてドラマそのものが痩せ細り、
それこそアクションシーンの派手さだけを観て楽しむしかないということが少なくない。前作『M:I-2』
がまさにそういったタイプの作品だったが、本作の脚本が見事なのは、アクションシーン以外の描写――例えば、
状況説明やキャラクター間の関係性など――を最小限に抑えながらも、ドラマを支えるに足るだけの情報をきちんと盛り込んでいる点だろう。
これはアクションシーンそのものにも言えることで、基本的にアクション映画では、アクションシーンを支える背景説明如何によって、
作品世界のリアリティそのものが規定される。だが、本作ではそうしたことを全く意に介さぬかのように、
最小限の説明だけでアクションからアクションへと繋げられていく。何せイーサンが狙う「ラビットフット」
の正体すら最後まで明かされないのである。観客は脚本に突っ込む前に、
眼前で繰り広げられるスリリングなシーンの連続をただひたすら追いかけていくしかない、というわけだ。
敵の目的も手段も明かされないままのミッション――これは勿論スパイモノなら別に珍しくもない展開だが、
本作の場合、この表向きの状況設定は「スパイモノらしさ」を演出する為の方便として活用されている。実際、本作は「ラビットフット」
の行方を巡って展開してはいくが、それの奪取自体が本作の「不可能なミッション」なのではない、ということは注目されるべきだろう。
では本作における真の「不可能なミッション」とは一体何か?それは「いかなる状況においても愛を貫くことができるか?」
という至極人間的で私的な試練に他ならない。イーサンが無謀な作戦を実行するのも街中を必死に走り回るのも、
もはや組織からの指令などではなく、ただ愛の為、最愛の女性を守る為なのである。この「愛する人を守りたい」
というシンプルな感情が物語全編を貫いているからこそ、本作は宿敵オーウェンの目的や「ラビットフット」の正体がなんだろうと全く関係なく、
一人の生身の人間としてのイーサンに自然な形で感情移入させられてしまうのだ。
本作で唯一非難を浴びせる点があるとすれば、それは幕切れ近くの一連のシークエンスに対してくらいで、
後は本当に誰もが楽しめる極上の娯楽作品に仕上がっていると思う。
勿論、イーサン個人の私情で突っ走っていくという、「スパイ大作戦」らしからぬ物語になってしまっているだけに、往年の「スパイ大作戦」
ファンの期待や思い入れを満たす作品などではないかもしれないが。しかし、それでも「スパイ大作戦」
特有のチームプレイでの見せ場もきちんと用意するなど、オリジナルに対するリスペクトは前作のジョン・ウー版以上に感じられるし、
やはり繰り返しになるが、本作がシリーズの最高傑作であることは動かし難い。
恐らく、本年度の娯楽映画の収穫の一つとして数えられる作品であることは間違いないところだろう。
(2006.7.3)










