田尻 裕司(映画監督)
渋谷シネ・ラ・セットにて、
11/19(土)~12/9(金)の連日21:30よりレイトショー公開
『孕み~白い恐怖』公式サイト:http://www.harami.jp/
田尻 裕司(映画監督)
田尻裕司。1968年北海道生まれ。90年に獅子プロダクション入社。瀬々敬久、向井寛らの作品で助監督を務める。『イケイケ電車 ハメて、行かせて、やめないで!』(97)でデビュー。監督二作目『OLの愛汁 ラブジュース』(99)はピンク大賞ベストテン1位、99年日本プロフェッショナル大賞7位を受賞。他の作品に『未来H日記 いっぱいしようよ』(01)、『姉妹OL 抱きしめたい』(01)、『不倫する人妻 眩暈』(02)、『淫らな唇 痙攣』(04)など。
――『孕み』の企画が持ち込まれた経緯は?
田尻 映画評論家の野村正昭さんがホラー映画をプロデュースするという話があって、何人かの監督に相談されていたらしいんです。でもスケジュールが合わなかったり、方向性のちがいがあったりでなかなか決まらなかったらしくて。それである方が僕を紹介してくださって。まずは野村さんと一度お会いして、好きなホラー映画の話をしました。
――監督はどんなホラー映画がお好きなんですか?
田尻 『悪魔のいけにえ』(74、トビー・フーパー)とか『ゾンビ』(78、ジョージ・A・ロメロ)といった、70~80年代のスプラッター系とか。ゾンビものは大体好きですね。あとモンスター系。ドラキュラとかフランケンシュタインとか狼男とか。そっち系が好きで、いまブームの日本のホラー映画はあまり好きじゃなかった。
――好きじゃない理由とは?
田尻 自分自身に霊感はないんですが、幽霊や呪い、超常現象は怖くない、当たり前のものだと思っているところがあって。むしろ血が出る映画のほうが好きだし面白い。そういう話をしたら、野村さんも日本やアジア系のホラーは飽きていたようです。
――企画が立ち上がった当初、おおまかなストーリーはあったんですか?
田尻 具体的なストーリーはなかったですけど、仮に90分くらいの作品であるならば、最後の10分程度をスプラッターにしたいとは思っていました。それで死の恐怖だとか、殺す恐怖だとか、生きてる者、死んでる者の「生き死に」の話をやりたいと。僕にとっていちばん怖いのは霊や呪いではなく、人間の行い。生きる=殺戮。だったので、それを描きたいと思っていました。
『孕み』の脚本を担当したのは新鋭・佐藤有記。映画美学校在学中に瀬々敬久監督に見出され、『ユダ』『肌の隙間』(04)を手がけた才能豊かな脚本家だ。特にピンク映画として公開された『肌の隙間』は凄まじい。若い男女を原始的な生活状況に放り込み、動物的でなまなましい「生」の光景を、シンプルで無駄のない構成の下に描きつくし、異様な神話世界を構築。『肌の隙間』の現場にスタッフとしてついていた田尻監督は、瀬々監督を通して佐藤有記に脚本を依頼する。
田尻 今回のような映画をやる上で、「話が合いそうだな」という脚本家がちょっと思いつかなかった。それで佐藤有記さんと会って話をしてみたら、思っていた通り話が合った。『ユダ』にせよ『肌の隙間』にせよ、特徴は台詞が少なくて、描く事柄も「食べる」だとか、セックスだとか、死にそうになるだとか、そういう原始的な、現代文明から閉ざされたようなものばかりで。佐藤さん自身がそういう世界を積極的に描きたいというわけでもないんでしょうけれど、割と抵抗なく描けてしまうというか。僕がそこを望んでいるということもあるでしょうし、瀬々さんが望んでいたってこともあるでしょうし……。逆に都会に住んでる女性の恋愛とか、仕事でちょっと悩んじゃったとか、そういう世界のほうが彼女は苦手だって気がしますけどね、たぶん。
田尻×佐藤コンビはすぐさまプロット作りに取り掛かる。しかし最初にプロデューサーに提出したプロットはかなり陰惨な物語だったようだ。
田尻 当時、新潟の震災があって、二人で「ドラゴンヘッド」の話もよくしていて。妊娠している中学生の女の子が、修学旅行中に事故に遭い、たった一人だけ生き残る。生き残ったのには理由があって、実は周りの人たちを食べていたんです。彼女は人間を食べるのがやめられなくなって、普通の生活に戻ってもまだ食べてる。それでどんどん人間じゃなくなってきて、四つ足動物になって、人間たちに追われて……という話だった。
――相当面白そうですが……。
田尻 もともとモンスターものが好きなので、何かバケモノみたいなものを創造したくて。佐藤さんと「強い者」って誰だろうみたいな話をしていて、行き着いたのが妊婦だった。愛情のある者がいちばん強い者で、愛情がいちばん強いのは誰かってことになると、やはり母親じゃないかと。で、子供を生むために次々、人間たちを食べてバケモノになった妊婦さんが、人間たちから殺されそうになって逃げる。その途中、盲目の人と出会うのですが、盲目の人は目が見えないので、彼女がバケモノだと気づかなくて、そこで彼女は初めて安住出来そうになる。やがて人間たちに見つかり盲目の人も仲間と間違われて惨殺され、バケモノは狂ったように人間たちを殺す、という話だった。
初期のプロットに書かれていた「妊婦」とともに決定稿に残ったのが、「盲目の人物」だ。二人は妊婦をバケモノにするのではなく、そのモンスター的役回りを盲目の人物、「坂田」に替え、設定の逆転を図る。プロレスラーの矢口壹琅が演じたこの容貌魁偉なモンスターの原型は、意外なところにあった。
田尻 僕の住んでる町って盲目の方がやたら多いんです。盲学校があるのかどうかまでは分からないですけど。それで盲目の人、ここでいう坂田というキャラクターはちょっと神話的にしたいというか。盲目の方の話に不可思議な話が多かったというのもあって。
――不可思議といいますと?
田尻 盲目の方の中に、いちばん体の大きな人がいて。その人がいつも駅のホームにいらっしゃるんですよ。でも電車に乗ってる風でもなく、よくホームから落ちそうになったりしてる。サングラスかけて帽子をかぶって、ステッキ持って、一年中真っ黒なコートを5、6枚重ね着しているんです。だからもう着膨れしちゃってて、遠くから見るとゴボッとしたシルエットで。駅のホームにいるか、駅の半径100メートルくらいのところを、人にぶつかりそうになりながら歩いてる。で、突然背後にハッと現れて、気がつくといなくなっているような人なんですね……。
――実在するんですか?
田尻 しますよ。しょっちゅう見てますから(笑)。
――霊っぽいですけどね。
田尻 実在してますよ!(笑)。
同じ北海道出身である田尻×佐藤コンビは、雪に閉ざされたペンションに舞台を限定。限られた登場人物と空間で物語を展開する。雪国の暮らしがディテール豊かに描かれる一方で、登場人物の背景はほとんど描かれない。前田亜季扮するヒロインは大きなおなかを抱えて登場するが、とうとう最後までそれが誰の子であるのかは語られないままだ。
――前田亜季が孕んでいる子どもの父親は、「××」だという解釈を僕はしたんですけど……。
田尻 凄いですね……。ちがいますね(笑)。それは脚本になってからずっと課題になっていたところで。脚本の第二稿までは子どもの父親を書いてあったんです。今度発売になるノヴェライズには書いてあると思いますけど、父親は「○○」です。
――映画では説明しないほうがいい、という判断があったということですか?
田尻 僕と佐藤さんの中では、あまりそっちのほうに興味がないというか。象徴的な話にしたいというのが最初から強くて。坂田の殺意の動機だとか、彼のお母さんのことだとか、ヒロインと両親との葛藤だとか、子どもの親は誰なのかとか、そういうことを具体的に説明していくと、だんだん現実感が強くなってしまって、僕が思っているような象徴的な話にならないんじゃないかと。そういう惧れをずっと抱えていました。いま考えると、もう少し分かりやすくしたほうがよかったんじゃないかという気はしていますけど。ふだんは僕、こういうこと(象徴的な話作り)をしてないですからね。できるだけ分かりやすく、チマチマしたものを、と思いながら作っているところがあるんで(笑)。佐藤さんに頼んだ時点で、そういう過去の自分とは訣別しようと(笑)。
――「バケモノ」というこの映画のキーワードはプロットの段階から?
田尻 そうです。「バケモノ」って言葉の響きが好きだというのもあるんですけど、神話的な感じがするというか、畏怖する対象というか、象徴的な感じがしていたんですよね。大人が見るとバケモノは単なる恐怖の対象で、子供から見ると憧れや尊敬も含んだ、何か「凄いもの」になる。
――前田亜季の母親役が「ときどきこの娘がバケモノみたいに見える」って言うじゃないですか。僕はあの台詞がいちばん番怖くて、どこからああいう台詞が出てくるんだろうっていうのがあったんですが。
田尻 佐藤さんの特徴でもあるんですけど、リアルな設定を作って細々説明するんじゃなくて、ド頭のいちばん最初の台詞に強い言葉を選ぶ。「えー、こんなこと普通の母娘は言わないじゃないか」といったん思わせるんですが、それでも言うということは、この母娘は過去にとんでもない経緯があって、いまこういう台詞を言ってしまう状態にあるんじゃないかと徐々に分かってくる。僕が『肌の隙間』で好きなのはそこなんです。「こうなった」という結果がぽーんと頭に入って、そこまでの流れは説明しない。この場面では、自分の娘のことがよく分からなくて、まるで異星人のような、怪物のような娘だと思っている母親として彼女を描いているんです。
――前田亜季さんが出演する経緯は?
田尻 先ほどお話したように、最初はヒロインを中学生に設定していた。だけど中学生で妊婦で人殺しというのは悲惨すぎると。もう少し年齢を引き上げないとキャスティングも見つからないと。候補が絞られてきて、何人か出てくれるって方々の中に前田さんもいて。それで、前田さんが出てくださるのなら僕はOKです、設定を変えましょうとプロデューサーに言いました。
――前田亜季さんはどういう方でしたか?
田尻 一度、彼女の事務所でお会いしまして、僕は女の人と話すのが苦手で、前田さんもものすごく人見知りで、二人ともずーっと下向いていた記憶が……。
――脚本に関しての話は?
田尻 ちょこっとですよね。前田さんから聞かれたことを答えるくらいで。この映画はロケ地に行かないとしょうがないというのがあったので、通し稽古もリハーサルもなかった。ただ僕は、「前田さんなら大丈夫」と思っていたところはあるんです。彼女が出演された過去の映画を見てきていましたから。撮影しながら思いましたけど、やっぱりスターは育ちがちがう、凄いなと。特別おおげさなことをしないし、自分から仕掛けるような芝居もしない。しなくても伝わると知っているのか、自信があるのか、そういうふうに育っているのか、自分には分からないですけど、しなくてもよく分かるんですよ。吐く息の変化であったり、ホントに微細な変化なんですが。こっちに訴えかけてきて、ちゃんと伝わるんですよね。
――怪人役の坂田を演じた矢口壹琅さんはどういう方ですか?
田尻 プロレスラーですけど、バークリー(音楽大学)出身のミュージシャンでもあります。びっくりするくらい優しい眼をする方なんですね。いつもニコニコしていて。握手するときにこういう握り方(両手で包み込む)をするんです。「強くやって痛かったら困るから」なんて言って……。だから映画の最後、矢口さんが前田さんを見ているときのアップの表情なんかは、「ああ、矢口さんはやっぱりこういう眼が似合うよ。素敵だよねえ」とか思いながら、ぼーっとキャメラを回してしまいましたね、長々と(笑)。
――ヒロインからどういう子どもが生まれるかってことは想定しました?
田尻 僕は普通の子どもだと思っています。ただ、僕が思っている普通のヒトというのは、割と日常茶飯事に殺しをせざるを得ないというか、殺すから生きていけるっていう存在で。動物とか虫は明らかにそうですよね。人間も基本的には、生き物を食べたり戦争をしたりとかで、他者を殺さないと滅びてしまう。これからもみんなで殺し合いをしながら生きて行く、みたいなところがあると思うんです。そういう意味の「普通」の子供が生まれる、と(笑)。ただ僕と佐藤さんの個人的な祈りとしては、そういう考えを認めつつも、相太(おじ夫婦の子供)でありたいとは思っているんです。相太は子どもなんで、まだ社会の仕組みがよく分かっていない。ふだんの生活で口にする食べ物が、その辺の家畜を殺したものであるとか、そういうことには気づいていない。だから人間が殺し合う存在だとは思っていない。できればそんなことをせずに生きていきたいと。極端なことを言うと、正当防衛による殺しすらも否定するというか。正当防衛するくらいならば殺された方がいい、という考えです。だから映画のラスト、相太にあの台詞を言わせたんです。
その最後の台詞がいったい何であるかは、ぜひとも劇場で確かめていただきたい。人間世界の「終わらない悲劇」を鋭く示唆する一語により、映画がピリリと引き締まる一瞬だ。獅子プロ時代のお話や、前作『SEXマシーン 卑猥な季節』について語っていただいたpart2も近日掲載予定。こうご期待!
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