今週の一本
(2007 / アメリカ / ポール・トーマス・アンダーソン)
変わることのできない男の悲哀

仙道 勇人

(ネタバレの可能性あり)ポール・トーマス・アンダーソン(PTA)監督と言えば、個人的に奇を衒った仕掛けや才気走った作風によって、専ら「気鋭」と評されることが多い監督という印象を持っていた。5年ぶりの最新作となる本作は、しかし意外にもそうしたイメージを敢えて封じたかのような、クラシカルな重厚さを漂わせた「大作映画」の風格を備えた作品に仕上がっている。そして、その中心に屹立しているのは、言うまでもなく主演のダニエル・デイ=ルイスその人である。

20世紀初頭のカリフォルニアを舞台に、ブラック・ゴールドラッシュと呼ばれた石油採掘ブームの中で財を成した山師――ダニエル・プレインヴュー(ダニエル・デイ=ルイス)の半生を描いた本作は、デイ=ルイスが醸し出す圧倒的な存在感とリアリティとによって、この一介の山師が如何にして石油王に成り仰せたかを浮かび上がらせていく。
このプレインヴューなる男は、口八丁で相手を言いくるめる話術・詐術だけでなく、油井の発掘が見込める土地所有者との交渉に敢えて幼い息子H.W(ディロン・フレイジャー)を伴うなど、とにかくしたたかで抜け目がない。他人を容易に信じない慎重さと目的のためには手段を選ばない非情さを持ち、更には自身のプランを着実に実行していく現実主義者であり……一言で言えば「タフな野心家」を具現化したような人物だ。
そんな資本主義の権化のような彼が経済的な地歩を築いていく姿は、まさに「アメリカン・ドリーム」そのものである。しかし、形振り構わず事業を拡大していった彼が、「欲に取り憑かれた男」であるかのように喧伝されているが、果たしてそうなのだろうか。寧ろ、デイ=ルイス演じるプレインビューという男は、そのような富や権力欲に魅入られた狂気じみた存在ではなく、どうしようもないほど人間的な人間と言うべきではあるまいか。

そもそも、本作にはプレインビューが自らの欲望に取り憑かれて事業に邁進した、という描写が一切見当たらないことは留意すべきだろう。彼の内面が直截描かれるシーンはかなり少ないが、事業が軌道に乗り始めた頃にひょっこり現れた弟ヘンリー(ケヴィン・J・オコナー)に「自分は負けず嫌いなだけだ」と吐露するシーンがある。だから「出し抜かれる前に出し抜くのだ」と。これはプレインビューの行動理念とも呼ぶべきもので、彼の言動は徹頭徹尾この考えに基づいている。彼の原点は一山当てて大儲けを目論む「山師の欲望」のようなものでははなく、鉱物が有限であることを知悉した「鉱夫の冷徹な現状認識」と言っていいだろう。他人が見つける前に自分が見つけて採らなければ、飯にはありつくことはできないのだ。
だからこそそんな彼を駆り立てるのは、「他者に負けること」「出し抜かれること」に対する過剰な恐怖であり、その根本にあるのは「自分の儲けを確実に確保すること」以上でも以下でもない。プレインビューの実現した「アメリカン・ドリーム」的な経済成功とは、儲けを確保するために商敵を排除していった結果にすぎないし、富豪となった彼が富を持て余して倦怠に沈むことになったのも、手段を目的にし続けてきた者の当然の末路と言っていいだろう。

また、中盤でH.Wが放火事件を起こし、これを機にプレインビューが息子H.Wを捨てるエピソードがあるが、これも油井事故によって聴覚を失ったことで利用価値がなくなったからH.Wを捨てた――そんなプレインビューの非情さを物語るエピソードと受け止められがちだが、果たしてそうなのだろうか。
聴覚を失ってから心を閉ざしているH.Wにどう接していいのか解らないプレインビューは、それでも彼なりの方法で世話を焼いていたが、あの放火事件で「父親」であることの限界を悟ったからではないだろうか。勿論、H.Wの代わりになる弟ヘンリーが現れた、という現実的計算も働いた面も大きいだろう。いずれにしても、もしも本当にプレインビューがH.Wをただの道具としてしか見ていなかったのなら、ある土地の提供条件として屈辱的な洗礼を受けさせられるシーンで、「子供を捨てた!」と告白させられることにあれほど苦悶に満ちた表情を浮かべることもなかったはずだ。あの場面に映し出されているのは、まさにH.Wを捨てたことに対するプレインビューの罪悪感そのものであるし、それは彼がH.Wを愛していたことの証左に他なるまい。

しかし、そんなプレインビューの不器用すぎる愛情も、息子に届くどころか結局は踏みにじられてしまう。尤もH.Wにしてみれば単なる身勝手なクソ親父にしかすぎないわけで、この父子の対立と離反はプレインビューが養育を放棄したあの時点で運命づけられていたようなものだが。その誰の目にも明らかな対立の運命を予見できないのが、プレインビューの愚かさであり悲しさであり、プレインビューのプレインビューたる所以でもある。H.Wと訣別する際にプレインビューがあげずにはいられない罵りの声は、孤独な人間の悲痛な呻きであり、成長していく人間に対する変わることの出来ない人間の呪詛そのものだ。或いは、どうあってもやり方を変えることのできない者の嘆き、と言ってよいかもしれない。

 

ところで、本作にはこの"怪物"プレインビューと対をなす人物がいる。プレインビューが事業拡大の端緒を掴むことになる土地所有者の息子で、後に"第三の啓示"教会の牧師として頭角を現し、ことあるごとにプレインビューと対峙することになるイーライ(ポール・ダノ)である。プレインビューが人々に物質的な豊かさを提供することで、イーライは精神的な豊かさを提供することでそれぞれ地歩を固めていくように、方法こそは異なるが「人々から金銭を吸い上げることで繁栄を築いた」という点で、両者はコインの表裏のような存在となっている。この二人の対立こそが本作の基本構造となっているのだが、率直に言ってポール・ダノの存在がそこまでデイ=ルイスに肉迫し切れていないために、作品がデイ=ルイス寄りにやや歪になっている点は指摘しておかなければなるまい。

これはポール・ダノの実力云々の問題ではなく、イーライというキャラクターに対するPTA監督の演出の問題による部分が大きい。イーライの熱狂的な宣教シーンが特に顕著だが、イーライの挙措は恐らく意図的にカリカチュアライズされている。その意味ではポール・ダノの怪演は素直に笑えるし笑うべきなのだが、そうであればあるほどわざとらしい印象を却って強めてしまっているのだ。イーライというキャラクターに向けられたPTA監督の聖性や宗教(と言うよりも「福音派」か)に対する揶揄が余りにもあからさますぎて、酷く薄っぺらく鼻につくと言ったらいいだろうか……少なくともデイ=ルイスによって血肉化されたダニエル・プレインビューという怪物的人間に比肩する人物像というよりは、ただの道化になり下がってしまっているのである。

本作はイーライとプレインビューの関係性にキリスト教対資本主義は勿論のこと、神対悪魔、キリスト対アンチキリストといった大きな構図が根底に埋め込まれた作品であるが、両者の対決が散発的なエピソード然として処理されているせいか、随所で仄めかされるそうした巨視的な構図が物語の中でどこか浮いてしまっているようなところがある。
もしもそれが本来ならば単に悪魔的、アンチキリスト的、非人間的な人物にしかなりえなかったかもしれないプレインビューという人物像を、PTA監督の意図を越えるレベルにまで人間化せしめたデイ=ルイスの圧倒的な能力によるものであるならば、なんとも皮肉としか言いようがないだろう。

(2008.5.6)

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 2007年 アメリカ
監督・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン 撮影:ロバート・エルスウィット 音楽:ジョニー・グリーンウッド
出演:ダニエル・デイ=ルイス,ポール・ダノ,ケヴィン・J・オコナー,キアラン・ハインズ,ディロン・フレイジャー  (amazon検索)
公式

4月26日より、シャンテシネ他全国順次ロードショー

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2008/05/06/08:04 | トラックバック (3)
仙道勇人 ,「せ」行作品 ,今週の一本
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