“不世出の俳優”という形容詞は、古今東西さまざまな俳優に冠せられてきたけれど、レスリー・チャン<張國榮>ほどその称号にふさわしい俳優もいないのではないだろうか。
いや、俳優としてだけでなく、表現者として(彼は、エンターテイナーと呼ぶには、あまりに悲痛すぎたが)、ひとりの人間として、レスリー・チャンは、唯一無二の輝きを放っていた。
もちろん、現代の香港映画界にも、スターはたくさんいる。レスリーと同じ時代を駆け抜けたトニー・レオンだって、アンディ・ラウだって、いまだ第一線で活躍し続けている。
しかし、感傷に浸ってみても仕方がないとは思いつつ、つい筆者は考えてしまうのだ。「いま、もしレスリー・チャンが生きていたなら」と……。
1980年代から90年代にかけて、香港映画界は大きな転換期を迎えていた。ジョン・ウー<呉宇森>、ツイ・ハーク<徐克>、ウォン・カーウァイ<王家衛>といった、その後ハリウッドに進出することになる若手監督たちが(さらには、『ザ・ミッション』のジョニー・トー<杜琪峰>、『メイド・イン・ホンコン』のフルーツ・チャン<陳果>、レスリーとのベストコンビであると筆者は信じて疑わないイー・トンシン<爾冬陞>らが)才気を競い、ブルース・リーやジャッキー・チェンによって形成された香港映画のパラダイムを一新させた。
いま10年くらいのあいだに登場したフィルム・メイカーを雑駁に括ってしまったけれど、ジョン・ウーやツイ・ハークが先鞭をつけた香港ノワールの潮流は、90年代以降、世界的ブレイクを果たしたウォン・カーウァイによってソフィスティケートされ、世界市場に買われていくことになる(やがて、この潮流は、少しずつかたちを変えながら、本書でも触れられている“ミニマリズム”の時代に突入する)。
こうした情況のなかで、アイドルスターから“不世出の俳優”へと上り詰めていった象徴的な存在が、ほかならぬレスリー・チャンであった。
そして、人気実力ともに絶頂期にあった2003年4月1日、レスリーは、マンダリン・オリエンタル・ホテルの24階から身を投げ、帰らぬ人となった(付け加えるならば、同じ年の12月30日、やはり歌手で女優のアニタ・ムイ<梅艶芳>が子宮頚癌で亡くなったことが、慟哭するファンに追い討ちをかけた)。
本書の冒頭に、レスリーの訃報を聞いたときの著者の実感が記されている。
<レスリーの死の報に接して、私が強く感じたのは、「時代が彼を殺した」という思いだった><彼を死に追いやったのは、九七年の返還を契機とした香港映画界の落ち込みであり、その死を可能にしたのは、SARS対策として新鮮な空気を取り入れるために開けられていた高層階のベランダに通じる扉だった。時代と呼応してきたレスリーを、最後に「時代が殺した」のである>
この著者の目を通して、レスリー・チャンという俳優の人生と香港文化史が切り結ばれていく。
ただし、この本は、(著者も書いているように)レスリーの評伝ではない。だから、レスリーのパーソナリティをとことん掘り下げてほしい、と願う読者には不満が残るかもしれない。
だが、レスリー・チャンとともにあった時代の香港サブカルチャーに深い愛着をもつ人、また最近になって香港映画にハマり、過去の歴史を知りたいと思っているような人にとっては、興味深く読み進めることができるだろう。
著者の松岡環さんは、アカデミズムの分野でアジア映画の網羅的な研究を行なうかたわら、「POP ASIA」をはじめとするアジアン・カルチャー誌にも精力的に寄稿してきた方である。
個人的な話になるが、筆者自身、数年前にアルバイト編集者として働いていた出版社で、非常にお世話になった経験がある(その後、社内ですったもんだが起き、筆者はすでに動き始めていた書籍の企画を投げ出すようにして、その出版社を辞めてしまった。松岡さん、その節は申し訳ありませんでした)。
本書は、長年にわたって香港文化を愛好し、歩調を合わせてきた著者だからこそ実現しえた労作といえよう。
(2008.5.22)
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主なキャスト / スタッフ
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