ぼんやりとした輪郭や後ろ姿を見せるヒロインを除いて、ほとんど人間が画面に登場せず、台詞と状況音のみでドラマを綴るというスタイルで撮られた作品である。繊細な造形の施されたショットが細波のようにゆらゆらと連なり、卑近さと文学趣味の入り混じった台詞が、バランスよく混在している。
幻聴・幻覚にしばしば襲われるヒロインは、壊れゆく自分に怯えることもなく、ほとんど安らぎさえ覚えて自我の崩壊に身を委ねている。恋人の男はそんな彼女をそれなりに危惧し、彼が「ママ」と呼ぶ母親に彼女を紹介することで復調を図るが、それは彼女に新しいまぼろしの胤を植え付けるのみ。彼女は時間さえあれば泥のように眠りこけ、現実との接点を静かに、だが着実に失っていく。
そんな彼女に奇妙に共鳴するのが、彼女の勤める中学校の同僚教師・野口だ。度を越した馬面らしい彼は、彼女の顔がふくらんでいく一方だと言い、彼女は野口が痩せていく一方だと返す。ヒロインとは対照的に不眠に悩まされる野口は、睡眠薬を常用する。やがて彼の言動にも少しおかしなところがあらわれはじめる。彼女は気付く。彼もまた自分と同じ冥界を彷徨う人間であると――。
気が遠くなるほど長いファーストショットからして身構えさせるが、蓋を開けてみれば、なんてことのない、好くまとまった短編小説を思わせる「女性映画」である。だが昨今、“なんてことのない”映画をきちんと成立させ得る者のなんと少ないことだろう。その点、この映画のフォルムは地に足が着いており、顔の見えないキャラクターの体温や匂いや影さえ客の脳裡に残し、充実した手ごたえを感じさせてくれる。
ヒロインの声をつぐみ、野口の声を西島秀俊が担当している。つぐみは、原作者・山本直樹の漫画にしばしば登場する、あの物憂げな、半分眠ったような目つきの女性像にぴったりの声質。最後の最後までいささかもブレない声の芝居は、お見事としか言いようがない。西島秀俊の声のすばらしさは今さら言うまでもないだろう。このふたりの噛み合わないようでいて噛み合った会話は、思わず聞き入ってしまう独特の諧調で酔わせる。
声と音だけですべてを物語るという、見る者の“想像を掻き立てる”ことを企図したこの手法において、取り扱いが難しくなるのがベッドシーンである。ヒロインと恋人とのセックスの場面は、衣擦れ、くちづけ、喘ぎ声の音が生々しく克明に拾われて想像をたくましくさせる。彼氏がヒロインの肛門を強引に侵犯する際の「ちょっと、そこは……痛い……あ……あぁ」というあたりは、眉を顰めたくなるくらいに不謹慎で……すばらしい。
とはいえそうした場面が際立ってしまうと、ほかのことに注意が及ばなくなる、悲しい性を宿すゲスな客もいるはずである、たとえば筆者のように。西島秀俊のそっけない口調で、つぐみが我を忘れて乱れる場面を期待していた筆者は、自業自得とはいえ、何か釈然としないものが最後まで残った。もちろん、ソレばかり延々とやられても困るが、折々で十分すぎるほど取られる“間”や、木々の背後に然と広がる曙の空や、延々と鳴り響く重厚な室内楽が、“気取り”と表裏一体ではないかなどと皮肉な考えが蠢きだすのを抑えることができなかった。
七里監督の前作にして傑作『のんきな姉さん』(04)が、そうした客の尾籠な興味を巧みに操り、最後には完全にドラマ世界への没入を成し遂げさせたことを考えると、その点いささか注意散漫になってしまったことは事実である。もちろん、筆者個人の問題ではあるが。と、どうでもいいことを述べたが、丁寧に、根気強く撮られたと思しき一つ一つのショット、粘りのあとがうかがえる際立ったロケーション、齟齬のない繋ぎが、作品の高いクオリティを裏打ちし、映画表現の豊かさを改めて感じさせてくれる逸品であることに違いはない。眠っている女の匂いが、ひたひたと鼻腔をくすぐるような一本だ。
(2007.12.15)
主なキャスト / スタッフ
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