荒井晴彦(脚本家/映画監督)
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わたなべりんたろう
「HotFuzz」劇場公開を求める会主宰)
映画『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』について
1月24日(土)より、丸の内ピカデリー1他全国ロードショー公開中
『レボリューショナリー・ロード』を脚本家で監督もする荒井晴彦さんと話した。『レボリューショナリー・ロード』は荒井さんより、試写が始まる前からこちらに連絡があったので、荒井さんが興味を持っていたのは知っていた。こちらも観たところ、男女の恋愛、しかも愛憎劇で、夫婦の崩壊劇でもある秀作で、荒井さんと話したら、この映画に関して他では語られていないことがいろいろと話せるのではないかと思ったことがきっかけで、荒井さんの事務所にうかがって行った。
荒井晴彦(脚本家/監督)
1947年、東京都生まれ。若松プロで助監督、脚本執筆。脚本家田中陽造の清書係等を経て、1977年に日活ロマンポルノでデビュー。
代表作品:「赫い髪の女」、「神様のくれた赤ん坊」、「遠雷」、「もどり川」、「ダブルベッド」、「Wの悲劇」、「噛む女」、「リボルバー」、「身も心も(監督も)」、「ヴァイブレータ」、「やわらかい生活」など
わたなべ 荒井さんは『レボリューショナリー・ロード』をご覧になって、どうでしたか? メールでは「これをできるアメリカは羨ましい」って書いてましたけど。
荒井 いや企画自体がね、日本でやろうとすると「暗い」というリアクションがまず出てくるだろうし、実現しないでしょ、いま。企画が通りにくい場合は、じゃあキャストでなんとかしようということになるんだけど、まあ日本の女優(事務所)には断られるね、こういうのは全部。
わたなべ 今回は、『タイタニック』のキャスト再び、っていうことですよね。キャシー・ベイツも含めて。この3人を合わせたのが大きいんじゃないですか。『リトル・チルドレン』のトッド・フィールドは、じつはこれをやりたかったそうなんです。ケイト・ウィンスレットとパトリック・ウィルソンを使って。でも原作権が取れなかった。だから、『レボリューショナリー・ロード』の代わりに、他にも映画化したかった原作作品の『リトル・チルドレン』を撮った。トッド・フィールドってのは、キューブリックの『アイズ・ワイド・シャット』のホテルの受付係の役を演じてキューブリックの製作者に目をつけられて、『イン・ザ・ベッドルーム』で監督デビューした人ですが。荒井 『イン・ザ・ベッドルーム』はよかったなあ。
わたなべ あれも「暗い」と言って終わっちゃう人が多いんですけどね。あの女が不倫してるのはおかしいとか。
荒井 なにを言ってるんだろう。暗い映画がいい映画なんじゃないか。
わたなべ 究極のキャッチコピーですね。「暗い映画がいい映画」(笑)。
荒井 いや、だから俺が去年いちばん感心したのは、『アウェイ・フロム・ハー』。あれがいちばんいいと思った。なんであれがキネ旬の洋画ベストテンに入ってこないで、しょうもないのばっかり並んでるのか。
わたなべ あれは凄い映画ですね。去年の家族を描いた、どの作品よりもいいと思います。痴呆症の妻をそれでも愛するという。
荒井 日本の映画はテーマがはっきりしないんだよ。テーマが前面に出てくると「暗い」って言われるんじゃないの。だから、テーマがない映画しかウケない。難病とか死とか、それ自体がドラマだと勘違いしてる。人が死ぬのが劇だと思ってるんだよね。身近な死が共感得やすいというのがあるんだろうけど、イラクやアフガンやアフリカで殺されている人たちの死も家族にとって身近なわけだけど、そっちには行かない。廣木(隆一)も今度、「余命なんとか」(『余命1ヶ月の花嫁』)ってのを撮ったけど。
わたなべ この原作は、向こうでは伝説の小説なんですよ。動かしがたい傑作というか。ウディ・アレンとイーストウッドがとにかく好きな小説で、これまで何人もが映画化を望んで実現しなかった。作者のリチャード・イエーツという人も伝説的な作家で、当時はあまり売れなくて、長篇を3本くらい、あとは短篇を数本書いて食っていたらしい。大学の先生とかやりながら。それでアル中と貧乏のうちに死んでいった、92年に66歳で死んだ。そのへんの生きざまも含めて、遅れてきたビート世代といった感じでしょうか。さっき「暗い」という話がありましたが、ラストが凄いですよね。原作もそうだとはいえ、主人公の顔で終わらせないって、アメリカ映画の定石から考えると結構凄いことです。荒井さんはこの映画の作劇はどのようにご覧になりました?
荒井 うーん、ちょっともったいないような気がしたな。致命的なのは、どうして夫婦仲がああいうふうになっていったのか、それがいまひとつ見えにくい。
わたなべ これは映画では描かれてないけど、あの夫婦は「できちゃった婚」みたいな感じですよね。作品中では子供の描写は意図的に排除されてますが。
荒井 そうだね。排除してるね。
わたなべ たまに出てくるだけで。ずっと2人で住んでいるような。
荒井 ただ、女優をめざしていたって話が最初にあるでしょ。あそこから入るのが違うと思うんだよね。挫折して結婚したっていうならまだ分かりやすい。その夢を引きずってと。でも、結婚してもやってるんだよね、芝居。結婚してからなにかが蓄積されていくまでの日常――病気の男が「絶望的な退屈」と言ってたけど――それがちゃんと描かれていないと思った。台詞では書いているけれど。そういう感情が蓄積されていってパリへ行こう、というプロセスが見えにくいんだよな。ディカプリオがいいかげんに書いたレポートが評価されて、ケイト・ウィンスレットに子供ができたあたりから物語が動き出すんだけど、その前がもうちょっとなんとかならなかったのか。喧嘩も含めて、なにか日常にたまってくるオリみたいなものがね。経済的にはそれほど不満があるわけでもないのに、なにかが足りないという部分をもうちょっと……。女優になりたかったけど結婚した、で、まだ芝居やってて、やっと才能無いことに気がつくというプロセスがいまひとつちゃんとできていない。というか、そもそも一つの夢をあきらめて、というやりかたはあまりにもベタなんじゃない?
わたなべ まあ、ベタはベタですよね。
荒井 よくある話でさ。若い頃に何者かになりたいという夢があって、恋愛して子供ができちゃって、生活しなきゃいけないから、それぞれ自分の夢をあきらめる。でもその後、「なんであきらめたんだろう?」って考えたときに「あいつのせいじゃないか」と。お互いにその原因を求める、というような感じでもうちょっとわかりやすくやればいいのに、と俺は思ったんだけど。「夢」を前段とするならね。
わたなべ それは象徴なんでしょうね。明らかに主人公の夫婦を正当化してないじゃないですか。美男美女じゃない夫婦が隣にいて、主人公夫婦が「パリに行く」って言ったら、理由が「虚無から抜け出すんだよ」っていう……。
荒井 うーん、だからそこで同じような中産階級なんだけど、ちょっと違うというね。 あの夫婦は変わってると思われている。で、本人たちはどう、それを自覚しているのかというのが見えない。自分たちをエリートだと思ってるのか。隣近所とは違うぞと思ってるんだろうな。そこがまたどうして、そう思うのかというのが見えない。退屈と思ってしまったことがエリートなんだろうな。
わたなべ ディカプリオは元陸軍兵なんですよね。
荒井 そうそう。それで「パリはいい街だ」と知ってるんですよ。元兵隊として。ノルマンディから上陸して、パリ解放で行ったのか。
わたなべ 出会いは……。
荒井 出会いは最初に出てくるパーティーみたいなのでしょ。
わたなべ そう。でも彼はタイピストの女の子とすぐ浮気したりするわけじゃないですか。あのへんの描き方は確かにありがちといえばそうだけど、巧いですよね。結局その一回きりで、彼女はそれ以上絡んでこないし。この夫婦はエリートというか、俺たちは俗物じゃない、と思ってるわけでしょ。
荒井 うーん、だからそのへんがものすごく見えにくいんで……。
わたなべ でもむつかしいんじゃないですか、そこを描くのは。
荒井 いや、映画的にはもうちょっと工夫すべきだよ。でなきゃ「女優になりたかった」という前提も変えるべきでね。2人ともそれぞれの夢をあきらめて生活を始めたんだけれど、なにかが違うというね。
わたなべ もうひとつ話すと、自分はサム・メンデスって基本的に苦手だったんですよ。『アメリカン・ビューティー』は全然駄目で。なんで人生を一つのカタにはめて断定しちゃうんだろうって。次の『ロード・トゥ・パーディション』は「子連れ狼」をもとにした話だけど、あれもなんか形だけで、別にこの話に思い入れないでしょ、みたいな撮り方してて。まあ巧いのはわかるんですけどね。ただ『ジャーヘッド』で中東戦争を描いて、ちょっと面白くなった。
荒井 ああ、『ジャーヘッド』はよかったねえ。あの時のテレビ中継が問題になったけど、ミサイルや空爆は見えるけど、それを浴びている、死んでいっている人間たちは見えない画像で、戦争がまるで花火みたいにしか見えない。それが現場、地上の最前線。でもそうだというのをやっていた。遠い戦争を待ちながらという感じだった。
わたなべ そして今回の『レボリューショナリー・ロード』でまたちょっと変わってきた。『ジャーヘッド』のときに電話インタビューしてるんですよ。ケイト・ウィンスレットとの子供がまだ小さくて、何度も子供の声で中断されちゃって面倒くさかったんですけど(笑)。この人、もともと舞台の『キャバレー』なんかで有名になった人なんですよね。ニコール・キッドマンが舞台上で後ろ姿だけオールヌードになった『ブルー・ルーム』もメンデスで、あの演出で有名になった。ただ、『レボリューショナリー・ロード』もそうなんですけど、演出が平明すぎるという感じはするんですよ。
荒井 まあ、なによりもまずシナリオが駄目だと思うけどな(笑)。
わたなべ 荒井さんにそう言われると元も子もないですけど(笑)。これ。脚本はジャスティン・ヘイスっていう、映画は『二重誘拐』というウィレム・デフォーとロバート・レッドフォードが出た微妙な出来の映画しかない人で。
荒井 だから、後半はいいんだけど、前半がね……。
わたなべ だけど評価はしてるわけでしょ、荒井さんは。
荒井 そうだよ。すごく評価してる。だから偉そうに言えば、もったいねえな、ってことだよね。やっぱりあの2人が陥る「絶望的な退屈」の描き方が足りない。
わたなべ 映画史的にいうと「早いメロドラマ」をたくさんつくったダグラス・サークの裏返しでもあると思うんですよ。
荒井 ダグラス・サークはあまり面白いと思わないな。
わたなべ (笑)。
荒井 どこがいいのか、と思うけどね。中原(昌也)に薦められて観たけどさ。なんかお父さんとニューヨークから来た昔馴染みの女があやしいんじゃないかって、子供たちが騒ぐ話(笑)。
わたなべ 粗筋だけ見るとたいした映画じゃないんですよ。そこに対する描写が、たとえば成瀬(巳喜男)監督みたいにエキセントリックだったりする。色彩感覚とかカメラワークとか。
荒井 ああ、そういうことなのか。
わたなべ そう。よくあるメロドラマをおかしく撮ってるという。
荒井 それで満員だったのか、蓮實チルドレンたちで。ストーリーはどうにもなんないよ、あれ(笑)。山田太一に書かせたらなあと思った。
わたなべ (笑)だから、批評的な人なんですよ。当時のメロドラマに対して。『レボリューショナリー・ロード』は意外と漱石に似ているかもしれない。「こころ」の<私>と自殺する友人が夫婦になったみたいな。これだって金には苦労してるんだけど、あまりそういうふうには見えないし。高踏的な話じゃないですか。
荒井 そうでもないんじゃない? 親父と同じ会社なわけだし。
わたなべ ああ、そうか。親父と同じ会社なんだ。
荒井 それで何十年も働いていた親父の名前を重役が知らないとか。そういうことに対する絶望?
わたなべ ディラン・ベイカーとかが演じている同僚はもろ俗物に描かれてますよね。
荒井 うん、だから友達の夫婦も含めてね、彼らが主人公夫婦をどうして特別だというふうに思っているのか、あるいはなぜ彼らだけ浮いているのか、そこが見えない。
わたなべ そこはあえて象徴的にこの夫婦を取り出しているんじゃないでしょうか。現実にはああいう人たちはもっといっぱいいるわけで。
荒井 だから友達夫婦や頭のおかしい男のキャラクターは面白いよね。普通と普通じゃにものの代表で。そうすると、あの夫婦はその間ってことなのか。
わたなべ ただ、あれはずるいですよね。キャシー・ベイツ演じる女性の精神異常の息子が全部本音を言っちゃうわけで。たとえばディカプリオが「俺は虚無と絶望から脱出したいんだ」って言うと、「虚無は誰でも感じるが絶望を感じるには勇気がいる」ときっちり返してくる。
荒井 本当はあの息子なしで勝負しなきゃいけないんじゃないの?
わたなべ でもあえて入れることで、面白くはなってますよ。最近の日本映画ではこういう人間の激情が見られる映画ってないじゃないですか。あえて言えば「荒井さん系の映画」(笑)。いまの若い人の映画って葛藤しないから。ルメットの『その土曜日、7時58分』は観ました? あれなんか自分が好きなのは、フィリップ・シーモア・ホフマンがクルマのなかで突然激昂するシーンがあるじゃないですか。ああいう瞬間をもっと映画で観たいんですよね。『レボリューショナリー・ロード』は後半になるにつれ、そういう感情がどんどん前に出てくる。『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』のように。そこがすごく好きですね。でも、ああいうのを別に見たくない、って人がいまは多数派なんでしょうけど。荒井さんはあのケイト・ウィンスレットの堕胎のシーンを「凄い」と思ったんですよね?
荒井 これほど美しいシーンは何十年ぶりに観るだろう、ってくらいよかった。あれが映画なんだよ。
わたなべ アメリカでは、堕胎に関わった医者がテロに遭っていたりするので、ああいう描写を入れるというのはすごいことですよ。
荒井 ただ彼女がなぜあんな選択をしたのか、それがいまひとつ伝わってこない。
わたなべ あれは夫が不甲斐ないと思ってるわけでしょ。
荒井 まあいろんなことに対する、ある種の自爆テロみたいなものなんだろうけど(笑)。夫に対して、思うようにいかないことに対して、彼女ができる抵抗は、自分の子供を自分で堕ろすしかないということなんだろうけど。その姿はやっぱり美しいと思うよね。あの血のショットは。
わたなべ あそこまでやるとは思わせないですからね。映画の流れとして。
荒井 だから、友達夫婦の夫と浮気する、というか踊ってるシーンあたりからはものすごくいいけどね。あのときのケイト・ウィンスレットの顔はすげえなと思ったよ。女が何か一線を越えるぞという時の顔ってこうなんだと、あの顔だけで賞をあげたい。
わたなべ それを旦那(サム・メンデス)が撮ってるわけですからね(笑)。
荒井 でも、サム・メンデスが亭主だから遠慮したのかもしれないけれど、もうちょっとケイト・ウィンスレットの分量を増やしたほうがいいような気はしたね。2人の行動を完全に均等に描いちゃってるから。もうすこしどちらかに拠ったほうが映画としては観やすくなるのに。
わたなべ そう、だからそこがサム・メンデスなんですよ。良くも悪くも。
荒井 もったいないよなあ。やっぱりシナリオだよ。撮り方なんかどうだっていいんだ、映画は。
わたなべ (笑)。
荒井 シナリオがつまんなきゃ映画はつまんないんだからさ。たとえば鈴木清順って人は、しょうもないシナリオばかり与えられるから、木村威夫と組んで色を変えたり、非常にアクロバティックな画面をつくったわけでしょ。俺は高校のときに観て何これって驚いたんだけど。でも、それは話がつまらないから編み出した手なわけだよ。
わたなべ そうそう。B級映画のやりかたですよね。サミュエル・フラーとかアルドリッチとか。ダグラス・サークもそうだけど。
荒井 ホンがつまんないんだったらホンを面白くしろよ、といまの俺は思うんだよね。
わたなべ それはつねづね荒井さんが言ってることですよね。監督ばかり注目されて、脚本家がないがしろにされているという。小津安二郎だって野田(高梧)さんの話が出ないで、小津さんが全部やったことになっちゃってる。ビリー・ワイルダーならI.A.L.ダイヤモンドの話が出てこないとか。三谷(幸喜)さんなんかも知ってるんだろうけども、言わないし。
荒井 自分が書き手のくせにね。ビリー・ワイルダーでも自分が好きなのだけ言ってるよね。『第十七捕虜収容所』とか、『サンセット大通り』とかてめえ言ってみろコメディーオタクと(笑)。
わたなべ ブラックな部分が全然ないんですよ。
荒井 あれじゃ三谷に尊敬されているビリー・ワイルダーはきっと不本意ですよ。キャメロン・クロウくらい研究しろと。ワイルダーはアメリカにナチスから逃げてきた人なんだからさ。根本にそれがあって、そのうえで喜劇やるから面白いんだよ。
わたなべ アメリカ人でない監督が、一見するとアメリカ映画らしいアメリカ映画を撮るという。イギリス人のジョン・シュレシンジャーが『真夜中のカーボーイ』を撮ったのと同じですよね。
荒井 シュレシンジャーはイギリスで『日曜日は別れの時』というゲイとストレートの三角関係の恋愛映画も撮ってるし、それが彼のアイデンティティの根本にあるからね。
わたなべ 『日曜日は別れの時』は素晴らしい作品ですが日本ではあまり見られていないのが残念。
荒井 ニューシネマって言ってしまえば、ぎりぎりゲイになるところを踏みとどまっている男の友情の話じゃない。『スケアクロウ』も『』も。男って男にいくのが恐いから、アリバイとして女にいくんじゃないだろうか。
わたなべ 日本映画は絶対にゲイを出さないですからね。単なる男女間の物分かりのいい潤滑油的キャラとしての役割しかない。ちょうど『レボリューショナリー・ロード』の精神病の男みたいに。だから話を戻すと(笑)、この精神病の男を出すのはずるいんですよ。
荒井 これは夫婦喧嘩の映画である、って言ってしまえばそれまでなんだけど、前半の夫婦喧嘩がいまひとつ「わかる、わかる」っていうふうにいかないのがね。後半になって物語が加速していくんだけど。なんで浮気を告白するのか、とか。
わたなべ あれは男としてジリジリするシーンですね。
荒井 あのへんから面白くなるんだけど、前半がもったいないんだよ。浮気して帰ってくると誕生日でハッピーバースデーと妻と子供が祝うっていうのも、まあありがちだけど巧いやりかたではある。もったいないよなあ。大傑作になり損ねてる。
わたなべ ただ、『イン・ザ・ベッドルーム』にせよ『リトル・チルドレン』にせよ、アメリカはこういう映画をきちんと評価しますね。アカデミー賞にも入れるし。
荒井 『リトル・チルドレン』もラストの「どこかへ旅立とう」みたいなのはどうかと思ったけど。ただ、あの幼児性愛の男の設定は面白かった。あれとケイト・ウィンスレットがもうちょっと絡めば面白いのにね。
わたなべ 絡まないですね。最後の公園まで。
荒井 俺だったらやらせるけどね。「大人の女を教えてあげるわよ」と(笑)。
わたなべ でも、いまの日本人にはピッタリですよ。江東区であった殺人事件も、犯人が素人童貞で「女を奴隷にしたかった」というし。
荒井 いまは多いよね、そういう男が。俺が教えている映画学校でもそうだけど。童貞だと女のイヤなところが書けないんだよ。女が出てくると途端に甘くなる。
わたなべ セックスはしたほうがいいですよね、経験として。
荒井 いや、どうかな(笑)。
わたなべ 童貞だとロマンティシズムになっちゃうじゃないですか。それがいい場合ももちろんありますが。
荒井 まあそれはそれでかけがいのない時期だから、特権的に生かす手はあるんだけど。ただ、童貞が童貞たる何かというのは、童貞でなくなってからわかることがあるんでね。『Wの悲劇』で俺が書いたみたいに「赤ん坊に赤ん坊は演じられないけれど、大人には赤ん坊が演じられる」という。処女なら処女が演じられるかというと、まんまじゃ駄目なわけだから、演技ってのは。もうひとつ客観性が入らないと演技にはならない。このあいだなんかさ、吉行淳之介の『手品師』を脚色の原作に選んだ生徒に「なんでこれ選んだ? これ、童貞の純愛の話だろ。おまえ童貞か?」って訊いたら「いや、秘密です」って(爆笑)。
わたなべ 「小川宏ショー」みたいな(笑)。
荒井 女子に「おまえ処女か?」って訊いて「秘密です」って答えるならまだしも、おまえ男だろって。いやになっちゃったよ。そんなこと「秘密です」って言ってる場合じゃないだろ、おまえシナリオの勉強してるんだから、って。俺たちの時代は友達と掛けしたんだよ、20歳までに誰がいちばん早く童貞を捨てるか。これは結構励みになったよね。よし掛け金とってやるぞ、と。相手がいてもう一押しってときに掛け金のことが頭に浮かぶ(笑)。
わたなべ 話をまた戻すと(笑)、『レボリューショナリー・ロード』はこの主演の2人だからできた映画ですよね。ほかにもトム・ハンクスやニコラス・ケイジが出演すると決めたからできた映画がいっぱいある。トム・ハンクスなら『プライベート・ライアン』、ニコラス・ケイジなら『ロード・オブ・ウォー』とか。
荒井 『レボリューショナリー・ロード』は日本でリメイクしたいよね、これ。
わたなべ 誰でやるんですか?
荒井 寺島しのぶと西島秀俊あたりで。
わたなべ シブいなあ(笑)。精神異常者の役は? この役者、めちゃくちゃうまいですよね。これで評価されて小さな映画祭の賞とか獲りましたけど(後にアカデミー賞の助演男優賞にもノミネート)。その精神異常者の台詞が象徴的だけど、この映画はダイアローグがすごく強いですよね。思わず、トイレに貼りたくなるような警句のような言葉ばかりで(笑)。
荒井 いや、でもちょっと文学拠りになってるよね。もうすこし脚本家が砕かないと駄目だよ。
わたなべ じゃあ、日本でのリメイク版はそれで(笑)。だけど『レボリューショナリー・ロード』がいいのは、恋愛ってこういうことあるじゃないですか。互いがすれ違っていく、いやな感じというか。ああいう恋愛を経験している人なら誰もが思いあたるようなことをちゃんと描けているのに感心しましたね。感情の暗い襞までちゃんと描いてる。『ぐるりのこと』みたいに途中までいいのに、最後は手つないで終わるとかああいう癒しのようなのはどうも。
荒井 いや、だからああしなきゃバカOLは観ないんだよ(笑)。暗いんだよ、男と女はどうやったって。彼(橋口亮輔)はゲイなんだから、もっとルサンチマンをこめて、男しか愛せない男が男と女に対して「冗談じゃねえ」というような映画をつくってくれないと。なんか嘘っぽいんだよ。
わたなべ でも、荒井さんの映画にはゲイが出てこないですよね。
荒井 俺はどんなブスでも女のほうがいいから(笑)。
わたなべ あと、この映画って物語順に撮ってるんですよ。贅沢な撮り方ですが、そのことで感情の流れをつくりたかったらしいんですよね。
荒井 まあ基本的には順撮りがいちばんいいよね。大島渚が松竹入ったときに驚いたらしいからね。映画って順番に撮らないんだって(笑)。『ヴァイブレータ』は最初のシーンと最後のシーンを一緒に撮ったんだけど、寺島しのぶの顔が「これだけ違う顔ができるのか」ってくらい違って、こりゃ天才だと思ったね。
わたなべ でも、『レボリューショナリー・ロード』を日本映画でやるのはやっぱりむずかしいですよ。撮影も照明もどこ見てもきっちりとしたプロ中のプロの仕事だし。
荒井 というか、日本では夫婦がこわれる話はできないよ。病気で死ぬとか、看護するとか、死んで幽霊になって戻ってくるとか、そんなのばっかりだもの。
わたなべ 日本では、ハッピーエンドじゃなきゃいけない、とかってあるんですか?
荒井 ない筈だけど、いまはあるのかもしれない。客が求めてないって言われると、やっぱりむずかしいよね、俺がやりたいような「暗い映画」を実現させるのは。かつての日活のような会社があればできると思うけど。あるいは神代さんとか藤田さんのような人がいれば。いまは監督がもう日和見主義だから。
文:わたなべ りんたろう / インタビュー書き起こし協力:佐野 亨
主なキャスト / スタッフ
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